怖い話・ホラーへの興味
夏といえば怖い話、というのは定番中の定番であり、スイカや風鈴同様に季節感を感じるもののひとつである。例に漏れず、私も夏になると怖いもの成分を摂取したくなる。夏休み期間中は「学校の怪談シリーズ」や怖い話特集がTVで放送されるので、それに起因するのだろう。私の母という人は、子供たちが寝静まった真夜中にストロング系チューハイを飲みながら邦ホラー映画を視聴するのが趣味だった人で、現在はレディースデイを利用して1人気ままにホラー映画を見に出かけている。邦ホラーを見ていることが多かったので、洋物は好きじゃないのかな?と思っていたけれど、好きな映画を聞いたところ「エクソシスト」と「オーメン」だった。母は昔から、日中はよく読書をしている。母の本棚を見るとやはり、怖い話の類が多い。根っから好きなのだろう。私はというと、母の影響で有名どころのホラー映画は子供の頃に一通り見たと思う。だからホラー耐性はあると思っていたけれど、実は最近「いや、私はホラーは苦手だ!」と気付いた。子供時代の私は、ブラックコーヒーやワサビと同じように、ホラー映画を見られるなんて大人!と感じていたに違いない。本当にここ最近で気づいたのだが、邦ホラーなんてじっくり見たら怖くてトイレに行けなくなってしまうではないか。以前は雰囲気だけ味わっていて、怖くて内容はあまり見ていなかったのだろう。その証拠に私は数々のホラー映画の設定や内容を正しく思い出せない。でも、夏はやっぱり怖いもの成分が欲しくてうずうずする。胃が痛くなろうと、辛いものが食べたくなる現象と同じだ。この現象に名前はあるのだろうか?映画やTV番組は怖くなりすぎてしまうので、ドットの粗いホラゲ実況や、ほんのり怖い昔話程度で充分だ。生々しい実体験なんかは怖いのでSNSは見ないが吉である。そんな中、ずっと気になっていた「遠野物語remix」を古書店で見つけ、少しずつ読み進めた。なるほど、面白い。私にはちょうど良い怖さ。そして丁度良い怪しさ。まさに私が求めていたのはこれである。元々京極夏彦作品は大好きで親しんでいたせいか、私には非常に読みやすかった。柳田國男による遠野地方の記録だが、京極夏彦の手が加わり、なるほど物語としてもさくさく読める。記録ということもあり、妙なリアルさがあるのも面白い。恐怖の度合いが分かるというのだろうか、「嗚呼、この恐怖感は分かる」という感じがした。例えば、TVから突然化け物が出てくる恐怖というのはすごすぎてどんなものか良く分からないが、暗い夜道で得体の知れない音が聞こえてくる恐怖なら、少し想像できる。しっかり怖いけど、絶叫する恐怖とも違う。緊迫した一人称視点ではなく、あくまで聞いた話として客観的に書かれているので程よい怖さ。多分私は、本格ホラーは苦手だけど、客観的に見られる怪しい話が好きなのだ。だから私はもう「ほん怖」は見ない!(笑)【中古】遠野物語remix / 京極夏彦母は怖い映画を見るとき、脅かし要素があってもピクリとも反応しない。びっくりもしないし終始表情も変わらない。母が「怖かったー」等と言っているのも聞いたことがない。映画を見終わると大体物足りないという顔をしている。それなのに何故ホラー映画を見続けているのか、それもまたホラーである。