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カテゴリ:社会時評
つい衝動買いをしてしまった。
週刊誌を数年ぶりに買った。表紙に惹かれたからだ。一冊210円くらいだと思っていたら、レジに差し出すと370円。時既に遅し。 何故買ったかと言うと、「あしたのジョー」がそのまま復刻連載されるからだ。 同誌の創刊50周年企画の一つで乾智之編集長は「『あしたのジョー』は、格差や不況で閉塞(へいそく)感が漂う現代社会の究極の癒やし。何度挫折してもまた立ち上がる主人公矢吹丈らの生きざまが心身ともに疲れきったサラリーマンにパワーを与えると考えた」と話す。出版不況の中、中高年世代に思い出深い作品を掲載することで幅広い読者層の取り込みをはかる。 のだそうだ。果たしていつまで続くのか見ものではあるが、こうやって一話を見てみると、とても1968年の作品には思えない。これは現代の風景ではないのか。 おそらくちばてつやが原作者高森朝雄(梶原一輝)に無断で書き足したであろう冒頭部分の数ページは象徴的だ。「東京‥‥‥」(東京タワーや都会の風景)「東洋の大都会といわれるマンモス都市東京」「その華やかな東京のかたすみに―」(ビル群から平屋のドヤ街に風景を移して行く)「ある‥‥‥ほんのかたすみに―」「吹きすさぶ木枯らしのためにできた」(木の電信柱に木枯らしが吹く)「道端のほこりっぽい吹きだまりのような」「あるいは川の流れがよどんで岸のすぼみに群れ集まる色あせた流木やごみくずのような」(いろんな物がよどんでいるどぶの風景)「そんな街があるのをみなさんはご存じだろうか―?」「この物語はそんな街の一角から始まる‥‥‥」(ここでやっと遠景の風景として矢吹ジョーが登場する。俯瞰から見るドヤ街ほこりや新聞紙が飛び、ゴミ箱が倒れ、ラーメン屋台の二輪車が昼の休憩をし、「酒」のちょうちんや「お泊り」のちょうちん『御宿一泊百円』の看板などが見える。) ここから立ち上がる矢吹ジョーに現代のサラリーマンは力をもらえるのか。 それはそれとして、この日から41年たった今、日本はやっぱり華やかな都会の片隅に『一泊1000円のネットカフェ』を作り、影のように冷たい精神的な自己責任という『ドヤ街』を作っている。 ところで矢吹ジョーはいったい何処から来たのか。過去はどうだったのか。全く今もって謎だ。『まれびと』としてやってきた神のように、何事かをなして去っていく。あまり神頼みはよくない。 今回の週刊現代の記事で一番強烈だったのは、小池百合子の小沢批判であった。 「私が小沢一郎を見限った理由」 かつて小池は小沢の盟友だった。92年細川元首相率いる日本新党で初当選、そのあと小沢が党首を務める新進党に合流、97年それが分裂すると、小沢が結成した自由党に合流、00年にそれが分裂したときに小沢とたもとを分かつ。そして保守党に加わり、自公連立政権に合流、02年自民党に合流、小泉の下で環境相。つまり小池は6年間小沢と苦労をともにしたのである。その小池が何故小沢の下を去ったのか。小池はこのような言葉を残している。 「小沢一郎という政治家は結局「政権交代」しか念頭にない。最初に自分自身が描く結論ありきで、それが「政権交代」一点突破。私はその小沢さんの夢を実現するための「駒」の一つでしかなかった。」 「「国連中心主義」は国益を思ってのことなのか、憲法・法律論をいっているのか、突き詰められていません。小沢さんは昔から議論を吹っかけてたのしんでいるようなところがある。」 「小沢さんは政策よりも政局が第一なんです。政治の場面場面はすべて政局でしか見ない。いつもそうでした。「政権交代」をしたあとのイメージが彼からは見えない。その結果国民の生活が混乱させられるのが目に見えるようです」 果たして渡辺治もかつて立場は違うが小沢に対して同じようなことを書いていたと思う。小池の批判は鋭い。だからと言って、自民党に任せようという気にはならないが‥‥‥。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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