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淳心房さんの《真偽検証》は2020/9/21の記事
《どういうことだ?》にて、 飛雲さんの《飛雲》にて何度も書かれてる 《親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点》 を引文されてまして。 当該記事のコメント欄にてAbcさんが補足されてました 文章も込みで、コチラに載せました。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点 1.獲信していない人の死後はどうなるか 親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生) - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - 高森会長 必堕無間 2.五逆罪・謗法罪について 親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている 3.善人と悪人について 親鸞聖人 善人と悪人とがいる - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である 4.獲信のために善は必要か 親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない 5.白道とは 親鸞聖人 自力の心にあらず - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 自力 6.定散二善について 親鸞聖人 定散二善を捨てよ - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 定散二善をせよ 7.19願について 親鸞聖人 19願を捨てよ - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 19願を実践せよ 8.宿善について 親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない 9.機の深信について 親鸞聖人 自力では出離できない - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる 10.法の深信について 親鸞聖人 往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 浄土往生が火に触ったよりも明らかに知らされる 11.善知識に無条件服従しなければならないか 親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 善知識に無条件服従せよ 12.因果の道理について 親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 因果の道理を深信しなければならない 13.三願転入について 親鸞聖人 聖道門の人を浄土門に導く方便が19願であり、19願の勧めはない - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 全人類は19願から始めなければならない 14.「一向専念無量寿仏」について 親鸞聖人 諸善を廃して念仏1つになること - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 高森会長 阿弥陀仏1仏に向かって諸善をすることも含む ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ ↑ (Abcさんのコメント) Abcです こんばんわ、Abcです。 この対応表も何回もみましたね。それほどまでに 会長の説は「誤解曲解」ということなのですが。 上記「14の説」の『参照文献』を独断と偏見で記しました。 (他にも、該当箇所があると思うので「一例」としてみてください ーーー 親鸞聖人の仰せ と 参照文献 1.獲信していない人の死後はどうなるか 親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生) 『御消息』 仏恩のふかきことは、懈慢・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、 弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、 不可思議のたのしみにあふことにて候へ。仏恩のふかきこと、そのきはもなし。 いかにいはんや、真実の報土へ往生して大涅槃のさとりをひらかんこと、 仏恩よくよく御案ども候ふべし。 2.五逆罪・謗法罪について 親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる 『御消息』 師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふ よしきき候ふこそ、あさましく候へ。すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。 なれむつぶべからず。 『浄土論』(論註・上意)と申すふみには、「かやうのひとは仏法信ずる こころのなきより、このこころはおこるなり」と候ふめり。 また至誠心のなかには、「かやうに悪をこのまんにはつつしんでとほざかれ、 ちかづくべからず」(散善義・意)とこそ説かれて候へ。善知識・同行には したしみちかづけとこそ説きおかれて候へ。 悪をこのむひとにもちかづきなんどすることは、浄土にまゐりてのち、 衆生利益にかへりてこそ、さやうの罪人にもしたがひちかづくことは候へ。 それもわがはからひにはあらず、弥陀のちかひによりて御たすけにてこそ、 おもふさまのふるまひも候はんずれ。 3.善人と悪人について 親鸞聖人 善人と悪人とがいる 6.定散二善について 親鸞聖人 定散二善を捨てよ 9.機の深信について 親鸞聖人 自力では出離できない 『唯信抄文類』 みづからの、おのおのの戒善、おのおのの自力の信、自力の善にては 実報土には生れずとなり。 「不簡破戒罪根深」といふは、「破戒」は上にあらはすところのよろづの道俗の 戒品をうけて、やぶりすてたるもの、これらをきらはずとなり。 「罪根深」といふは、十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人、おほよそ善根すくなきもの、 悪業おほきもの、善心あさきもの、悪心ふかきもの、かやうのあさましきさまざまの 罪ふかきひとを「深」といふ、ふかしといふことばなり。すべてよきひと、あしきひと、 たふときひと、いやしきひとを、無碍光仏の御ちかひにはきらはずえらばれずこれを みちびきたまふをさきとしむねとするなり。真実信心をうれば実報土に生るとを しへたまへるを、浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。 『教行証 化巻』 ここをもつて『経』(観経)には、(乃至) 「汝是凡夫心想羸劣」といへり、すなはちこれ悪人往生の機たることを彰すなり。 「諸仏如来有異方便」といへり、すなはちこれ定散諸善は方便の教たることを顕すなり。 4.獲信のために善は必要か 親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要 『末灯抄』 『宝号経』にのたまはく、「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、 ただ仏名をたもつなり」。名号はこれ善なり行なり、行といふは善をするについて いふことばなり。本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、 善にあらず行にあらざるなり。かるがゆゑに他力とは申すなり。 5.白道とは 親鸞聖人 自力の心にあらず 『教行証 信巻』 白道とは、白の言は黒に対するなり。白はすなはちこれ選択摂取の白業、 往相回向の浄業なり。黒はすなはちこれ無明煩悩の黒業、二乗・人・天の雑善なり。 道の言は路に対せるなり。道はすなはちこれ本願一実の直道、大般涅槃、 無上の大道なり。路はすなはちこれ二乗・三乗、万善諸行の小路なり。 7.19願について 親鸞聖人 19願を捨てよ 『愚禿抄』(下) 次に行に就いて信を立つとは、しかるに行に二種あり。 一には正行、 二には雑行なり (乃至) 上よりこのかた一切の定散の諸善ことごとく雑行と名づく、六種の正に対して 六種の雑あるべし。雑行の言は人・天・菩薩等の解行雑するがゆゑに雑といふなり。 もとよりこのかた浄土の業因にあらず、これを発願の行と名づく、 また回心の行と名づく、ゆゑに浄土の雑行と名づく、これを浄土の方便仮門と名づく、 また浄土の要門と名づくるなり。 8.宿善について 親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない 『唯信鈔文意』 また「自」はおのづからといふ、おのづからといふは自然といふ、 自然といふはしからしむといふ、しからしむといふは、 行者のはじめてともかくもはからはざるに、過去・今生・未来の一切の罪を転ず。 転ずといふは、善とかへなすをいふなり。もとめざるに一切の功徳善根を仏の ちかひを信ずる人に得しむるがゆゑにしからしむといふ。 はじめてはからはざれば自然といふなり。誓願真実の信心をえたるひとは、 摂取不捨の御ちかひにをさめとりてまもらせたまふによりて、 行人のはからひにあらず、金剛の信心をうるゆゑに憶念自然なるなり。 この信心のおこることも釈迦の慈父・弥陀の悲母の方便によりておこるなり。 これ自然の利益なりとしるべしとなり。 10.法の深信について 親鸞聖人 往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず 『御消息』 如来の御ちかひなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人(法然)の 仰せごとにてありき。義といふことは、はからふことばなり。行者のはからひは 自力なれば義といふなり。他力は本願を信楽して往生必定なるゆゑに、 さらに義なしとなり。 しかれば、わが身のわるければ、いかでか如来迎へたまはんとおもふべからず、 凡夫はもとより煩悩具足したるゆゑに、わるきものとおもふべし。 またわがこころよければ往生すべしとおもふべからず、自力の御はからひにては 真実の報土へ生るべからざるなり。 11.善知識に無条件服従しなければならないか 親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない 『末灯抄』 ましておのおののやうにおはしますひとびとは、ただこのちかひありときき、 南無阿弥陀仏にあひまゐらせたまふこそ、ありがたくめでたく候ふ御果報にては 候ふなれ。とかくはからはせたまふこと、ゆめゆめ候ふべからず。 『御消息』 仏恩よくよく御案ども候ふべし。これさらに性信坊・親鸞がはからひまうすには あらず候ふ。 12.因果の道理について 親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心 『教行証 化巻』 またのたまはく(『大経』にのたまはく)「仏智を疑惑するをもつてのゆゑに、 かの胎宮に生れん。 憬興師のいはく(述文賛)、「仏智を疑ふによりて、かの国に生れて、 辺地にありといへども、聖化の事を被らず。もし胎生せばよろしくこれを 重く捨つべし」と。{以上} おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもつておのれが善根とするがゆゑに、 信を生ずることあたはず、仏智を了らず。かの因を建立せることを了知すること あたはざるゆゑに、報土に入ることなきなり。 13.三願転入について 親鸞聖人 聖道門の人を浄土門に導く方便が19願であり、19願の勧めはない 『--』 14.「一向専念無量寿仏」について 親鸞聖人 諸善を廃して念仏1つになること 『教行証 行巻』大行釈 大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり。 ーーー なもあみだ、なもあみだ Abc
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2020.09.30 00:00:15
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