感情が引っ張られやすい話
少し私の話をします。(ブログという性質上、私の話以外の文章がある筈もない)子供のころから想像力豊かで、色んな視点から物事を見るタイプだった。それはずっと長所だと思っていたけれど、大人になり、短所でもあることに気付いた。・テレビで凄惨なニュースを耳にして、自分のことのように胸が締め付けられてしまう。・断片的な情報から、どんどん悪い方に想像して気持ちが沈んでしまう。・悲しい映画を見ると、気持ちが入り込みすぎて何日も鬱々とした気持ちを引きずってしまう。・通りすがりに聞こえた誰かの怒鳴り声が、胸の中で延々とこだまする。自分には全く関係のない事なのに、気持ちが引っ張られて抜け出せなくなってしまう。どこで何をしていても心身ともに疲弊するばかりで、自分の力が及ばないところで起きている事だから、根本的な解決もできずモヤモヤするしかない。この状態では、生きているだけで本当に消耗する。私はまさにこれだった。今もそうだ。この体質は簡単に変えられるものではない。テレビで交通事故の話を聞けば、被害者はどんな仕事をしていて、どんな家族がいたのだろうか。被害者の家族は今どんな気持ちだろうか。加害者は今どうしているのだろう、加害者の家族は、恋人は……。と、いう風に想像力が止まらなくなってしまい、自分も当事者と同じ気持ちを感じなければいけないような錯覚を起こしてしまう。何気なく見たドラマのワンシーンが悲しい場面だったりすると、何日もその悲しい感情だけが自分の中に残ってしまい、疲れてしまう。私の力ではそのドラマを再構築してハッピーエンドにすることは不可能だから、対処の仕様が無い。聞こえるところで誰かが怒られていると、自分も怒られているような気持がしてしまう。全く関係が無いのに。ここまで読んで、思い当たる人は意外に多いのではないかと思う。私が自分がそうであることに気付いたのは大人になってからで、対処法を探し歩いた。その結果、今はかなり楽になったので、少しでも同じ悩みのある人の助けになればと思い、私が実践していることを書こうと思う。とにかく、情報を遮断することだ。結論、これしか無い。先ほども述べたように、この体質はそう簡単に変えられるものではない。ならどうすれば自分を守れるか? 兎にも角にも不必要な情報を入れない事だ。私はまず、テレビを見なくなった。一方的に供給される情報に晒されるのは危険だからだ。情報は自分の意志で選んで入れる。そういう視点に変えると分かりやすいと思う。誘われた映画も危うさを感じたら断るし、話し声の多い人混みは極力避ける。それが無理なら意識的に耳を閉じる(これは練習が必要かも)。LINEニュースもデフォルトでスマホに入っているGoogleニュースも非表示にしている。SNSも、危うさを感じる記事をリツイートしがちな人はミュートにしたり、その人の意見自体が危うい場合はやむを得ずブロックもする。ここで言う危うさとは、自分が消耗してしまいそうな事柄の事だ。何となく、自分はこの手のニュースがダメだ、こういう話は疲弊する、という傾向があると思うので、普段から注意していると「もしかしたらこの話を最後まで聞いてしまうと駄目かも!」というのが分かるようになる。分かるようになってきたらひたすら遮断。冷たい人間に見えるかも知れないが、感情が引っ張られやすい人はここまでしないと自分を保てなくなってしまい、日々に生き辛さを感じてしまう。私はこれらを実践して、とても楽になったし、自分の研究にもなった。ニュースを見ない、SNSの取捨選択、これだけでかなり違う。テレビを見ない、と言っても平日の朝の身支度中にはニュースを20分ほど点けている。天気予報が主な目的だが、それだけでトップニュースを1~2個流し聞きでき、時事ネタにも後れを取らない。(逆に、それだけでみんなの話についていけるものだと知った)ただ、危ういニュースが始まりそうな時はテレビを消すか、別のチャンネルにすぐさま逃げるようにしている。個人的にはEテレがとてもおススメだ。ワンワンやサボさんの安心感は凄まじい。ちなみに、ここ最近で私が一番疲弊したニュースは煽り運転系である。本当に無理だった。それからというもの、交通関係のニュースは一切見ないようにしている。動物虐待等もずっと記憶に残る。胸の痛む事件、とはニュースでもよく使う言葉だが、その胸の痛みが長く続いてしまうところが私たちには厄介なのだ。これだけ読むと、強い共感力は短所ばかりのように見えてしまうが、そんな事は無い。――子供のころから想像力豊かで、色んな視点から物事を見るタイプだった。冒頭に書いたこの言葉だけなら、長所に見える。実際、本来これは特筆すべき長所なのだ。それについては、履歴書のアピールポイントのようになってしまうからここでは書かないが、辛い事ばかりでないのだ。短所となる側面をいかに抑え、長所として飛躍させるか、それは自分次第である。全てのことに目を向けなくて良い。自分にとって要らないものは遮断する。自分のしたいようにすれば良いのだ。誰もその事で怒ったりはしないし、もし怒る人がいたとしてもその人ごと遮断すれば良い。全てに寛容でなければいけないと思っていた頃よりも、今の方が私は良い状態だし、本当に大切な事に対して寛容になれる。全てを受け入れることなんてできない。自分の限界を見極め、できる範囲のことだけをすれば良い。私たちはどうせできる範囲のことしかできないのだから。今、私に必要な情報。猫たちが気持ちよく寝ている。コーヒーが冷めてきた。そのくらいで充分だ。