7728743 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

埋もれ火のアンソロジー

埋もれ火のアンソロジー

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
全て | カテゴリ未分類 | レナード・コーエン | であった本たち | あの頃の話 | 歌集め | 超低山歩き愛好家 | 忘れ難き人たち | とんぼちゃん | ガーネット・クロウ | 井上陽水 | 友部正人 | こんな夢をみた | 出来事あれこれ | 懐かしのTV・ラジオ | 写真凡句 | 聴かずに死ねるか!この1曲 | 詩篇~ノスタルジー | 神々への旅 | 身近な歴史シリーズ | 僕の紅白歌合戦 | 街道をゆく | 小田和正 | 昭和歌謡曲 | ことばの遊び場 | 映画テレビCM | NSP | ふきのとう関係 | 吉田拓郎 | 人・風景・暮らし | 中島みゆき | ボブ・ディラン | 昔作った歌 | 西岡恭蔵 | 書遊び | GS-グループサウンズ | 散歩寄り道遠まわり | 中村章三 | 聴きたい歌・聴かせてこの歌 | 僕の洋楽 | 牡羊座生まれの歌手たち | 斉藤哲夫 | 加川良 | CD紹介 | 嫌いな歌好きな歌 | タマ&茶々日記 | 山木康世 | 徒然日記 | 上々颱風 | 思いつきあの歌手あのグループの歌ベスト3 | 思い出の品々 | 踏切たち
2010.04.20
XML
カテゴリ:山木康世
0

高校では完全に落ちこぼれたが
そこは、ほら、自称「神童」のコックン。
名門西南学院大学恋愛学部片思い学科に軽く受かってしまった。

19年間の佐賀県伊万里市という大都会での暮らしに別れをつげ
1974年4月9日、九州のハッピーヒル=福岡にやってきた。
心の中には中学でであったTへの未練をいっぱい抱きしめながら。

高校時代の3年間で自分のあこがれるスタイルはおぼろに見えていた。
吉田拓郎
友部正人
加川良
この3人の歌がぼくの中にはいちばん心地よく聴こえてきていた。

さて、大学生活がはじまったと同時に音楽遍歴も激しく動いてきた。
最初は「コンサートに行く」という動きだった。
斉藤哲夫
加川良
なぎらけんいち
高田渡
三上寛
吉田拓郎
友部正人
中山ラビ
泉谷しげる
みなみらんぼう(ピアノは谷山浩子だった)
庄野真代
などなど・・・

アルバイトに下宿の先輩に誘われたのは
コンサートの警備
ステージ最前列で客が前に来ないように
壁になるというアルバイトだった。
そのコンサートは「氷の世界」が売れに売れていた井上陽水。
彼がコンサート後、タクシーまで案内する役目だったが
タクシーに乗ったとき「ありがとう」とあのミミズをつぶしたような声で言われたときは
「この男の歌も聴いてみようかな・・・」と思ったが、
やはり、「心もよう」のイメージが強く耳を塞いだままだった。

大学2年になった。
下宿に残ったのはぼくひとりということから
その下宿にやってきた15人くらいの後輩ができてしまった。
そのうち半数は浪人しているからぼくと同年齢。
半分が1つ年下という構成だった。

音楽遍歴にまたかすかな動きがはじまったのが20才。
1975年だった。
(ふきのとうは本格的に活動をはじめた頃でしょうか?)
後輩どもが大学生になった余裕からか
「コックン先輩、ギターを教えてください」と集まってきたのだ。
わずかのコードしか知らない俺と1年のチビヤマとがギターを持っていて
二人がやっと基本的なコードが弾ける実態の中で
「藤本ファミリーバンド」がつくられていったのです。
「藤本」というのは下宿の名前が「藤本下宿」だったからです。

練習曲は
ふきのとうの「初夏」
とんぼちゃんの「白い夏の詩」
などがヒットしてたので明星や平凡の付録にも歌詞とコードがあったからだと思う。
ふきのとうについては後日書くけど
「初夏」を練習曲に選んだのはFやBmのコードがなかったからだと思う。
とにかく後輩の弟子どもは
FとBmで立ち往生して、
F、Bmのない曲を選んで1曲マスターしたら
めちゃくちゃ意欲的になって喜んでいたんです。

藤本ファミリーバンドは合同コンパに女の子を誘うためにも利用していたそうで
「ぼくらバンドを組んでるですけど合コンしませんか?」
とかで何組かと能古ノ島(のこのしま)などにいき合コンした。
(写真が残っています)
そのあとカップルがうまれたりと、まさに性春でした。

3年になるとき留年が決まった。
麻雀ばかりして、試験を受けなかったのです。
親に申し訳なくて、そこから本格的にアルバイトをはじめました。
岩田屋で道産子なんとかとかケーキ屋さんの路上販売だとか
あとは家庭教師で大金を稼いではレコードとか詩集などを買っていました。

友部正人や吉田拓郎や中山ラビの影響で
ボブ・ディランのレコードを買ったのは高校生のおわりでしたが
この頃は、カナダの詩人であり作家だったレナード・コーエンが
ボブ・ディランの歌を聴いて自分でも歌いだして
そのコーエンに溺れていきはじめましたね・・・
ほかには
キャロル・キング
ライ・クーダ
ジャニス・イアン(コンサートにいきました)
ダイア・ストレーツ
ジェームス・テイラー
キャット・スティンブンソン
アーロー・ガスリー
などをかじるほど聴いてました。

藤本ファミリーバンドも解散コンサートを下宿でして
大騒ぎになって藤本のおばさん(大家さん)にめちゃ叱られたことも
今となっては思い出です。

で、ぼくは青葉荘という高級賃貸アパート102号室で
オサムくんという同級生との同棲生活をはじめたんです。
この1976年から78年までにナショナルのラジカセで
カセットに吹き込んだ歌が約200曲くらいになりました。
勝手に企業からCMソングの依頼がきたことを想定して
講談社の文庫本のCMソングや
岩波書店のCMソングなども作って遊んでましたね。
野口五郎から依頼があったことを想定して作った「冬の夜」
五木ひろしからの依頼を想定して作った「ひとつになることもなく」
など、たくさんの名曲があるんですがいまだに依頼はきませんね。(笑)

そうこうしているうちに
プロポーズ大作戦フィーリングカップル5対5にでたり
あれこれ恋愛学部片思い学科の単位もやっととりおえ
ぼくの短い5年間の学生時代が終わったのでした。

つづく。
(誰?そこで、まだつづくの!とため息ついた君!)
4月中に終わるから我慢してね。

白い冬


にほんブログ村 音楽ブログ フォークソングへ









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.04.20 22:15:00
コメント(0) | コメントを書く
[山木康世] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X