謹賀新年
新しい年が始まりました。 人生は自分で動かしていくもの・・・この頃,改めてそれを感じています。 昨年,A君と,オバマ次期大統領の勝利演説を少しずつ訳していきました。英語の教員でない私とですから,辞書を引き引き,四苦八苦でしたが,それでも,実に広く深い視点,誠実さ,見事な構成の演説であることは理解できました。 特に,106歳の黒人女性の苦難に満ちた人生とアメリカの歩みを重ねながら,Yes We can の合言葉で,信じること,願い続けること,行動すること,力を合わせることの大切さを説いたスピーチは,日本ではちょっとお目にかかれない感動的なものでした。インターネットでそのリアルな映像を見ていると,彼のまっすぐな言葉が,熱を帯びてこちらまで伝わって来るようで,いつもはクールなA君も,食い入るように見入っていました。 フランスのある大学の門には「教育とは希望を語ること」という言葉が刻まれていると,何かで読んだことがあります。日本の教育現場で,また,子どもたちがいる家庭で,さて,「希望」は語られているでしょうか。 もしかすると,そういう視点さえないかも知れない。私自身,教員としても,親としても,「希望を語る」よりは,指示や叱責や「~をしておかないと,~になるよ」という脅し文句が多かった気がします。・・・いえ,今もつい,我が子に出るのはそういう言葉・・・ 私が尊敬する年配の先生は,高校生たちに,「この世の中を今から背負い,変えていけるのは君たちだよ,君たちにはそういう力があるんだよ」とよく話していました。「勉強」には自信のない子たちでした。でも,まぎれもなく社会の一員,担い手として,自分もまた尊重され期待されているという気づきは,彼らには嬉しかったにちがいありません。先生自身の温かな人柄と前のめりな生きる姿勢とともに,いつか何かのときに,この言葉を,思い出してほしいなあ。 日本の学校現場では,この数十年ずっと『生きる力』の育成がキーワードでした。しかし,北欧の方は言うそうです。「子どもたちにまず必要なのは,生きる『喜び』です。喜びを育てれば,生きる力は自ずとついてくるのです。」 他国と比べて著しく「自尊感情」や「自信」「将来への夢・希望」がないと言われる日本の子ども達。 ちっぽけな自分,将来の見えない社会,しかし,それでも,きっと何かができる,前へ踏み出そう・・・オトナの私たちが,まず眉間のしわをのばして,歩きだしたいものです。