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2014年08月06日
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カテゴリ:2014夏
 終戦記念日が近づくと、毎年、第二次世界戦争の話題が多くなる。

 スタジオジブリの「風立ちぬ」が公開されて早一年。

映画館には行けないのでDVDで鑑賞した。感想をブログに書こうと思っていたが

暑さでノビてしまい・・・ヴァレリーの難解さも手伝っていたが、偶然にも昨日、

「刑事コロンボ」の再再々・・・放送の、「愛情の計算」(最新最強のシンクタンク内での、

分子構造論の研究論文の盗用をめぐっての殺人事件、スティーブン・スルバーグが出てくるヤツ)を

見終わった直後、笹井氏の自殺のニュースが入った。

 最初に言っておくが一個の生物としての存在であるならば、命を全うすることは

最高の使命である。それがどんなに惨めなものであったとしても、

 「生きようと試みなければならない。」

 これが宮崎駿監督の作品「風立ちぬ」の全体を貫いている、ヴァレリーの言葉である。

 ジャン・ベルナール氏のヴァレリー思想論によると、医学の歴史には

四つの時代区分があり、果てしなく続く幼年期ともいえる第一期、第二期は

ダーウィンの種の起源の出版からパストゥールの諸実験、クロード・ベルナールの「実験医学入門」、

そしてメンデルの遺伝の法則の発見までの約二十年間。

 第三期はスルフォン酸アミドの発見から始まる第二次世界大戦前夜から始まり、

第四期は私達の生きている時代で、遺伝子コードと分子病理学が登場する時代である。

このように見ると第二期と第三期の間には四分の三世紀ほどの停滞期があることがわかる、それは

この停滞期、医学と生物学はほとんど進展せず、代わりに物理学、工学技術が爆発的に

進展した時代だという。この時代こそ、ヴァレリーの生きた時代であり、

「風立ちぬ」の時代背景である。多くの人々の関心は生命よりも物理学や工学に写っていた、

つまり戦争の忌まわしい影が世界を覆っていたから。人々は物理や機械工学の進歩こそ

生物や生命そのものの研究より益をもたらすものと信じていた。現代は

遺伝子解析が完了し、代替医療が実現可能になり、そのスピードも加速されている。

この時代に生きる私達には、かの時代はどう映るだろうか、理解できるだろうか。

またそこから何を汲むべきだろうか。

 面白いことにこの主人公は、航空工学を学ぶが最高の完成体としての美は生物のなかに見出す。

最後の場面で登場するこの人の作ったゼロ戦は、工学技術の結晶だがまるで

水中を疾り空中をも飛ぶトビウオに似ていて、工学の目指す究極の形は生物にすでに

実現しているということを示唆している。

 震災のさなかで出会った不思議な少女、菜穂子にヴァレリーの詩「海辺の墓地」の一節を

投じられるが、再会するまでの十年近くはその詩を反芻するのみである。それは

戦争に利用され教育された、日本人の美意識、人間の一生は死に際に決まる、

美しく散るのが良いんだという日本人の美意識とまるで異なるのだ。

 一方菜穂子は不思議な女性だ。二郎と再会するまでの少なくとも二年間は、じっと「死」を

見つめていた。泉は、生命ある世界と黄泉の世界の狭間にある。つまり泉と対話していたと

いうことは、死と対話していたということなのだ。この作品に登場するシューベルトの作品に

「冬の旅」があるが、「死と乙女」も暗に登場している、菜穂子は「死と乙女」の対話の

続きをしていたのだろう。そして一種の「取引」をする。

 いつかは死を受け入れる代わりに、愛し、愛される者を与えられるというものだったろう。

そしてつかの間の「生」を選ぶ。そしてその代償であるかのように、二郎と再会したその夜、

肺浸潤とか肺尖カタルとかぼかして言われていた初期の結核は、絶対に戻ることのない

次なるステージに移行する。

 思うに菜穂子は知的な女性である。専門的な知識はなくても、物事を的確に見抜く。

軽井沢で楽しんだ彼らの会話は相当ブッ飛んだものであったろう。紙飛行機で遊びながらも

それが示唆するものは流体力学の新しい試みやランダムセオリー・・・それが証拠には

菜穂子と出会った後二郎にはアイデアがガンガン湧いて、それは次の試験機の成功に導くものだった。 

 ところが菜穂子はその後病状が悪化し、ついには肺出血を起こしてしまう。

二郎の夢が本人は気づかないうちに戦争に巻き込まれて、いはば病んでいく様に。




 この本、結構面白い。技術は戦後、GHQによって封印されてしまったが・・・




 こっちも面白い。これは今は亡きわが父の乗っていた機である。

不思議な時代だ。堀越と土屋は帝大の同期生で、片や三菱、片や川崎に入社して

それぞれ後世に名を残す機体を世に送り出した。

 だけどね。国家予算の85%以上を軍事に使っていたという当時の日本。

それじゃ軍事関係以外何もできないのが当たり前。

もし、同じ開発に使うにしても、生化学や薬品開発等、生命関する技術に使っていたら

多くの人命が救われただろうに・・・いかに人の命を軽くみていたかということだ。

 つくづく為政者の誇大妄想には用心しなければならないと思う。

 また続きは後で。





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最終更新日  2014年08月06日 22時07分35秒
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