髪を切った話
髪を、切った。惰性でだらだらと伸ばすこと1年半。胸にかかるくらいの髪を、ベリーショートにした。惰性への言い訳として、この頃はヘアドネーションによる髪の寄付も検討していたのだが、30cm以上の健康な髪を納めなければいけない、というのはハードルが高く、髪が伸びるのが遅い私は断念した(15cmから受け付けてくれる場合もあるそう)。秋口頃からだろうか。手入れの行き届いていない私の髪は、乾燥や摩擦により、ひどい状態だった。切れ毛、アホ毛、ツヤもなくボサボサ。その様は、碧の黒髪の対極にあったと言える(黒髪のアホ毛は本当に目立つ!)。櫛を通せば絡まり、髪を結えばパサついて跳び出てくる。思い通りにならない髪に、私は毎日腹を立てていた。ならばさっさと切れば良いものを、何故切らずにいるのだ。もちろん私もそう思いながら日々を過ごしていた。しかしそこには、「女」性への執着が息を巻いていたのだ。人は誰しも、自分の心の中に幻想の女(あるいは男)を住まわせている。その女は理想を体現したかのようであり、つまりは100点満点の姿なのだ。多様性を謳う現代において、幻想の女もまた多様化している。ある人は長い黒髪の病弱な女であり、ある人は金髪の活発な少女である。またある人は恰幅の良い恵比須顔の肝っ玉母ちゃんかもしれない。おそらく、私の幻想の女は、昔ながらの日本女性。長い黒髪で白い肌の控えめな人物なのだろう。幻想の女から離れまいとして、私は髪を切れずにいたのだ。もちろん、無意識的にである。心の中に形作られるものというのは、幼い頃からの経験や習慣によるものが多い。私の幻想の女もまたそうである。それは過去の遺物であり、今の私に必要なものではないのだ。そろそろ、更新の時である。今の生活を見つめると、髪を長く伸ばしていることのメリットを何一つ思いつけなかった。それが分かったその日のうちに、私は美容室の予約を取っていた。分かってみれば簡単な事である。今の生活に合う髪型をすれば良い。至極当たり前のことである。しかし、幻想の女が手招きして、――あるいは恨めし気に私を見つめて――その解答を妨げていたわけである。ありがとう、幻想の女。あなたもまた、私の一部であったのだ。幻想を飲み下し、私は現実に戻ることとする。髪がバッサリと無くなった時、すっと胸の空く思いがした。ちなみに、ベリーショートは男ウケする髪型ランキングにおいてワースト1位らしい。誰が調べたのか知らないが、喧嘩上等である。長い髪をメンテナンスできるほど、私は髪への愛が無かった。管理できる分だけ、そう考えた結果ベリーショートになった。主人よりも短くなった髪が軽やかである。最近はボーイフレンドデニムをよく着用しているが、それは女らしい人が着ることで成り立つ仕様であり、一昔前の男性アイドルみたいになった私が穿いていては意味合いが変わってくるのでは? などと思ったりしている。今、幻想の女は不在にしているが、また新たな幻想の女が派遣されてくるのだろう。いつしかそれが自分の姿であったとき、私はひとつのゴールに辿り着いたことになる。あまりにも髪の状態が酷かったので、反省としてパドルブラシを購入した。見た目重視で無印良品。某有名なメーカーのものはラクマやメルカリで安く出ているようなので、気になる人は要チェック。