ルーヴル美術館 8 (天井の装飾)
ルーヴル美術館 8 (天井の装飾) フランス(France)パリ(paris)セーヌ川右岸1区ルーヴル美術館(Musée du Louvre) Part 7ルーヴル宮殿室内装飾ルーヴル宮殿の室内・・と言っても下は作品の展示になっているので、天井ばかりですが、あまりに素晴らしかったので写真にとっていたものから少し紹介します。宮殿内の様式や時代もまばら、撮影場所も定かではないですが主にバロックです。最後に変わり種もありますが・・。さすがフランス王家の宮殿です。やっぱりゴージャスです1650年代to欧州では建築、絵画、彫刻、演劇、音楽と、文化の潮流がバロック芸術へと移行。ルイ14世の改修はそんな中で行われています。ルイ14世の宰相マザランはイタリア出身であった為に1640年代からイタリア・バロックが導入。特に建築家フランソワ・マンサールは、古典的なバロック建築を好んだようで1667年~74年)のそれは、フランス古典主義建築の最も完成された姿、ルイ14世様式とも呼ばれるようです。部屋のコーナーを飾るこうした彫像は単体でも貴重な美術品です。ローマに留学していた画家ル・ブランは、ベルサイユの内装をローマ・バロック様式で手掛けていますが、天井装飾は、スタッコ装飾またはトロンプ・ルイユ(だまし絵)の技法による額縁に縁取られた天井画を描いています。それに対してここにトロンプ・ルイユ(だまし絵)の技法はありません。すべてリアル彫像になっています。ところで、ルイ14世は、ルーヴル宮殿の改修に巨費を投じながらも、1660年宰相であったマザランが死去すると、忌まわしい思い出のパリを捨て父王の好んだベルサイユに王宮を移してしまいます。(1678年ルーヴルの工事も中止)ニコラ・フーケのヴォー・ル・ヴィコント城のせいだけではありません。僅か4歳で即位したルイ14世にとってパリは内乱の多い恐ろしい街だったようです。一説には潜在的な民主嫌悪症があって、ルーヴルがパリの民衆に取り囲まれているのが不安だった・・と言われています。昨年6月の「ベルサイユ宮殿 1」と3で紹介。本当に、「威厳」と言うものを感じる装飾です。ベルサイユよりこちらの室内装飾の方がお金がかかっていると思います。6月「ベルサイユ宮殿 3 (ベルサイユ宮殿とパロック芸術)」でフランス・バロック様式について少し紹介しています。ベルサイユは当代唯一の芸術家の御三家(美術家、建築家ル・ボー、画家ル・ブラン、造園家ル・ノートル)が造りあげたトータル芸術で、傑作ではありますが、ルーヴルはベルサイユの装飾より私好みかもしれないかなり傾向の違うこの部屋は新古典様式の影響ありつつ・・の帝政様式なのかもしれません。帝政様式(Style Empire)建築での帝政様式はあまり見かけませんが、基本はデザインの様式です。ナポレオンのフランス第一帝政時代に始まりフランスの地位を理想化することを意図したもの・・だそうで、分類としては第2次新古典様式と見なされる場合も・・・。帝政・・Empire のフランス語発音からアンピール様式、英語読みでエンパイア・スタイルとの呼び方もあります。(私はナポレオン様式と呼んでますが・・家具では赤色に金彩色のテキスタイルが特徴かもしれません。足や肘掛けがエジプトを思わせる派手な彫刻がある場合も。本当にどこもかしこも、「凄い」に尽きます。絵画だけ見て帰るのはもったいない。おそらくナポレオン3世の時代か? より新古典様式でも帝政様式の色濃く出た装飾の部屋。なかなか見られない装飾です。例えるならギュスターブ・モローの絵画のようです。絵画部門、最近写真撮影ができるようになったので若干あるのですが。気がついたら連休に突入・・・明日からちょっとお出かけですパソコン持って行くので更新なるべくするようにしますが、休日バージョンで行きますルーブル美術感一応終わりです。back numberリンク ルーヴル美術館 1 (ニケ、ヴィーナス他、彫刻)リンク ルーヴル美術館 2 (ギリシャ彫刻)リンク ルーヴル美術館 3 ( ミケランジェロの奴隷像)リンク ルーヴル美術館 4 ( オリエント美術)リンク ルーヴル美術館 5 (オリエント史)リンク ルーヴル美術館 6 (エトルリアの棺)リンク ルーヴル美術館 7 (宮殿小史)ルーヴル美術館 8 (天井の装飾)