昭和の劇
『昭和の劇/笠原和夫』を読み終えました。『仁義なき戦い』などのヤクザ映画で有名な 映画脚本家「笠原和夫」氏の「集大成」といっていい、 中身の濃い本です。 全部で600ページで4,286円ですので、 まさに「聖典」を買う覚悟で読みました。 中身は「笠原和夫」氏と、脚本家「荒井晴彦」氏と、 文芸評論家「糸圭秀実」氏の三者による「対談」という 形で進められていますので、思ったよりも読みやすく、 かつ今まで読んだ「笠原和夫」氏の著書では、「匿名になっていたりボカしてあった人や出来事」が、 ほぼ全て「詳しく書かれています」ので、 まさに「値段」だけのことはありました(^^) 非常に中身が濃く、「笠原和夫」氏の「哲学」が あますところなく網羅されています。 まさに「昭和とともに生きた男」の、「反骨心」にあふれ、「一本筋の通った」考えおよび 生き方の重量感と説得力には、うならされます。 何よりも、「一本の作品」を書く上で、 必ず「取材をした上で書く」という姿勢からくる「説得力」、これは大きいですね。 全てについて書いたとしたら、「日記1週間分」になってしまいますので、 それは断念することにして、 中でもボクが一番印象に残った部分を紹介して みようと思います。 ボクはどんなことがあっても、絶対に「刑務所」に 入ることだけにはならないようにしようと心に決めている のですが、その理由は「刑務所に入ると、オカマを掘られる」 という噂を以前から聞いていたからなのです。 しかし「外国映画」では、そのような描写がよく出てくるものの、「日本映画」では、そのような描写はかげもかたちも全くなく、 実は「日本の刑務所」においてはそれはないのかなと 思いかけていました。 しかし、やっぱりあるそうです、そして「笠原」さんが その「エピソード」を「脚本」に書こうと思ったら、「止められた」とのことでして、なるほど「規制がかかっている」ゆえに、そのような描写がない だけだったのかと、納得するとともに、 やはり「刑務所」だけには入ることがないようにしようと、 あらためて心に決めました……。 で、「刑務所」では、「色白で若くてきれいなタイプの男」が、「ヤクザの幹部などのコワモテの男」に目をつけられて、 確実に「愛人」にさせられてしまうようでして、 これは「掘られる男」にしてみれば、 非常に「屈辱的」なことなのですが、 ムリにでも受け入れるしかない……。 しかしそうしているうちに、「掘られた男」たちは、「出所」して「女を抱こう」としても、 たいてい「できない」のです……、「できなく」なってしまう……。「できない」という「コンプレックス」を抱えて、 結局「男になりたい」ということで、 それで「昔の兄貴分」あるいは「刑務所で掘られた男」に 頼みにいきます……。 で、何か事が起きたら、電話1本受けただけで「行きます!」と言って、スーッと行ってバーンと殺して、 あとは一切しゃべらない、そうすると「あいつは男だ」 ということになって、「刑務所」に入っても、 もう「掘られる」ことはないという……、 そして「掘る側の男」たちは、そういう「愛人」を 何人か囲って「鉄砲玉」にしているというわけで……、 しかし、そういう「道」が与えられなかった「男」の中に、「幼児や幼女などの強姦」などの「異常犯罪」に 走ったものは多いのではないかと……、 あくまでも著者の推測ですが。 しかしこの話はボクにとって他人事ではないのです。 この話はもう書かないでおこうと思っていたのですが、 実はボクは病気によって「10数年間エッチが出来ない」体 だった経験がありまして(今は無事回復しています)、 まさにその時は、「劣等感の塊」といいますか、 何をやっても「自分の中の屈辱感」が消えず、 かといってうまい具合に「反骨心」みたいなものに つなげることは出来ず、 そういうことを考えないようにしようと すればするほど、「嫉妬心」「情けなさ」はつのり、 どんどん「屈折」していったものでした……。 これは女の人にはわからない、「男」にしかわからない実感なのではと思うのですが、 なんだかんだいっても、「男」にとって、「できるかどうか」って、非常に大きいのです……。 笠原氏の「やっぱり暴力というのは、 男が自分ができないと自覚した時、初めて生まれるものでね。 本当に女を満足させられる自信がある男は、 女に暴力なんか振るいませんよ」の一文は、 非常に「説得力」を持ってボクに響いてきまして、 まさにその通りだなぁと実感しました。 笠原氏も、昔はよく女を買いにいったとのことでして(書いてしまってすいません……)、 でもヒット率は6割で、あとの4割は不能になる場合があり、 そういう時は、エラく暴れたくなるとの話、 ボクも「経験者」だったゆえ、よくわかります(恋人同士だったり、気心しれて、お互いに弱みをみせられる くらいの阿吽の呼吸の仲であれば、リラックスしているので、 たとえできなくても関係ないのですが、 初対面の一発勝負の場合、相性が合わないとそういうことは よくある話でして、そんな時、まさに自分の情けなさと屈辱に まみれるといった感じでして、 男とはかくも繊細な生き物なのです、 何かこんな暴露話してしまって、いいのかなぁ……)。 もちろん笠原氏もボクも、その時に 女性に暴力をふるうということは全くなく、 ただただ「鬱屈していただけ」であることは言うまでもありません。 そして「やくざ映画」における、「男が女のすがりつく手をふり払って殴り込みに行く」 というのは、「我慢のストイシズム」でなく、「できないから行く」のだと……、 つまり、「ヤクザ映画」を「男の暴力」として見るよりも、「インポテンツ映画」という「視点」から見ると、 より「核心」に近づくという、この「視点」には うならされるとともに、長年のわだかまりが溶けたような 気分であります。 ちと「露骨」すぎる部分をとりあげてしまったかなと、 特に女性が読んだ場合のことを考えて、 不安になりつつも、どうしても外せない、書きたい部分 ですので書いてしまいました。 このような、「核心」をついた「本音」が そこかしこに記されているまさに「聖典」のような「名著」です。もし興味がありましたら、 ぜひ読んでみることをお薦めします。 あと、『映画はやくざなり/笠原和夫』も読みました。 こちらも良いです(^^) 特に「シナリオ骨法十箇条」のコーナーは、「シナリオ」「小説」「エッセイ」などを書く上で、「基本」となる「教え」が書かれていますので、「文章の創作」にかかわる人は必見なのではと思いました。