サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 13 (聖ヤコブの棺、聖なる門)
ラストにBack numberを追加しました。27日の夜に出国するので、終わるかどうか際どい所です今日は荷物の集配があるので、慌てて荷物を造りましたが、それとは別に仙台の白謙から笹かまぼこも今日届くのです。これら生ものは当日成田に持ち込んでからスーツケースに詰め、他にも直前にお漬け物や和菓子も購入してお土産にしています。姉はグルメなのでメーカー指定が多いのです。国によっても多少異なりますが、今はたいていの品がお金を出せば手に入ります。でも、老舗の生ものは難しく、重いし面倒だし、そう言う物を持って来てくれる人は少ないようです。因みに昔はお茶や海苔・・と言った軽い物が海外旅行の定番でしたが、金額的に高くなるので最近はほとんどないようです。そうだ日本茶を買うの忘れてた・・・ イッケネー! (・_・ゞ-☆サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 13 (聖ヤコブの棺、聖なる門)ガリシア州、ア・ コルーニャ県サンティアゴ・デ・コンポステーラ聖ヤコブの棺聖なる門(Puerta Santa)・・免罪の門古来聖遺物収集は盛んに行われて来ましたが、中世ヨーロッパでは聖遺体、聖遺物崇拝がすさまじかったと言います。聖ヤコブの棺前に紹介したようにここは聖ヤコブの墓所です。聖堂の主祭壇下には聖ヤコブの棺が祀られています。地下聖堂入り口sepulcrum 墓、埋葬 sancti Iacobi 聖ヤコブ Gloriosum 栄光に満ちたたぶん栄光に満ちた聖ヤコブの墓所・・と記されているラテン語だと思います。詳しい説明が無いのでわかりませんが、ここは初期聖堂が建てられた時の基壇(教会の基礎を築いた所)となった位置のようです。近づいて見る事はできません。棺は銀色に金の細工です。中央にキリスト、左右に12使徒の8人が浮き彫りにされています。伝説では、聖ヤコブの遺骸を運んだ弟子は大理石の石の上に聖ヤコブを乗せたと言います。すると奇跡、石はヤコブの体の形に溶けてそのまま石棺になったと言う事です。もしそれを多少なりとも信じるのであれば、最初の棺は人型の小さな石棺だったと言う事かもしれません。この銀の棺は、この上のスペイン・ゴシックの祭壇ができた頃に造られたのかも・・・。尚、地下墓地は他に聖ヤコブの二人の弟子テオドロとアタナシウスも葬られている・・と言いますがそれはどこか解りません。聖なる門(Puerta Santa)・・免罪の門ところで前々回に栄光の門を紹介しましたが、ここには他にもとても有名で有り難い門があります。以前「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 7 (レオン) のサン・イシドロ教会(Leon Basilica San Isidro)の所で、聖年であるヤコブの年にのみ開かれる「免罪の門」をくぐる者は生前犯した罪が許され、死後天国にいける。・・と言う紹介をしましたが、聖ヤコブの教会であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの聖なる門(Puerta Santa)がそれにあたります。それは教会の裏手にあります。外からの入り口門の装飾はプラテレスコ様式のようです。おそらく中央が聖ヤコブ、左右が弟子のテオドロとアタナシウス。下の24人はちょっと不明です。聖ヤコブを図像縁の広い帽子、大きな外套、巡礼の印の貝と杖、そして水筒となるひょうたんを持った中世巡礼者の姿で表現される事が多いようです。この門がまさにそのお手本かもしれません。因みに聖ヤコブの貝は俗にホタテガイと呼ばれてきましたが、本当はイタヤガイです。聖なる門(Puerta Santa)(免罪の門)の聖堂側扉の上部ステンドグラス。もちろん聖ヤコブステンドグラスは内部からしか見られません。聖なる門(Puerta Santa)お気づきでしょうが、扉は開いていません。これは2009年9月の写真です。聖年は翌年2010年なのです L(>0<)」オーマイガッ!聖ヤコブの聖年聖年は聖ヤコブの聖名祝日である7月25日が日曜日に重なる年がそれとされ、その年にのみ聖なる門(Puerta Santa)は開かれるのです。(1年間)そして、その門をくぐった者は全ての罪が贖罪(しょくざい)される・・・と言う御利益が付いてくるのです。当然聖年に巡礼する信者はとんでもなく多いわけです。この門の前も行列で、写真などとれたものではないでしょう。聖ヤコブの聖人・記憶日カトリック教会では7月25日正教会では4月30日(ユリウス暦を使用する正教会では5月13日)。誕生日と記載している人もいますが、聖名祝日(英語ではname day)は聖人により異なり、殉教者の場合は命日であることが多いようです。一般には統一はされておらず、中には由来が不明な聖人も多いようです。(毎日たいてい誰かの記憶日です)両サイドは弟子のテオドロとアタナシウス? と思いきや、この門が造られる前に聖歌隊席を飾っていた名匠マテオの預言者と長老像を再利用したもののようです。免罪の門と免罪符この聖なる門は1582年から開かれているようで、おそらくその年にできたのかもしれません。この頃、こうした免罪の門が大量にできた可能性があります。中世以降、カトリック教会がその権威によって罪の償いを軽減できるという思想が生まれています。「贖宥」と言われるものです。「贖宥(しょくゆう)」・・カトリック教会で、信徒が果たすべき罪の償いを、キリストと諸聖人の功徳によって教会が免除すると言うシステムで、この時カトリックの教会は免罪符(贖宥状)と言う札を大量発行しています。免罪符(贖宥状)の大量発行がマルティン・ルターの宗教改革の要因の一つでもありましたが、結果カトリック教会では贖宥状の金銭での売買を禁じたそうです。(発行そのものは禁止されなかった。)カトリック教会は札の代わりに免罪の門を造った? 可能性がありそうです。免罪符については2016年05月「アウグスブルク 6 フッゲライ 2 免罪符とフッガー家」でなぜ免罪符ができたのか? について書いています。リンク アウグスブルク 6 フッゲライ 2 免罪符とフッガー家青銅の門?上段・・弟子に説法している図?中断右・・聖ヤコブの殉教図(聖ヤコブは捕らえられて斬首刑となっています。)下段左・・亡くなった聖ヤコブを天使が見舞っているようです。下段右・・おそらく天使に導かれて羊飼いが(修道士の説もある)聖ヤコブの棺を見つけた図です。解説が見当たらなかったので以上は私の推測です f^^*) ポリポリ扉だけ見ると聖ヤコブとサンティアゴ・デ・コンポステーラの起源を示しているようで、どこが免罪の門なのか? と疑問がありました (・_・?) ハテ?サン・ピエトロ寺院にも聖なる門ところでイタリア、ローマ、バチカンのサン・ピエトロ寺院にも聖なる門(Puerta Santa)があります。サンチャゴ・コンポイステーラの場合は聖なる門(Puerta Santa)は聖ヤコブの年にのみ開かれますが、サン・ピエトロの方は25年に一度開かれ、同じく犯した罪が贖罪されると言います。扉の開放については25年毎以外に、ローマ法王が特別聖年をもうけた年には開かれるのだそうです。さて、こちらのサンティアゴ・デ・コンポステーラの聖門が次に扉を開くのは2021年です。遠いなー (Ω_Ω)クスン因みにサン・ピエトロの聖門の起源はは1475年らしいです。※ ヴァチカンの性なる門について書いています。リンク 聖人と異端と殉教と殉教者記念堂サン・ピエトロ大聖堂次回終章 リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 14 (ボタフメイロ・プロビデンスの眼)Back numberリンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 1 (巡礼)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 2 (中世の街)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 3 (ブルゴス 1)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 4 (ブルゴス 2)リンク ブルゴス(Burgos)番外編 エル・シドリンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 5 (ブルゴス 3)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 6 (ブルゴス 4)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 7 (レオン)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 8 (オスピタル・デ・オルビゴ橋)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 9 (オ・セブレイロ峠)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 10 (聖ヤコブの墓地)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 11 (栄光の門)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 12 (聖域、ヤコブ像) サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 13 (聖ヤコブの棺、聖なる門)リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 14 (ボタフメイロ・プロビデンスの眼)