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ねこログ

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2024.04.25
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カテゴリ:カテゴリ未分類

オキナワシャリンバイ(バラ科)

テッポウユリ(ユリ科)

コサギ(サギ科)

ヒヨドリ(ヒヨドリ科)

ユウゲショウ(アカバナ科)


「ねこログ」、総目次(笑)/新・「ねこログ」、総目次(笑)/続・「スクラップ・ブック」、の、目次。
目次:果実が綿を「吹く」樹木、どうやら、それらはみな、「南国」の産であるらしい、キワタの花・・・「キツネアザミのララバイ」(笑)、いましも陽が沈む頃のカワセミ。/なるほど、これは、「細胞」―「細胞」の集合としての「個体」―「個体」の集合としての「群れ」、という集合論上の「階層構造」を侵犯している訳だが、侵犯しているがゆえに、極めて魅力的な考えなのである/地上の「重力」による支配に抗して、健気に「直立」を保とうとしている、もう一人の仲間(笑)、ネジバナ談義から「黄金比」にまつわる駄弁、それと、そろそろ去り始める「冬鳥」たち。/「プエブロ・ウニド・・・」、バーニー・サンダース、合衆国全土のキャンパスにパレスチナ連帯の旗、映画「イスラエリズム」、「贈り物」、「ICC」逮捕状、など、ガザからの記事は続く/それもまた、ある種の「恥」の感覚、または、「贖罪」の身振り、と言えるでしょう・・・オキナワシャリンバイ談義、「四月になれば・・・」の、「脚韻」など。/




果実が綿を「吹く」樹木、どうやら、それらはみな、「南国」の産であるらしい。

アオイ科とパンヤ科は、近縁のようで、どちらか一方を他方に含ませる分類方法もあるようだ、繊維植物として人類が利用してきたものが多く含まれるが、ワタやパンヤのように、果実が綿を吹く、つまり果実を構成していた繊維が、乾いて綿状に広がるということなんだろう、これは「種子毛繊維」と言うらしい、ものもあれば、イチビ、それから、オオハマボウもそうだったはずだ、樹皮の下、維管束形成層の外、「靭皮(じんぴ)/二次師部」から繊維をとるものもある、これは、「靭皮繊維」、それから、芭蕉布の原料、バショウやマニラ麻は、「葉脈繊維」・・・
  • アオイ科Malvaceae
    • Byttnerioideae
      • カカオ属TheobromaカカオT. cacao

    • アオイ亜科Malvoideae
      • トロロアオイ属AbelmoschusオクラA. esculentus・・・アフリカ原産、ニジェール―コンゴ語族Niger–Congoトウィ語Twiで「nkrama」から英語の「okra」
      • イチビ属AbutilonイチビAbutilon theophrasti・・・キリアサ(桐麻)、ボウマ(莔麻)
      • ワタ属Gossypium
      • フヨウ属HibiscusフヨウHibiscus mutabilis、ブッソウゲHibiscus rosa-sinensis、オオハマボウHibiscus tiliaceus、ローゼルHibiscus sabdariffa、ケナフHibiscus cannabinus

  • パンヤ科Bombacaceae
    • バオバブ属Adansonia
    • キワタ属BombaxキワタB. ceiba
    • パンヤ科Bombacaceaeセイバ属Ceibaカポック(パンヤ)C. pentandra、トックリキワタC. speciosa
    • パンヤ科Bombacaceaeドリアン属DurioドリアンD. zibethinus
    • バルサ属OchromaバルサO. lagopus
    • パキラ属Pachira

バオバブ、と言えば・・・
「人の住んでいる土地から千マイルもはなれた」を探して・・・「星の王子様」サン=テクジュペリを読む
「木綿」、と言えば・・・
鴫立沢(しぎたつさは)の夕暮に笻(つゑ)を停(とゞ)めて一人歎き、・・・。










キワタ(アオイ科、または、パンヤ科)

ハエ亜目の一種

マメグンバイナズナ(アブラナ科)

セイヨウミツバチ(ミツバチ科)、ハマダイコン(アブラナ科)

ハマダイコン(アブラナ科)

ハマボッス(サクラソウ科)







ウマゴヤシ(マメ科)

ハナイバナ(ムラサキ科)

トウダイグサ(トウダイグサ科)

トウバナ(シソ科)

ウシハコベ(ナデシコ科)



ハクセキレイ(セキレイ科)


白地に白、だから、こんなに明るい日差しの下では、まぶしくて、よく見えない(笑)。


モンシロチョウ(シロチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)


ハクセキレイ(セキレイ科)


ずいぶん長い間、鳴きかわしていたが、やはり、あんたたちも、久しぶりの晴天を寿いでいるのだろうね。










ヒヨドリ(ヒヨドリ科)、トックリキワタ(アオイ科、または、パンヤ科)


キツネアザミのララバイ、って、あなた、去年も同じこと言ってましたね(笑)、おじさんの駄じゃれみたいですよ。








キツネアザミ(キク科)

イソシギ(シギ科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス

コガネノウゼン(ノウゼンカズラ科)、「タヒーボTaheebo」、「パウダルコPau d'arco」、「イペーIpê」、さまざまな呼び名があるようだが、南米原産、トックリキワタ(アオイ科またはパンヤ科)、こちらは「トポロチToborochi」、と同じく、沖縄からの移民の人たちが、帰京の際に持ち帰って定着した、と言われている
あまりの「荒唐無稽さ」に、中途で頓挫してしまったが、池上永一「ヒストリア」による、「トポロチ/南米桜/トックリキワタ」、「コロニア・オキナワ」の由来を知る。


これは「モノクローム」、ではない。








ハクセキレイ(セキレイ科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス


ならば、こちらは、さしずめ「二色刷」、あるいは「三色刷」?




キセキレイ(セキレイ科)


サトウキビ畑、農道、用水路、そ・の・他・の登場人物。




リュウキュウツバメ(ツバメ科)

バン(クイナ科)


白い「切れ込み」があるかどうか?、といった些細な違い。

クサシギとイソシギ、属は異なるのだが、見た目は非常によく似ている、色合いはほとんど同じで、クサシギの方が身体が少し大きめ、うちの近くの遊水地にも、どちらも来訪していたようなのだが、当初は区別がついていなかった、翼、風切り羽、というのかな、その付け根の部分、白い切れ込みがあるのがイソシギ、ないのがクサシギ、という訳で、こちらはクサシギ、すっかり「出不精」になっているからでもあるが、見るのは久しぶりのような気がする、久しぶりに「会えた」ということで、しかし、気分は好転する(笑)。




クサシギ(シギ科)


それは「焼きおにぎり鳥」、ではない(笑)。


イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス

シロガシラ(ヒヨドリ科)


その先の山の端に、いましも陽が沈む頃、干潟は賑わっているのだが、もう「仕事」は済んだと見えて、くつろいているのか、なにかを待っているのか、岩の上でじっとしている。


カワセミ(カワセミ科)

イソシギ(シギ科)











カワセミ(カワセミ科)

イソシギ(シギ科)

カワセミ(カワセミ科)

ダイゼン(チドリ科)

イソシギ(シギ科)、ほら、翼の付け根の白い切れ込み

カワセミ(カワセミ科)

イソシギ(シギ科)





カワセミ(カワセミ科)

イソシギ(シギ科)




なるほど、これは、「細胞」―「細胞」の集合としての「個体」―「個体」の集合としての「群れ」、という集合論上の「階層構造」を侵犯している訳だが、侵犯しているがゆえに、極めて魅力的な考えなのである


資料映像(笑)それで「泣き濡れて」いた訳ではないものの、「蟹とたはむれ」ることなったのだった。
冒頭、キャプションには、ウミウ(ウ科)、とあるが、こんな遠くからでは区別がつかないから、カワウ(ウ科)かもしれない、いましも「北」へ、出発しようとする場面かもしれない、その「群れ」、そして、ミナミコメツキガニ(コメツキガニ科)・・・もう、7年前ぐらい前、「辺野古」に週一回くらいは通っていた頃、帰り道の海岸




ミナミコメツキガニ(ミナミコメツキガニ科)


資料映像(笑)「黄金」は、フロイト主義においても、柳田民俗学においても、ともに、「貨幣」の隠喩であると同時に、「糞●便」のそれでもあるのだが(笑)・・・。




アミアイゴ(アイゴ科)・稚魚


資料映像(笑)ここが「川」ではなくて、「海」であることは、もちろん知ってますよ(笑)。


カワウ(ウ科)

「スィミー」というロングセラーの絵本があるようで、2016年の「高江」、「N1裏テント」で知り合った、数少ない「うちなーんちゅー」の「友達」、いや、「数少ない」のは、「友達」一般であって(笑)、では、「うちなーんちゅー」ではない「友達」ならたくさんいる、という意味ではない、・・・、その人から教えてもらった、と言うより、彼女が「SNS」の中で、「私たちは『スィミー』だから」、と書いておられたので、意味が解らず、こっそり「アマゾン」で取り寄せて、急いで読み、知ったかぶりをする必要があった、ということだ、「スィミー」君自体は、ちょっと説教くさい、と言うか、「彼」、男の子だったのかな?、まぁ、魚類は、簡単に「性転換」するから、「ジェンダー」、「セクシュアリティー」を論じても仕方ないともいえるが、その「彼」にせよ「彼女」にせよ、ちょっと賢過ぎて、優等生的で、あまり気に入らなかったのだけれども、「群れ」というものを考えるきっかけにはなった。海の中では、当地では、「すく」と呼ばれるアミアイゴ(アイゴ科)の稚魚の、物凄い、と言う凡庸な形容語句しか思い浮かばないほどの数の群れに出くわすことがしょっちゅうある、たしかに、「群れ」をつくることで、それを構成する個々が、脆弱な「個体」であったとしても、全体が、まるでとてつもなく巨大な一匹の魚のごとくに見・え・る・ことで、外敵を威嚇することができるから、その様な適応を獲得したのだ、という解釈も、納得できる、まっすぐ泳いできた彼らが、鈍重な「シュノーケラー」みたいなものに遭遇しても、決してただの一匹も、私の身体にぶつかったりはせずに、非常になめらかに進路を変えて、避けて通り過ぎることができるのには、まことに舌を巻いた、いったいどういう「指揮系統」になっているのだろう?どうやって、「前方、障害物アリ」、みたいな「情報」が、「伝達」されるのだろう?、と、不思議でもあった。当地の干潟でも見かける、ミナミコメツキガニ(ミナミコメツキガニ科)、まるで「ユンボ」、あの道路工事なんかに活躍するショベルカーだ、元来フランス製のその種の重機の商品名だったのが、どういう訳か、日本の土木業界のみに定着した呼称のようで、私も、一年間しか勤まらなかった土質調査業、ボーリング屋、で知った、で、この小さな蟹は、その「ユンボ」みたいに巧みに砂地を掘り、人が近づく気配に、あっという間に、全員、一糸乱れず、隠れてしまうのだ、その、他ならぬ、ミナミコメツキガニの「群れ」の挙動の解析から説き起こされた、もう表題も忘れたが、「『群れ』に意識はあるか」みたいな感じだったと思う、ある数学者の書物を手にしたことがあって、実際のミナミコメツキガニの挙動を記録して統計解析を施す、とか、コンピュータ・シミュレーションを用いて、数理モデルを構築する、とか、きわめて興味深いけれども、当然にも、難解すぎて、中途で投げだしてしまったけれど、たとえば、その「モデル」構築の一番初歩として、それぞれの「個体」に、どのような「命令」をインプットしておけば、なめらかな「群れ」の動きを再現できるか、といろいろ試行錯誤するわけだが、誰もが思いつくだろう、一番簡単なアルゴリズムは、

  • (i)自分の右前方に「仲間」がおり、左前方にはいなかったら、やや右に傾きつつ進め
  • (i')自分の左前方に「仲間」がおり、右前方にはいなかったら、やや左に傾きつつ進め
  • (ii)自分の右前方にも、左前方にも「仲間」がいるのなら、そのまま前進せよ
  • (iii)最後に、自分の右前方にも左前方にも「仲間」がい・な・か・っ・た・ら・、障害物にだけは気を付けて、好・き・な・よ・う・に・進め

なるほど、たしかに、記憶がある、70年代の「三里塚」みたいな弾圧の厳しいデモだと、両側を挟み込んだ機動隊が、情け容赦なく警棒の雨を頭上に降らせてくるから、われわれは、ヘルメットをかぶった頭を低くして、ほとんど自分のすぐ前しか見えない、たしかに、上記のごとき「アルゴリズム」に従って動いていたのだな、と思い当たることができる、・・・、そうなのだ!第一次ロシア革命、「血の日曜日」の「冬宮」への行進、さかのぼれば、フランス革命前夜、「ヴェルサイユ」行進、人類が、「デモ行進」というものを「発明」したのは、いったい、いつのことなんだろう?もちろん、これだって「スィミー」と同じく、自分たちを実際よりは「大きく」、「強く」見せて、相手を威嚇する一手法ではないか。「人間中心主義」は、私たちには、私たちだ・け・には、「意識」があるから、先を読み、人の話を聞いて、整然と行進することができるのだ、と考えてしまいがちだが、ほ・ん・と・う・は・、ミナミコメツキガニのように、アミアイゴの稚魚のように、あるいは、当地では「冬鳥」、カワウ(ウ科)、の大群が水際から一斉に飛び立ち、螺旋形に上昇していって、みごとな「V字隊形」を組んで去っていくのを何度も目撃した、そうした「意識」を持たない、とされている「動物」たちの群れと、まったく同一の「アルゴリズム」に従っていることを、単にそのように「解釈」、つまり「誤解」、しているに過ぎないんじゃないか?、と、非常にすがすがしい「敗北感」に襲われるのが、何事においても「敗者」であった「劣等個体」としては(笑)、好ましいのであった。その数学者の書物では、ならば、「多細胞生物」と言うのは、「単細胞生物」の「群れ」から発生した、いや、発生した、が言い過ぎとしても、相同の「構造」を持っている、と解釈できるのでは、といった、突飛ともいえる思索へと向かうのだが、なるほど、これは、「細胞」―「細胞」の集合としての「個体」―「個体」の集合としての「群れ」、という集合論上の「階層構造」を侵犯している訳だが、侵犯しているがゆえに、極めて魅力的な考えなのである、「個体」の身体を構成する「細胞」間には、非常に進化の進んだ段階では、「ニューロン」などと言う専用の情報伝達回路が形成されたのだろうけれども、それさえ、本質的には、隣接細胞間の、ある種のイオンの濃度差に基づく電気化学的な反応の集積、と見ることができるのかもしれないじゃないか、だったらば、「群れ」を構成する「個体」の動きをつかさどっているかもしれない、上記のような「アルゴリズム」に似たものが、ここでも、それら化学反応の「言葉」で記述されている、ともいえるではないか?・・・そろそろ「本題」に入ろう、「類」的存在である人間が、その一部に生じた「苦痛」を、「痛む」ことができる、と言うのは、どういうことなのか?そういえば、ヴィトゲンシュタインは、また聞きに過ぎないけれども、こう言っているそうである、・・・、私は痛みを感ずるI feel pain、もちろん原文はドイツ語だったのだろう、と、彼/彼女は痛みを感ずるHe/She feels pain、は、同じ動詞句「feel pain」を用いているけれども、その意味はまったく異なる、なぜなら、前者は文字通りの「痛み」の表明であるが、「他者」の「痛み」を「感じる」ことはで・き・な・い・から、後者は、「共感」の表示なのである、と。・・・遠い海の向こうで起こった「戦争」、「災害」で、数多の人が亡くなった、という知らせを聞いて、「心が痛む」という経験は、まず、確認しておく必要があるかもしれないが、おそらく「近代」以降に特有のものではないか、と思う、その「知らせ」が、光の速度をもって伝わるようになったのは、新聞、ラジオのニュースで、テレビの映像で、今なら「ネット」で、読んだり、聞いたり、見たりできるようになったのは、ほんのここ百数十年ばかりのことなのだからね、「風説」が伝わるのに、何日も、あるいは、何年もかかった時代には、当事者でさえ、その「痛み」は、すでに風化しつつあるくらいだろうから、・・・、「風化」させるのは、もちろん、「風化」してしまうことに「メリット」があったからこそ、その様な「適応」が獲得された、と理解すべきなんだろう、人は、苦痛の体験を忘れなければ、生きていけない、これも「進化論」的装いの詭弁を弄するなら、「決して忘れない」性向を持つ、集団と、存外早く「忘れてしまえる」性向の集団があって、長きにわたる「世代交代」を経る中で、後者の方がほんのわずかばかり「生存確率」が高かったから、優占化したのだ、云々、・・・、心が受ける打撃も、ずっと小さかったのでは、と想像できる、ならば、私たちが、今日、遠い「他者」の受けた苦痛に対して、共感を示すにせよ、不快だとして目を背けるにせよ、その反応が、ある種「病的」な様相を示しかねないのも、その様な「光の速度」による「情報伝達」に、私たちの受容器が適応できるようになるほどの十分な「進化的時間」が、経っていないからだ、と解釈することだってできるのではないか、とも思う、海の向こうで、何万人も亡くなったとさ、へえ、それは大変だったね、たとえば何十年も前、何世代か前の出来事に対してなら、その様に平常心で迎えることができたものが、突然、数秒にも満たない遅れを伴って、目の前の「画面」に飛び込んでくる、そんな経験をすれば、多少精神に「異常」を来したとしても、不思議はないではないか、・・・、私事にわたるが、もちろん初めから終わりまで「私事」しか書いていないのだし、そもそも誰も読んでいないのだから気にすることもないのだが、私が精神病院に出向いて、「躁鬱病/双極性気分障害bipolar mood disorder」、余談だが、えっと、もちろん、すべてが「余談」でもあるのだが、この病名、当時、「dipolic temper disorder」と聞いた記憶があって、長らくそう思い込んでいたのだが、今、そんな名称はどこを探しても見つからない、「dipole」、「di」はギリシャ語由来の「2」、だから「bi」、これはラテン語系なのかな、と同じだ、電磁気学で言う「双極子」の意味だから、無能な「物理の先生」としては知っているはずの言葉だから、どこかで混線したのかもしれない、あの頃の、ほとんど、「生きた心地がしていない」、「呆然」とした意識状態を振り返ると、あるいは、こんな用語法に関する些細な誤解も含めて、すべてが、「夢」の中の出来事だったのでは?、なる疑いさえ浮かび上がってくるのだった、閑話休題、いや、すべてが「閑話」なのだが、こうして、話が進・展・するのを、のらりくらりと、後回しにしているもの、もちろん、ほ・ん・と・う・は、こんな話をするな、という「検閲」がかかっているからなんだろう、・・・、その診断を受けたのが、2002年の6月、診断書を書いていただくのに、3000円プラス税、の出費は痛手だったが、当時の法制では、その診断書を携えて申請すれば、医療費を全額、地方自治体が負担してくれるのだ、「ちょっと重・め・に・書いておきましからね」と先生のいたずらっぽい微笑みに送られて、意気揚々と、改築前の、那覇市役所におもむき、「うつ病」患者が、まめにそんな申請に出向くのはめずらしいことなのか、あちこちの窓口をたらいまわしにされたけれど、無事に申請を終えることができ、なんだか、大変な仕事を成し遂げたみたいで、肩の荷が下りて、街中の公園で、野良猫たちと戯れていたら、涙がぼろぼろ流れてきた、別に窓口をたらいまわしにされたのに立腹して悔し涙、な訳じゃなくて、こんな私でも、精神保健福祉法42条だったっけ、そんな「システム」を通じて、ちゃんと「共同体」の一員として、認定された、つまり、「生きていてもいい」って言われたみたいな気がして、嬉しかったのだ、その公園の名前が「希望ヶ丘」だったのが、また、笑える、・・・、重い腰をあげて精神病院に行く、までには、相当時間がかかったはずで、自分から進んで診察を受ける、と決断したわけじゃない、当時同居していた人が、私が日々示す態度があまりに支離滅裂でひどかったから、見かねて、あちらこちらを尋ねて病院を探し、電話をかけて予約を入れ、車を運転して連れて行ってくれ、と万端整えてくれたのだから、私は、まるで「子供」のように、助手席に座って、ピクニックにでも行くみたいに、はしゃいでいればよかった、その人は、ほどなく、出て行かれたが、もちろん少しも恨んだりしていない、「うつ病」患者と同居するのは、「うつ病」そのものを病むのと同じくらい、いや、もっと大変なのかもしれない、ことぐらいは想像できるから、・・・、世間には、「家族の協力のおかげで『うつ病』から立ち直れました」的な「美談」があふれているけれども、そんなわけだから、私はあまり信じていない、嘘だとは言わないけれども、それは、稀有な例外、平均値プラス標準偏差の2倍、m+2σ、つまり、「正規分布」の理論値としては、約2.5パーセント、の幸運な場合に限られるのだ、と思っている、残り、97.5パーセントの人々は、「立ち直れ」な・か・っ・た・か、そしてAnd/あるいはOr、「家族の協力」がな・か・っ・た・訳で、そんな人たちは、もちろん、「体験記」を書いたりはしない、「出世物語」や「合格体験記」と同じく、「歴史は『勝者』によって語られる」のだからね、・・・、だから、「発症」したのは、さらにだいぶ遡ることになろう、「辺野古」の問題が、だんだん後戻りできないほど現実味を帯びてき始めた、「暗い時代dark times」、「議会制民主主義」になんらの敬意も払わないよう生きてきた人間が、無理をして、名護市長選挙、他に能がないから、宣伝カーの運転手をした、東京からやって来た「支援者」が、マイクをとって「私たち名護市民は・・・」などと喋っておられるのに、ナイーブに立腹したりして、そんな慣れないことをしたから、寝込んでしまった、思えばそれがきっかけのようでもあるから、「公的」には、「『運動』に『挫折』して発症」という「物語」を事後的に作りあげたのだが、あるいは、そうではないかもしれない、ことは、当時からうすうす気づいていて、・・・、つまり、それは、2001年9月、「セプテンバー・イレブンス」から、半年も経ていない頃のことだったのだ、そんな「世界」を揺るがす「事件」に私の精神が「感応」した、なんて、いかにも自分の「繊細さ」だとかを自慢しているみたいで、はずかしいから、隠蔽したのだろうけれど、実は、今では、大いにありうることだった、と思っている、・・・、野村進「救急精神病棟」、千葉県にある日本最初の精神科救急病院、院長が、お名前失念したが、私も何冊か著書を読んだこともある高名な精神科医、そして筆者の野村氏は、ノンフィクション作家、かつては、フィリピン共産党「新人民軍」の従軍記者となったこともある、彼は、そこで、もちろん院長の合意の上でだが、医師にな・り・す・ま・し・て取材、患者さんは匿名、プライバシー保護のために、物語も作り替えられているのだろうが、こんなエピソードがあった、ニューヨーク出張の間に、「セプテンバー・イレブンス」を目撃してしまった日本人のサラリーマン、ほどなく帰国して、成田空港のロビーで、「みんな、私が悪いんです」、と大声で泣き叫んでいるところを、取り押さえられ、救急搬送されてきた、という、・・・、あるいは、藤谷治という「ライトノベル」系の作家、何冊も読んだのでどれだったか忘れてしまったが、やはり、貿易センタービルに航空機が突入するテレビ映像の前に釘付けになるように座り込み、「ね、みんな、これ、私のせいなのよ」とつぶやく女性が登場する、・・・、四百年にわたる「間大西洋奴隷貿易」と、間もなく一世紀を迎える「ホロコースト」、とそれに先行する、数限りなく反復された「ポグロム」、「世界」はその「トラウマ」経験に対して、被害者、加害者はもとより、そのいずれでもない「傍観者」さえ、その「罪悪感」の昇華をめぐる、ありとあらゆる「病」に未だにとらわれている、としか思えない「症状」にあふれているではないか?、その「トラウマ」性は、本人が「意識」するか否かにかかわらず、「現代」に生きる私たちにあまねく、刻み込まれているかもしれず、ならば、私ごときも含めて、「発病」してしまうような「個体」が、相当数発生しても不思議ではなかろう?、・・・、あの時沖縄には、確か「16号」だったかな、大変な「迷走台風」が、来襲していて、久米島西方の海域を、これは、ずっと後に調べたのだが、緯度経度1度分くらい、だから、約100キロ、の半径を描いて、1回転半ばかりしつつ留まり続け、ずっと「暴風警報」が出たままだったから、会社や学校も、一週間ほども休みになっていた、ようやく、雨風も少しは収まりかけた頃、家に籠っているのにも飽き飽きしたのか、きっと備蓄食料も底をついたからだったろうか、私たちは、車で出かけることにし、北谷町の定食屋で食事をした、店は、同じようなことを考えた人がたくさんいたのだろう、ほぼ満席で、しつらえられていたテレビは、「ツインタワー」に航空機が突入した瞬間の映像を、エンドレス・テープのように、繰り返し繰り返し、流していた、誰もが、その画面を眺めながら、ご飯を食べた、テレビからは、「識者」による声高な「解説」が聞こえてきたはずだし、テーブルを囲む家族たちの会話もあったはずなのに、私の記憶の中のその場面には、「音声」がない、・・・、その頃、うちにはテレビがなかったし、インターネットは、電話回線によるものがかろうじてあったかもしれないが、心をかき乱すようなものは、「見ない」ようにする、という検閲がはたらいていたのだろう、ずっと遠ざけていたから、その、のちにあまりにも著名なものになるところの映像を、目にすることになったのは、そのときが初めてだったのだ、台風はまだ近海をさまよっていたから、定食屋の外は、小雨か曇天だったのに比して、行ったことのないそのニューヨークという町の、ビルの背後は、抜けるような青空だった記憶があって、本当にそうだったのかどうだったのかはともかく、その対比のために、ますます「非現実的」なものに感じられたのは確かだ、・・・、
・・・

台風2001年第15号Nari・進路図
その貴・重・な・一回が、こうして失われてしまうことに、私もまた、胸が痛むのだ・・・旧暦六月の月、台風談義再び。
・・・
「ブラック・ライブズ・マター」のデモ隊といっしょに、ニューヨーク市街を「歩いて」みる・・・西加奈子の「舞台」という作品は、太宰治に傾倒する、「友達のいない」主人公が、ニューヨークひとり旅の初日に、財布、パスポート一式を奪われ、それでも、セントラル・パークから、南へ、と歩き続ける物語、末尾が、「グラウンド・ゼロ」にたたずむ、膨大な人々の「魂」を幻視する場面になっている
「『喪』の作業の政治学」から、「政治的なものに対する『喪』の作業」へ・・・セプテンバー・イレブンス、取り戻すことができないものを思い起こすこと/ハミド・ダバシ2021年9月5日アル・ジャジーラ・・・コロンビア大学の宿舎に住む筆者が、そ・の・日・の朝、やはり南に向かって歩き、「ワシントン・スクエア・パーク」あたりまで向かった記憶がつづられている

ニューヨーク
・・・
・・・、「辺野古」の運動で知り合った、数少ない「友達」だった人達の一人、環境保護運動の関係で長期滞在されていたのだろう、「ユダヤ系」の女性だけれど、が紹介してくれた、「メーリング・リスト」、当時はまだ「SNS」の時代じゃないからね、には、「事件」について興奮した口調で語られた投稿が次々に寄せられていて、スーザン・ソンタグの書いたものが転送されてきたりもしたし、スラヴォイ・シジェクが「事件」直後に書いた、「現実界の砂漠へようこそWelcome To The Desert Of The Real」や、モーリシャスの作家、リンゼイ・コルンの書簡、やはり、直後のものだ、「ディエゴ・ガルシアという島、そして、B52とあなたとわたし」を読むことができたのも、その「メーリング・リスト」を通じてだっただろう、・・・、それらの投稿の多くは、まるで口裏を合わせたかのように、「あの日以来『世界』が変わってしまったように感じられます」という文言で始まっていた、「事件」に先だつ数年前、「アル・カイダ・ネットワーク」は、ナイロビとダル・エス・サーラムの米大使館に爆破攻撃を行い、「現地人」を中心に数百名の死者が出ていることを、私は知っていたから、では、なぜ、「その時」には、「『世界』が変わってしまった」とは感じられな・か・っ・た・のか?という困難な問いを、自らに問わなければならなくなった、同様の動機からだろう、新聞記事を精査して、「事件」で亡くなった人々の多数が、メキシコを始めとする海外出身の「移民労働者」で占められていることを立証し、すでに「報復」の論調へと向かいつつあった主流派メディアの、「『アメリカ』が攻撃を受けたのだ」なるトーンへの反駁を試みている投稿もあった、・・・、でも、いずれの論調にせよ、人々が「事件」をきっかけに、さかんに語り始めた、という事態そのものが、なにか、人の「死」にかこつけて、「はしゃいで」いるのではないか、との疑念を払うことができず、そんな中で私は、次第に「神経衰弱Nervous Breakdown」へと向かっていったのだと思う、・・・、当時は、まだ、自分が「うつ病」に向かいつつあることも知らないのだから当然だが、フロイトが、「メランコリー」を「『喪の作業』の反復強迫」と定義していることも知らなかったが、おそらく、その様な振る舞いが、「喪」の身振りとしては、ふさわしくないもの、と、おぼろげにではあるが、感じられていたのであろうかとは思う、・・・、ところで、何・気・な・く・、この「メーリング・リスト」に誘ってくださった「友達」について、その「民族的」出自、などという、場合によっては「ポリティカリー・インコレクト」になりかねないことを口走ってしまったから付け加えておく必要を感じるが、改めて今振り返ってみて、彼女の口から直接、「私、『ユダヤ人』なのよ」などという言葉を聞いた記憶がない、それでもはっきり覚えているのは、あれは、「セプテンバー・イレブンス」よりは前だったと思うが、いまから思えば、「第二次インティファーダ」開始の頃に当たることになろう、日頃は笑みを絶やさない温厚な物腰の彼女が、投稿の中で、かなり激しい言葉で、イスラエル政府を弾劾していたのが、私にとっては、衝撃だったからだろう、彼女の「母国」がどこだったのかは知る由もないけれど、おそらく、「国籍」は、つまりパスポートを発給していた国は、イスラエルとは違う国ではあったとおもう、・・・、昨年10月7日の「ハマス」による南部イスラエルへの奇襲攻撃「アル・アクサの氾濫作戦」によって、1139人が殺害され、その報復として開始されたイスラエルによるガザ全域への攻撃で、八か月近くを経た現在、少なくとも36000人以上が亡くなっている、人はそれを、「比例的でない/disproportional」という、それはその通りだ、この「数字」を伝える「ニュース」に接して、人が憤りを感ずるとしたら、それは、あたかも、イスラエルの「ユダヤ人」、とパレスチナの「アラブ人」の「価値」が、その、並列された二つの数字の逆比、36000:1139、によって「計量」されてしまっていることに、「不正義」を嗅ぎとったからだろう、・・・、「セプテンバー・イレブンス」を境に「『世界』が変わった」という声があがったにもかかわらず、ナイロビ、ダル・エス・サーラムの「米大使館爆破」ではそうは言われな・か・っ・た・、ことに私が、何か落着かない気持ちにされた、とすれば、それも、数千対数百、という比の表すもの以上に、さらに被害者が「アメリカ人」であるか、「アフリカ人」であるか、というバイアスによって、前者により大きな「重み付け」が加えられた、からではないか?と邪推したことに基づく、だが困ったことは、そんな、「死者」の数を競・い・あ・っ・た・り・するのは、「服喪」の身振りとはおよそ相いれない、不謹慎な振る舞いではないか、と難詰しようとしている、本人、つまり私自身が、すでにして、その様な「計量化」の操作に手を染めてしまっているからこそ、その様な感情を抱く、とも言えるのである、・・・、そんなことをしてもよいのか?、そんなことは不道徳なのではないか?、・・・、当時も、ずっと同じことを考えていた、一方で、私たちは、「死者」を表示する「数字」を聞いて、即座に「計量」しており、同時に、その、「計量している」という自分の操作にそのものに、何かいかがわしさ、「罪悪感」に似たものを感じている、世の中には、「人間の命は地球より重い」などという表現があるが、それは、「地球の質量」などという、とてつもなく大きな、「無限」に擬されうるような「量」を持ち出すことによって、あたかも、1139も、36000も、「無限」によって除すれば、共に「ゼロ」ではないか、などという「シニシズム」と同じく、そんな言葉を聞かされても、すこしも気持ちが晴れることはなかった、・・・、夏目漱石や柳田國男の同時代人で前世紀初頭にドイツ留学、ゲッチンゲン大学で、ダヴィッド・ヒルベルトに師事した数学者、高木貞治の著書、「新式算術講義」を手にしたのは、他でもない、「ばったもん」の数学講師が、付け焼刃の「数論」の言葉でもちりばめて、不人気極まりない授業に花でも添えてみよう、という浅はかな動機からであったが、そんな思わぬところから、あるいは、これらの問いの「答」に近いかもしれないものを見つけ出すことができたのだった、すなわち、と彼は、こんな風に書く、「自然数」は二つの異なる側面から扱われなければならない、・・・、

  • (i)人が「もの」を数えるとき、対象となる「もの」のそれぞれを一つ一つ指さしつつ、「1、2,3、・・・」と「自然数」を割り当ててゆく、この際、「もの」と、割り当てられた「自然数」のそれぞれの間には、「一対一対応」が保存されている、この用法での「自然数」を、「順序数」と呼ぶ
  • (ii)ところが、いったんすべての「もの」を数え終わると、その最後に唱えられた、「自然数」のみが記憶に残され、それまで保存されていた「一対一対応」の関係は、すべて忘却される、この最後に唱えられ、記憶に留められた「自然数」をば、「カーディナル数」と呼ぶ、すなわち、これが、当該「もの」の「個数」である
  • (iii)「加減乗除」という「操作」の対象となりうるのは、当然にも、「もの」との「一対一対応」を解除され「抽象化」されたところの「カーディナル数」でなければならない、そうして、「カーディナル数」と「カーディナル数」との「比」として、「有理数」が定義されていくのである、云々、・・・

当時うちには、26匹の猫がいたから、この議論の情景は、すぐさま目に浮べることができた、毎日、彼らに食事を出す際に、全員がそろっているか「出席」をとらねばならない、・・・「1番、みけどん」、「2番、とらちゃん」、「3番、チェリーさん」、・・・、指をさし、指をさしてすでに数え終わった者は除外しなければならないから、私は、ちゃんと、何番が誰であったかを、その瞬間は記憶にとどめている、つまり「一対一対応」が保存されているのである、だが、数え終えて、26匹、ちゃんとそろっていることが確認されると、ほっと胸をなでおろし、それらすべてを忘・れ・る・、もちろん、記憶容量の節約のためであろう、・・・、「死者」の数を、比例式の一項として、その値を計算し、それによって例えば、「正義」なるものを「計量」することが、いかがわしく、罪深いものであると感じられたのは、それを「カーディナル数」化しているからではないのか、「順序」数がとどめていたはずの、それら一人一人の、「名」を、すでに忘却してしまっていることを、当然の前提にしているからではないのか?、「不正義」に怒り、「不公平」を弾劾することが、疑いもなく正しかったとしても、だが、それ以・前・に・なすべきことがあったのではないか?、「死者」を「カーディナル数」化してしまう以前に、今少し、「順序数」の場所に、留まるべきではなかったのか、それが、「喪に服す」、「弔う」という振る舞いによりふさわしいものではなかったのか。
人は、非業の死を遂げた「他者」に同情し、涙を流すこともできるのだが、たとえばフロイトが「トーテムとタブー」、まだ読み終えていないのに僭越ではあるが、の中で繰り返しその語を用いているように、人間の「死」に対する振る舞いは、つねに「両義的/アンビバレント」なようで、新たな「殺害」への衝動を与えるのもまた、同じく「死」への恐怖なのだ、ということを、最初に気づかせてくれたのは、ドゥーシャン・マカベイエフの、奇妙なタイトルの映画、「ゴリラは真昼に入浴す」だった、・・・、「壁」倒壊後の東ベルリンに駐屯していたソ連軍兵士、ロシア語しか話せないはずの彼が、突然流暢なドイツ語で語りだす、
    この世にあってはならないもの、
    例えば、川にかかる高い橋、夜と昼の間の時間、そして、冬、
    これらの絶望が人々を、戦争と殺戮に駆り立てる。

「これらの絶望」を差し示す隠喩が、ことごとく生と死と境界領域を指しているに違いない、と、とっさに思い込んだのは、今でも多分誤った判断ではない、と思っているが、おそらく、この映画を観たのが、神戸の震災から程ない時期だったからだろう、私が「被災地」に最初に足を踏み入れたのは、もう、二週間も経ってからだったけれど、その街は、依然として、長らくにわたって、数多の「死」を纏・っ・て・いたにちがいないから、・・・、「死」への恐怖が、新たな「殺害」への衝動を生み出すというのは、なにも、「被害者」の名においての、「報復」への衝動、ばかりとは限らない、「他者」の死に対して、その「原因」に関して何らの責めを負わない場合であっても、人は、「罪悪感」をもつことができる、いや、もたずにはいられないようで、ところが、その負担が昂じ、ある臨界点を越えると、手のひらを返したように、「こんな『やさしい』私を『罪悪感』によって責め苛むあなたが憎い」とばかりに、いわば「逆ギレ」を起こしてしまい、「被害者」本人に向かって、怒りを感じ始めてしまう、「死者」に対して、「死んだ」という事実そのものを咎として、攻撃するのだ、昔のテレビのホームドラマによくあったじゃない、医師が柱の時計を見上げて「ご臨終です」と告げると、家族が一斉にベッドに駆け寄り、「ばかばかばか、どうして死んじゃったのよ!」、・・・、それは、人間の友達はいないけれど、犬猫の臨終には、たくさんたくさん立ち会った私には、ほとんどおなじみの感情とさえ言える、「喪」の悲しみに浸っているつもりの時に、ふと気を抜くと、「どうして、断・り・も・な・く・、死んでしまったのか!」と、死者を鞭打っている自分を発見する、・・・、「気を抜くと」現れ出てくる、ということから、これが、ある種身体に備わった「防衛」のメカニズム、重い「抑鬱」が引き続くことによる消耗を、回避しようとするメカニズムなのではないか、と、疑うことができる、と思っている。




隣の「囲い」の、柿食う客、へえ?(笑)






イソヒヨドリ(ツグミ科)・メス



そういえば、「窓際族」という言葉も、もう、あまり聞かれなくなりましたな。






鳥影が差すと、いいことがある、なんて、あんた(笑)、いつも鳥しか見てないくせに・・・。




メジロ(メジロ科)、止まっているのは、ホウオウボク(マメ科)、の枝

ルリハコベ(サクラソウ科)

アレチノギク(キク科)



ヒカンザクラ(バラ科)


今朝は、とりわけ、ものすごく、忙しい(笑)




キセキレイ(セキレイ科)


画面左手から右へ、つまり東から西の風が、強いのがわかるでしょう?だから、手も震える。




ダイサギ(サギ科)


あれあれ、そんな「大口を開け」て!




ヒヨドリ(ヒヨドリ科)


「彼ら」は、だいたい、いつでも、忙・し・そ・う・に(笑)しているものなのだが・・・。


アカアシシギ、イソシギ(シギ科)







アカアシシギ(シギ科)、・・・、脚が鮮やかに赤い鴫、アカアシシギとツルシギの識別は、素人には難題のようで、くちばしの基部、下側のみ赤いのが、ツルシギ、上下ともに赤いのが、アカアシシギ、だそうなので、「上下ともに赤い」ように見えたので(笑)、そうすることにした、・・・、こんなにたくさん集まっているのは?もうそろそろ、「北」に旅立つ季節だろうから、この干潟が、出発のための「集合地点」になっているのかも、彼らは、だいたい、いつでもたいそう忙しそうに、落ち着きなく(笑)、食事をするように見えるものだが、長旅に供えてたっぷり栄養補給が、必要なのに違いない、などと想像すれば、なお一層、忙しそうに(笑)、見えたりもする。


橋の欄干のきわに、どっかと腰を下ろして、眼下に「楽園」を望む。


イソシギ(シギ科)

コチドリ(チドリ科)

イソシギ(シギ科)





アカアシシギ(シギ科)



コチドリ(チドリ科)

イソシギ(シギ科)

アカアシシギ(シギ科)


「春分」は旧暦二月十一日、「上弦」を過ぎているから、日没後に干潮となる。




チュウシャクシギ(シギ科)

コサギ(サギ科)

コマツヨイグサ(アカバナ科)
・・・

明け方、「四十雀」の姿が目にとまったら、その日はいいことがある(笑)、ということにしておこう。




シジュウカラ(シジュウカラ科)


「名もなき野の花」、なんかじゃないですね、牧野富太郎氏ならば、みんなオレが名付けた、とご立腹でしょうが(笑)、そうではなく、本当に名がなければ、目にとまることすらないはずですから。


シマキツネノボタン(キンポウゲ科)

リュウキュウコスミレ(スミレ科)

ウスイロコノマチョウ(ジャノメチョウ科)

デイゴ(マメ科)

シマグワ(クワ科)

カメムシ亜目の一種、シマグワ(クワ科)

ユウゲショウ(アカバナ科)


地上の「重力」による支配に抗して、健気に「直立」を保とうとしている、もう一人の仲間(笑)。

ほとんどの生き物、ほとんど?、そう、昆虫やカタツムリあたりまでは含まれるだろう、は、左右一対の「眼」を持っていて、それぞれの、おそらく「円形」の視野がかさね合わされて、横長の「長方形」として、「世界」を認識しているんだと想像される、ほんとか?古来、「黄金比Golden Ratio」と呼ばれる、縦に対する横の比率が、(1+√5)/2≒1.62、というような、ほとんど「魔術的」な数で表されるような画面が、人には最も心地よく感じられる、とされてきたのが、その何よりの証拠ではないか?「私たち」は、「海」で生まれた、ほんとか?、のだが、後に、やむなく地上に上がらざるを得なくなり、水という、親和性の強い、「優しい」液体から隔てられ、乾燥した気体、とりわけ、酸素などという強烈に毒性の高いものさえ含む気体に覆われ、しかも、重力を減殺してくれるような浮力も失い、そんな厳しい感興の中で生きるには、当然のように、身体を「横長」に配置し、四本、ないしそれ以上の数の脚をもって、それを支える、というのが、この環境では、常識であったろう、ところが、何かのきっかけで、脳の重量を増大させてしまったこの生きものは、かかる「自然の摂理」に反して、「直立二足歩行」などという、どう考えても不合理きわまりない方法を採用せざるを得なくなったのである、依然として、進行方向は、水平方向であるのに、身体がそれに直交する形で伸びている、などというのが、ばかばかしいくらい不合理だ、といっている(笑)、そんなわけで、私たちは、「横長」を基調とする「風景」の中に、ただ一人、「縦長」の形をもった異物として存在することになったのだ、・・・、などと考えていたのだが(笑)、おお、地上の世界にもう一つ、「重力」の圧倒的支配に抵抗して、健・気・に・生きている者たちがいた!少しでも高い場所を確保することで、「光合成」に必須の太陽光を得ようとするのか、植物は、上へ上へと伸びる、すると、私たちが、その全体像を「視野」に取り込もうとすれば、ほら、こんなふうに、首を直角に近く曲げなければならないことになったのだ!(笑)




ナンゴクネジバナ(ラン科)


老人が路傍にしゃがみこんでいる、それだけで十分「不審」なのに(笑)、カメラを横向きにするから、首も直角に曲がってしまって(笑)・・・。

ここは、「世界遺産」登録に含まれているのかどうだか、観光スポットとしては依然として整備されていない「城(ぐすく)」跡、人通りは絶えてないから、別に「不審」であっても差し支えない、・・・、春先の、ごく短い期間しか咲かない花で、近年、外出する機会自体が極端に減っているから(笑)、見つけられると、なにか、大変な「幸運」であるかのような、好ましい気分になる、「横長」のカメラを反時計回り90°回転、「縦」向きにして撮影された「横」向きの写真、「天」が「右」になっている、を、もう一度、反時計回り90°回転して、「天」が「上」になるように置きなおし、無料で手に入れた「動画編集ソフト」に、縦横比、横に対する縦の比、16:9というモードがあったのを、初めて使ってみた、使ってみたかっただけだ、とも言う(笑)、・・・、古来、ギリシャの建築なりルネッサンスの絵画なり、人類の感覚にとって最も好ましいもの、とされている縦横比、縦に対する横の比、という意味だが、映画の世界では「アスペクト比」と呼ぶらしい、は「黄金比Golden Ratio」と呼ばれ、
(1+√5)/2≒1.62
なる、ほぼ、「魔術的」ともいうべき数字で表現される、・・・、数行たりとも読んだことのない(笑)ジャック・ラカンは、次のようなことを言っているそうである、・・・
私(x)の他者(y)に対する「まなざし」(y/x)が、私と他者を含む世界(x+y)の私に対する「まなざし」{x/(x+y)}に等しいとすれば、
y/x=x/(x+y)
ここで、a=y/xとおくと、
a=1/(1+a)
この2次方程式の2つの解のうち、「私」が「世界・内・存在」である以上(笑)、0<a<1、であろうから、これを満たすものを選ぶと、
a=(√5-1)/2≒0.62
これは、上記「黄金比」の逆数、つまり、横に対する縦の比なのであり、ラカンは、これを「対象a」、と呼んでいるらしい。「世界」の「私」に対するまなざし、それは、「大文字の他者」のまなざしなんだろう?、で「大文字の他者」というのは、「私」が生まれるより先にすでに存在していて、「私」が学ぶことで獲得する以外になかった「言語」、のことなんだろう?だったら、「大文字の他者」が「私」に注ぐ眼差しをもって、「私」は「他者」を見なさい、というのが、「対象a」の含意なのであろうか?、などと、ようやくこの年になって、わからないなりに、腑に落ちることにした、・・・、「黄金比」の「魔術」性は、他にもあって、先行する2項の和によって第三項が定義される「フィボナッチ数列」、単純きわまりないルールだから、巻貝の殻の形成など、自然の事物の中にもしばしば観察される、の、特性方程式を解くと、やはり、この無理数が登場し、これもまた、第n項:「存在する私」、第n+1項:「それを知っている私」、そして、それらの和によって得られる、第n+2項:「『私が存在していることを知っている私」、にこじつけて見れば、この数列の隣接2項間の比の極限もまた、「黄金比」に収束するのである、さらに、「無理数」、整数と整数の比によっては決して表示で・き・な・い・数、の存在を頑強に拒んでいた「ピュタゴラス教団」は、しかし、「正5角形」に偏執的にこだわっていたらしく、教団の記章にも、その対角線を結んだ星形を採用していたそうで、対角線に沿って等間隔に宝石がはめこんであったのは、これと一辺との比が「有理数」で表現できるとの確信の表明ともいわれるが、だが、まさに、この「正5角形」の、一辺に対する対角線の比もまた、「黄金比」、なのであった、・・・、映画の世界で「トーキー」時代になってからの標準的な「アスペクト比」は、1:1.3、だったそうで、たしか、「サウンドトラック」分だけ横が狭くなった、という話だったと思うから、「無声映画」時代は、もう少し広かったのかもしれない、1950年代、ハリウッドは、「シネマスコープ」とか「ヴィスタサイズ」とか、「2」を超える「アスペクト比」の、極端に横が広い画面の開発にしのぎを削ったが、急速に忘れ去られることになった、と言われる、やはり、「黄金比」からあまりに隔たり過ぎていたから、と解釈しうるのだろう、「黄金比」に非常に近い、1:1.66、というのが、「ワイドスクリーン」と呼ばれているらしい、・・・、「A系」とか「B系」、書物やノートのサイズは、1:√2≒1:1.1414、これは、半分に裁断しても、縦横比が変わらず、無駄が生じないように、との配慮から出てきたものであろうが、「黄金比」に比べると、少し「横」が狭いことになろう、「スマホ」の画面に適合的だからなのだろうか、ネット上の「動画」には、16:9≒1.78、を採用しているものが多いが、こちらは、今度は、やや「横長」に過ぎるのだった、・・・、駄弁はこのくらいにして、ご紹介が遅れましたが、ナンゴクネジバナ(ラン科)、と申します、「本土」、「内地」にも、やはりありふれた「雑草」として、ネジバナ(ラン科)、という、見たところそっくりな近縁種があるそうで、もちろん、そちらにいた頃は、「野草」などに何の関心も持っていなかったから、見た記憶はないのだけれど、こちらの方、その名称に付された「南国」なる形容語句もまた、なかなか趣深い(笑)、と気に入っているのだった。
フィボナッチ数列/「私を知っている私」
5-Pointed Star/あるいは/世界の私に対する「まなざし」
・・・

「私」が「他者」に注ぐ眼差しが、「世界」が「私」に注ぐ眼差しに等しいとしたら・・・「対象a」の導出拡大

「私が知っている『私』」の、「私が『私』を知っていることを知っている私」に対する比は・・・フィボナッチ数列の一般項の導出拡大

正五角形の対角線の一辺に対する比・・・三角関数による導出拡大

正五角形の対角線の一辺に対する比・・・平面ベクトルの1次独立性を用いた導出拡大
ここでも「読書百遍」、十年ばかり前に読んだときよりは、幾分、腑に落ちた、という「錯覚」を持つことは、出来る・・・シジェクの短文を読み直すための準備として、ラカン、そのものにはとても手が出ない(笑)、新宮一成「ラカンの精神分析」を読み直す


ヒメクマツヅラ(クマツヅラ科)

タイワンハチジョウナ(キク科)

ヒメクマツヅラ(クマツヅラ科)

ノゲシ(キク科)

トキワハゼ(ゴマノハグサ科)

シマキツネノボタン(キンポウゲ科)

トキワハゼ(ゴマノハグサ科)



リュウキュウシロスミレ(スミレ科)

リュウキュウミスジ(タテハチョウ科)

カッコウアザミ(キク科)

ハナイバナ(ムラサキ科)

アメリカフウロ(フウロソウ科)

ルリハコベ(サクラソウ科)


はなはだ優雅、とは言いかねる命名ではあるが(笑)。




オヤブジラミ(セリ科)

オヤブジラミ(セリ科)、ヒメグモ科またはカニグモ科の一種



ハクセキレイ(セキレイ科)

キチョウ(シロチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)



ハマダイコン(アブラナ科)

オオハマボウ(アオイ科)

キダチハマグルマ(キク科)

ナガマルコガネグモ(コガネグモ科)

ウシハコベ(ナデシコ科)



キツネアザミ(キク科)

ハナイバナ(ムラサキ科)





キウリグサ(ムラサキ科)

ダンダラテントウ(テントウムシ科)

オヤブジラミ(セリ科)

ヤエムグラ(アカネ科)

オヤブジラミ(セリ科)

ナズナ(アブラナ科)


空を飛ぶには、体重を軽くする必要があるから、一回の食事は少量、頻繁に摂らなければならない・・・それぞれの「生き方」に固有の困難がある、「大空に自由に翼を広げ・・・」とか気楽なこと言ったのは誰だ(笑)?


コチドリ(チドリ科)

コガモ(カモ科)・オス、コチドリ(チドリ科)


目のまわりが黄色くな・い・こと、脚も黄色くな・い・こと、が手掛かりなのだが・・・。


シロチドリ(チドリ科)

コチドリ(チドリ科)


何か、やや気むずかしい(笑)、「賢者」のような顔つき。


ハマシギ(シギ科)


「鷹斑」と書いて「たかぶ」と読む、言われて見ればそんな感じ、というだけだから、あてにならない(笑)。


タカブシギ(シギ科)


ここが「川」ではなくて、「海」であることは、もちろん知ってますよ(笑)。


カワウ(ウ科)

ハシビロガモ(カモ科)・オス

ヒドリガモ(カモ科)・オス、タカブシギ(シギ科)

ダイゼン(チドリ科)


「『スモール・サイズ』と『ラージ・サイズ』がございますが?」、という題名を、前も使ったかもしれない(笑)。




コチドリ、ダイゼン(チドリ科)

ヒドリガモ・オス、ハシビロガモ・メス(カモ科)

コチドリ(チドリ科)


「下界」では、大騒動が持ち上がっているような、声が聞こえるぞ!




ミサゴ(タカ科)


ときどき、立ち止まって、「考え込む」、ような素振り。






コチドリ(チドリ科)


「○○・オン・ザ・ビーチ」、というタイトルには、何か、切なく気になる記憶があった。


ダイゼン(チドリ科)

ダイゼン(チドリ科)、キョウジョシギ(シギ科)

ダイゼン(チドリ科)

ブラシノキ(フトモモ科)



(訳注)「ジョージタウン大学」は、ポトマック川にかかる「フランシス・スコット・キー記念橋Francis Scott Key Memorial Bridge」の北岸のたもと、ジョージタウン地区にある、一方、「ジョージ・ワシントン大学」は、ホワイトハウスの西1キロ、国務省の北500メートル
(訳注)参考:オバマ大統領選出前夜の、ワシントンDCを描いたものとして↓、ジョージタウンへ向かうポトマック川にかかる橋、キー・ブリッジが登場する
リービ英雄、アディーチェ、オバマ就任式のキャロル・キング、から、「アンダーグラウンド・レイルロード」へ

ワシントンDC(拡大)
(訳注)「団結した人民は、決して屈服しない¡El pueblo unido jamás será vencido!/The people united will never be defeated!」、タイトルの言葉は、1940年代コロンビアの左翼、「自由党」指導者ホルヘ・エリエセル・ガイタンJorge Eliécer Gaitán(1903-1948)の演説からとられ、チリの作曲家セルヒオ・オルテガ・アルバラードSergio Ortega Alvarado(1938-2003)が、サルヴァドール・アジェンデSalvador Allende(1908-1973)の「人民連合Unidad Popular(UP)」政府の再末期、1973年に作曲、「キラパジュンQuilapayún」という「新しいチリの歌声運動Nueva Canción Chilena」を代表するフォーク・グループの、サンチャゴの中心街ラ・アラメーダLa Alamedaでの大コンサートで初めて紹介された、その三か月後に、ピノチェットのクーデターで同政権は倒され、以降、軍事独裁に対する抵抗運動のテーマソングとして、広く歌われることになった、さらに、合衆国在住の、ポーランド系ユダヤ人作曲家、フレデリック・ジェフスキーFrederic Rzewski(1938-2021)、は、この曲をもとに、1時間に及ぶ大作、「『団結した人民は、決して屈服しない』変奏曲The People United Will Never Be Defeated!」を1975年に発表、現代音楽の古典としての評価を得たことでも広く知られることになった
セルヒオ・オルテガ・アルバラードSergio Ortega Alvarado(1938-2003)
フレデリック・ジェフスキーFrederic Rzewski(1938-2021)
「団結した人民は、決して屈服しない¡El pueblo unido jamás será vencido!/The people united will never be defeated!」、「マルクシスト・インターネット・アーカイブ」のスペイン語、英語版歌詞

2019年のチリの反政府運動、場所は特定できないが、サンチアゴ中心部と思われる、オーケストラの演奏に合わせて、人々が、「プエブロ、ウニド、ハマス、セラ、ベンシード!」を叫ぶ
2019年の、チリの反政府運動関連記事:国家安全法が抗議行動を犯罪化する、と、チリのプロテスターたちが言うのは何故か?/クリス・マクゴワン、ピョートル・コザック2019/12/11アル・ジャジーラ

Quilapayún 1973 - El pueblo unido jamás será vencidoキラパジュン

「ジェフスキーによるジェフスキー『団結した人民は、決して屈服しない』Rzewski plays Rzewski – The people united will never be defeated! – live 1986」
(訳注)バーニー・サンダースBernie Sanders(1941-)、ブルックリン生まれ、彼の父親は、当時オーストリア―ハンガリー帝国領ガリシア、現ポーランドのスウォプニチェSłopnice出身のポーランド系ユダヤ人で、1921年に合衆国に移民している、彼の家族は、ホロコーストで亡くなった、彼の母親はニューヨーク生まれである、バーニー氏は、自身が政治にかかわるきっかけが、その家族環境にあったことを告白している、ドイツ占領下のポーランドで、彼の親族の多くが、ホロコーストで亡くなっているのである、高校時代に、朝鮮戦争の孤児支援運動にかかわったことを皮切りに、シカゴ大学在学中は、第二インター系の「アメリカ社会党Socialist Party of America (SPA)」の青年組織に加入、「人種的平等委員会Congress of Racial Equality (CORE)」、「学生非暴力調整員会Student Nonviolent Coordinating Committee (SNCC)」で、公民権運動に従事、1962年には、シカゴ大学の人種隔離政策に反対して、キャンパス泊まり込みに参加、反戦運動にも関与し、ベトナム戦争期には、結局は拒絶されたものの、「良心的兵役拒否者conscientious objector」の地位を申請している、1968年、ヴァーモント州スタナードStannardに移り、大工、映画製作者、著述家、などで生計を立てる、1970年代初頭、「自由連合党Liberty Union Party (LUP)」加盟、連合組織「人民党People's Party」組織のために活動、こうして1972年上院議員選挙に立候補したのが、彼の議員としてのキャリアの始まりとなる、1980年の大統領選挙では、上記「SPA」から分派した第四インター・トロツキスト系の「社会主義労働者党Socialist Workers Party」のバーモント州支部から立候補している・・・
(訳注)バーニー・サンダース氏の父親の出身地、ポーランドのスウォプニチェSłopniceは、クラカウKraków南東50キロ、ドイツ、ポーランド、地図
・・・
(訳注)「独立人権委員会The Independent Commission for Human Rights(ICHR)」、「オスロ合意」後の1993年、パレスチナ自治政府ヤシール・アラファト大統領の行政命令に基づいて設立、初代委員長は、ハナン・アシュラビHanan Ashrawi
(訳注)「憲法上の権利センター(CCR)」、合衆国の非営利団体、1966年、公民権関連諸法の実施を求めることを主要な目的としてニューヨークにて創立
(訳注)「アル・ハクAl-Haqالحق」、アラビア語辞書によれば、「結合」といった意味であろうかと思われる、1979年、西岸ラマラにおいて創立された、非営利組織、2000年以降、「国連経済社会理事会ECOSOC」の特別諮問機関、「国際人権連盟International Federation for Human Rights(FIDH)」など、諸国際人権機関との連携関係にある
(訳注)「オックスファムOxfam」、1942年「飢饉救援のためのオックスフォード委員会Oxford Committee for Famine Relief」として1942年、英国、オックスフォードにて創立、現在、21の非政府組織の連合体となっている、「オックスファム・ノヴィブOxfam Novib」は、その在オランダ組織
(訳注)同じ筆者による記事:
2020年以来、私たちは、『ブラック・ライヴズ・マター』と、ガザでの出来事の共通性をきわめて明確に、見ることが出来るようになりました・・・アメリカは、イスラエルのメディア操作を、ようやく考慮に入れ始めたか?/ラミ・G・コウリ2023年11月22日アル・ジャジーラ
(補遺)「私見」ですが・・・上に掲げた、ラミ・G・コウリ氏の記事をめぐって・・・「私たちには、そんなことは、分かっていた」という「話型」ではなく
世界は、パレスチナの闘いを、ようやく、「最後の、植民地解放戦争」としての理解し始めた・・・イスラエルは、いまや、全地球規模でわき起こりつつある批判のことごとくに、答えなければならない/ラミ・G・コウリ2023年12月2日アル・ジャジーラ
・・・
(訳注)「イスラエリズムIsraelism(2023)」、合衆国で製作されたドキュメンタリー・フィルム、合衆国のユダヤ人社会で、パレスチナ人、パレスチナ問題が、どのように語られてきたか、を描いているようだ、インタヴューには、言語学者にして、ユダヤ人反戦活動家、ノーム・チョムスキー、平和的解決を求めるシオニスト思想家、ジェレミー・ベン・アミJeremy Ben-Ami(1962-)、また、2014年のガザ攻撃時に、合衆国の親イスラエル、ユダヤ人団体の会議での抗議行動を主導した、イスラエルの占領政策に反対する在米ユダヤ人団体、「イフ・ノット・ナウIfNotNow」の共同創立メンバー、シモーヌ・ツィママンSimone Zimmermanや、「エイタンEitan」と匿名で呼ばれる元イスラエル国防軍(IDF)兵士が、イスラエル国家がパレスチナ人をどのように処遇してきたかを学ぶ過程で、その見解を変えていく過程を跡付けている、という、上映運動は、親イスラエル団体からの、「反ユダヤ主義」なる非難により、しばしば「キャンセル」された
「イスラエリズムIsraelism」、ウェッブサイト

アル・ジャジーラによる、シモーヌ・ツィママンSimone Zimmermanらへのインタヴュー番組:「『イスラエリズム』:イスラエル軍を賛美するという「洗脳」は、どこへ向かっているのか?'Israelism': How deep do indoctrination and Israeli army glorification go? | Talk to Al Jazeera」

ISRAELISM | Official Teaser | Documentary | Israel Palestine

ISRAELISM | Official Trailer
(訳注)「贈り物The Present(2020)」、英国在住のパレスチナ人映画作家ファラ・ナブルシFarah Nabulsi(1978-)監督による、24分間の短編映画、映画の冒頭は、ベツレヘムBethlehemのイスラエル軍検問所、「第300検問所/Checkpoint 300」の映像、これは、ひそかにカメラを持込んで撮影されたそうだ、そして、主人公ユーズフが、結婚記念日のプレゼントを、ベイチュニアBeituniaの町まで、娘とともに買いに出掛ける際、またしても、数々の検問を通過しなければならない様子を描く、イスラエル軍の兵士同士が、パレスチナ人の処遇が「生ぬるい」と上官を批判する議論が聞こえてくる・・・

The_Present_(2020_film)/Farah Nabulsi
「The Present」制作者のウェッブ・サイト、予告編が埋め込まれている

ヨルダン川西岸地区、「ベイチュニアBeitunia」は、東エルサレムの北、ラマラの西、ベツレヘム方面から、そこへ向かうには、おそらく、カランディア検問所Qalandia Checkpoint、を通過しなければならないことになるのだろう

エルサレム広域、「第300検問所/Checkpoint 300」は、東エルサレムの南、ベツレヘムとの中間、「ラケルの墓Rachel's Tomb」の北方にある

映画の中の父と娘が、ベツレヘムから、ベイチュニアへ、途中、東エルサレム旧市街、たとえば、ある・アクサ・モスク付近を通過したとして、その足跡に沿って、距離計算をしてみた、25キロほどの行程であった
(訳注)ピッツバーグ、「トゥリー・オヴ・ライフ」ジナゴーグ銃撃事件、2018年10月27日、ペンシルベニア州ピッツバーグの、このジナゴーグに、「アルト・ライトAlt-Right/オルタナ右翼」とおぼしき人物が乱入、11人を殺害、被害者には、ホロコーストを生き延びた人も含まれていた、このジナゴーグに集う団体が、「ヘブライ移民支援協会HIAS/Hebrew Immigrant Aid Society」、1881年創立、に関与していることから、その団体の、中央アメリカから米国への移民支援活動への反発、が動機と見られている
(訳注)「右翼団結集会Unite the Right rally」、2017年8月、ヴァージニア州シャルロットヴィルに、全米から何百人かの、「オルタナ右翼」、「ネオナチ」、「ネオ・コンフェデレイツ/新・南部同盟支持派」、「KKK」支持者、を集めたデモ、参加者は武装し、「鉤十字」旗を掲げ、「反ユダヤ主義」的シュプレヒコールを挙げた、同地の、南北戦争時の南軍のリー将軍の銅像撤去に反対することが、開催地がここに選ばれた理由であった、この集会に対する「カウンター・デモ」に、集会参加者の一人が、自動車を突入させ、一人が死亡、多数が怪我をする、という事件が起こっている
(訳注)「アル・シーファ病院al-Shifa Hospital」は、ガザ市リマル地区、以下の記事参照↓
「私たちには、そんなことは、分かっていた」という「話型」ではなく・・・ガザからのニュースは続く
「ナセル病院Nasser Hospital」は、ガザ南部、カーン・ユーニスKhan Yunis、1940年代に、イギリス委任統治当局によって建てられた病院跡地に、1957年、「ナクバ」後の停戦協定で、ガザ地区がエジプトの支配下にあった期間に、建設、命名は、汎アラブ主義者、エジプト独立英雄、ガマル・アブドゥル・ナセルGamal Abdel Nasser(1918-1970)にちなむ、2024年2月、イスラエルの攻撃により機能停止

ガザ地区
・・・
(訳注)筆者は、2016年から2019年、ギリシャ、アレクシス・ツピラスAlexis Tsipras首相の「シリザ/急進左派―進歩派連合Syriza/Coalition of the Radical Left – Progressive Alliance」政権で、デジタル・コミュニケーション政策顧問を務めた

(訳注)左手に、ベルリン大聖堂、右手に、アレクサンダー広場のテレビ塔が見える、ということは、このデモ隊は、「連邦道路Bundesstraße」2号線、を北東から南西へ向かって進んでいて、いましも、「カール・リープクネヒト橋Karl-Liebknecht-Brücke」を渡ったところと思われる

ベルリン、ミッテ区西部、「ブレヒトハウス」周辺
横断幕のドイツ語は、「Stoppt den Völkermord im Gazastreifen」
stoppt:stoppen「停止する」の命令法二人称複数
Völkermord:ジェノサイド、大量虐殺
Streifen:英語strip、細長い帯状の土地
(訳注)残念ながら、「ウィッキー・クォートwikiquote」、エドワード・サイードの項では、これに似た文は、発見できなかった
(訳注)「平和のためのユダヤ人の声/ジューイッシュ・ヴォイス・フォー・ピースJewish Voice for Peace(JVP)」、1996年、合衆国、UCバークレーの学生たちによって創立、2019年には、「反シオニスト」の立場を明示、「BDS」運動への支持を表明、ドイツその他の国に、支部が存在するか否かは不明にとどまった
JVPウェッブサイト
「ディエム25/ヨーロッパ民主主義運動2025DiEM25/Democracy in Europe Movement 2025」、2016年、ギリシャの元「シリザ/急進左派連合Syriza」メンバー、同政権の財務相、ヤニス・ヴァロウファキスYanis Varoufakis(1961-)、クロアチアの哲学者、元パンク・ミュージシャン、「オキュパイ・ウォール・ストリート」などでの活動家、スレチコ・ホルヴァットSrećko Horvat(1983-)、らによって創立、結成大会は、ベルリン「人民舞台」などで開催された、党名の「DiEM」は、古代ローマの詩人ホラティウスに由来する言葉「カルペ・ディエム/その日をつかめCarpe diem」の掛詞になっているらしい、「もう一つのグローバライゼーションAlter-globalization」を掲げた、全ヨーロッパ的政党
(訳注)Betätigung:活動
Verbot:禁止
(訳注)ガッサン・アブ・シッタGhassan Abu-Sitta(1969-)、クウェートで、パレスチナ難民の家族のもとに、生まれる、グラスゴー大学で医学を学び、整形外科医となる、1989年の「第一次インティーファーダ」以来、パレスチナへの医療支援活動に従事、今回のガザの戦争に際しても、「国境なき医師団」とともに、アル・シーファ病院で勤務
サルマン・アブ・シッタSalman Abu-Sitta(1937-)、イギリス委任統治下パレスチナ、ガザ市南東20キロ、ベール・シェバBeer Sheba付近の村に生まれる、1948年「ナクバ」で家を失い、難民としてガザへ、カイロ大学、ロンドン大学、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで学業を積む、元「パレスチナ民族評議会Palestine National Council(PNC)」議員、パレスチナ人の「帰還の権利right of return」推進の一環としての地図作りで知られる
(訳注)ランジット・ホスコテRanjit Hoskote(1969-)、ムンバイ生まれ、インドの詩人、芸術批評家、文化理論研究者、国家による一元的な文化支配に批判的で、文化的不寛容に対する抗議運動の活動家でもある
(訳注)マッシャー・ゲッセンMasha Gessen(1967-)、モスクワに、ユダヤ人家族のもとに生まれる、父方の祖母エスター・ゴールドベルクは、社会主義者の母と、のちにホロコーストで殺害されることになるシオニストの父のもとに、ポーランドのビヤウィストックBiałystokに生まれ、1940年にモスクワに移住、母方の祖母、ルズヤ・ソロドヴニクは、スターリンの政府のもとで働いた知識人だったが、のちにユダヤ人のパージの際に、職を奪われた、母方の祖父は、ボルシェヴィキの活動家で、第二次世界大戦中に戦死している、1981年、マッシャーがティーンエージャーのころ、家族は、合衆国へ移住、しかし、1996年、彼女は単身モスクワに戻り、ジャーナリストとなった、LGBTの権利擁護の活動家であり、プーチンの強力な批判者、ロシア政府が、反LGBT法制を、強化し始めたため、2013年、合衆国に戻る、2020年には、自身、「性同一性障害」者であることを「カミング・アウト」している
(訳注)バセル・アドラBasel Adra、西岸地区、ヘブロン生まれ、2024年、パレスチナ人、イスラエル人の協同グループによって製作された、ドキュメンタリー「No Other Land」を、ベルリン映画祭に出品
ユバル・アブラハムYuval Abraham、エルサレム在、アラブ系ユダヤ人、ヨーロッパ系ユダヤ人の出自を持つ、祖父の一人は、イエメン系ユダヤ人で、パレスチナ・アラビア語を流暢に話すという、祖母の一人は、イタリアが占領地リビヤの設営した収容所で生まれた、もう一人の祖父は、その家族のほとんどをホロコーストで失った、という、パレスチナ人の友人を持ち、西岸の彼らの住居が、イスラエル国防軍に破壊されるのを目撃する中で、次第に占領政策に対する熱烈な批判者となった、ロンドン在のパレスチナ人ジャーナリスト、ガザの作家集団「ウィー・アー・ノット・ナンバーズ/われわれは、単なる数字ではないWe Are Not Numbers(WANN)」創設者のアハメド・アルヌークAhmed Alnaouqと親交を結び、「アクロス・ザ・ウォール/壁を超えてAcross The Wall」を創立、パレスチナ人の語りをヘブライ語に翻訳、イスラエル主流派メディアの話型に対抗して、パレスチナ人の「再・人間化」を図る運動に従事、しかし、このプロジェクトは、アルヌークの家族の多くが、今次のイスラエルによる爆撃で殺害されたことから、頓挫を余儀なくされた、彼はまた、テルアビブを根拠地とする、イスラエル左翼の独立メディア「+972 Magazine」のレポーターでもある
「+972 Magazine」ウェッブサイト
「No Other Land」、ベルリン映画祭のアーカイブ

「No Other Land」予告編、"No Other Land" | Trailer | Berlinale 2024
(訳注)ガッサン・ハーゲGhassan Hage(1957-)、ベイルートに、マロン派キリスト教徒の家族のもとに生まれる、レバノン系オーストラリア人人類学者、メルボルン大学教授、問題とされたのは、ハマスの襲撃直後、自身のブログに掲載した、以下の文章↓
... the Palestinians, like all colonised people, are still proving that their capacity to resist is endless. They don’t only dig tunnels. They can fly above walls.
・・・パレスチナ人たちは、すべての植民地主義下に置かれている人々同様、依然として、果てしなく抵抗を持続する能力を有していることを証明し続けている。彼らはトンネルを掘るだけではない。彼らは、「壁」の上を飛翔することだってできる。
ナンシー・フレイザーNancy Fraser(1947-)、父方はリトアニアおよびポーランド系ユダヤ人の系譜、母方は、アイランド系カトリックの系譜を引く移民の家族のもとに、合衆国ボルチモアに生まれる、哲学者として、長年ノース・ウエスタン大学等に勤務
(訳注)ジョディ・ディーンJodi Dean(1962-)、マルクス主義、精神分析、ポストモダン論の政治家学者
・・・

パリ
・・・
(訳注)パレスチナ領土、つまり、パレスチナ自治政府(PA)の施政権下にあり、「オスロ合意」の「二国的解決」案のもとで、パレスチナの領土とみなされることになるはずの、3つの地域、「ガザ」、「ヨルダン川西岸」、「東エルサレム」のうち、「西岸」のみに、「被占領地occupied」なる形容語句が付されるのはなぜか、以前から疑問だったのだが、
(1)「西岸」について:かつてヨルダン領であったこの地域は、1967年、「ナクサ/六日間戦争」以降イスラエル軍の軍事占領下にあり、その事実が、「ICJ」によって確認されているとのこと、イスラエル政府側は、これを否認、「係争中のdisputed」領土、と呼び、同国防衛省の一部局である「イスラエル民政府Israeli Civil Administration」の施政下にあるとしているようである、それに対し、
(2)「東エルサレム」は、同じく「六日間戦争」中に、イスラエルが占領、エルサレム市の領域に、一方的に組み入れられたが、国連総会の全会一致の投票で、その拡張行為は無効とされている、なお、この地は、旧約聖書に由来する、世界三大宗教(アブラハムの宗教Abrahamic religions)の聖地である、との、特別な性格から、1947年の国連総会、「パレスチナ分割案」の中で、「除外された独立体Corpus separatum」として扱われており、したがって、「西岸」と異なり、「ナクサ」以前も、ヨルダンの主権の範囲ではなかったのである、
(3)「ガザ」の歴史は、これらとまた異なり、1948年の「ナクバ」では、まだイスラエルによる占領を受けておらず、もっぱらのちに「イスラエル」となるべき土地、から追われた人々が、難民として流入する場所であったようである、この戦争の末期、エジプトを始めとする「アラブ連合」諸国が、ガザ市に「全パレスチナ政府All-Palestine government」創立、これは、「西岸」地区を支配するヨルダン、当時はトランスヨルダン、を牽制する動きであったとされる、1956年「スエズ危機」に際し、イスラエルは、ガザおよび、エジプトのシナイ半島を占領、しかし1957年、国際的非難を受けて撤退、以降、「ナクサ」まで、エジプトの支配下に置かれる、1994年、「オスロ合意」後、パレスチナ自治政府の管理下に移り、2000年、「第二次インティファーダ」を経て、2005年、イスラエル政府は、一方的に、ガザから入植地を撤収することを決定、その一方で、ガザ―イスラエル境界に壁を建設、この地区を「封鎖」状態に置いた、その様ないきさつからであろう、イスラエル政府側は、この地区が、「被占領地区occupied」とよばれることを拒否、しかし、国際社会の大勢は、依然として「占領下occupied」にあるとみなしている、
憶測であるから、正しくないかもしれないが、以上のような経緯から、たとえば、記事のこの文面のように、「西岸」のみに「被占領地区occupied」が付されるのであろうと思われる、なお、「被占領地区西岸地区(ただし東エルサレム烏含む)occupied West Bank (including East Jerusalem)」という表現もしばしばみられる。
(訳注)「ICC」、前検察官、および現検察官の出身国、経歴など
ファトゥ・ベンスーダFatou Bensouda(1961-)、英国領ガンビアのバサーストBathurst、現ガンビアのバンジュルBanjulに、ムスリムの家庭に生まれる、元ガンビア法務大臣、検察庁長官、1994年のクーデターで権力を掌握した、ヤヒヤ・ジャメYahya Jammehの独裁政権下にも、要職にあったことから、同政権の人権抑圧への加担につき、批判も受けている、国際法専門家としてのキャリアは、2002年、「ルワンダ国際戦犯法廷International Criminal Tribunal for Rwanda (ICTR)」から・・・2019年、トランプ政権下の合衆国は、彼女に対するヴィザ発給を拒否、これは、「ICCによるアフガニスタンにおける戦争犯罪捜査International Criminal Court investigation in Afghanistan」によって、合衆国の軍関係者が、訴追を受ける可能性に対する牽制、と見られている

合衆国歴代大統領

ガンビア、セネガル、カボ・ベルデ
カリム・アハマド・カーンKarim Ahmad Khan(1970-)、英国、スコットランドのエディンバラ生まれ、父親は、パキスタン生まれ、母親は、英国生まれ、家族は、ムスリムのマイノリティー、「アハマディア派Ahmadiyya Muslim」の信仰者、国際法専門家として、「旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷International Criminal Tribunal for the Former Yugoslavia (ICTY)」、「ルワンダ国際戦犯法廷International Criminal Tribunal for Rwanda (ICTR)」に加わった経験を持つ

イスラム、系統図
(訳注)「国際司法裁判所(ICJ)」、「国際刑事裁判所(ICC)」、の異同、「ICC」の法的基盤である「ローマ規定Rome Statute」については、以下の記事参照↓
彼らによって実行された攻撃の残虐さは、いかなる意味においても正当化され得ないが、それは、その行為に説明を与え、その行為を文脈の中に置きなおしてみる、という作業をすべきでない、ということを、決して意味しない・・・イスラエル「ポスト・シオニズム」の歴史家、イラン・パぺ氏の論説、など。
(訳注)法律の「素人」であるから、どこまであてになるか、怪しいものであるが・・・説明を試みると、裁判権の及ぶ範囲にはいくつかの段階があり、犯罪が重大であるほど、一般にそれは広くなる・・・
「属人主義」:犯罪がどこで犯されたかにかかわらず、犯罪の実行者が、ある国の国民である限り、その国の裁判権が及ぶ、ただし、その人物が国外にいる場合、実際に、逮捕、送還を要求できるか否かは、別途、両国間に「犯罪者引渡し」条約の存在如何による
「属地主義」:犯罪者がどこの国籍を有しているかにかかわらず、国内で侵された犯罪には、その国の裁判権が及ぶ
「世界主義」:ハイジャック犯罪等、いくつかの重大犯罪では、だれが、どこで犯そうと、いかなる国の法廷も、訴追を行うことができる、ここでも、実際に、犯人をその国の法廷に連れてくることができるか否かは別問題であるが
「ICC」の場合、これらの原則中の、「その国」を「『ローマ規約』署名の締約国」と読み替えることになろう、
(i)「西岸」、「ガザ」は、パレスチナ自治政府という締約国の領土であるから、「属地主義」により、犯罪を犯した者の国籍によらず、したがって、イスラエルの政府、軍の高官であっても、これを訴追できる、
(ii)イスラエルは締約国ではないから、その領土内で侵された犯罪に、「ICC」の裁判権は、およばないのが原則であるところ、ハマスの戦闘員は、締約国パレスチナの国民であるから、「属人主義」により、彼らが、南部イスラエルで犯した可能性のある戦争犯罪について、「ICC」は捜査できることになる
なお、そもそも、だれが、訴訟を提起できるか、というのは一応別問題で、原則として、重大な利害関係を有する当事者のみが、「訴訟適格/当事者適格locus standi」を有すべきところ、戦争犯罪、ジェノサイド等の極めて重大な犯罪に限り、「世界主義」が適用され、誰もが提訴することができる、今回のイスラエルのガザでの戦争について、たとえば、南アフリカや、ニカラグアのような「当事者」でない国が、「ICJ」に、また、記事にもあった、バングラデシュ、ボリビア、コモロ、ジプチが、「ICC」への提訴国たりえているのも、その現れと思われる、ミャンマー政府のロヒンギヤ迫害について、ガンビアが、「ICC」に提訴しているのも、その例であろう、以下の記事参照↓
被害者自身が、その「語り」を自ら形作ること・・・ガンビアの「記憶の家」、ジャメー独裁政権下の弾圧の被害者たちによる、歴史を書き直す試み/ニック・ロール2022年5月21日アル・ジャジーラ・・・あるいは憶測にすぎないが、この遠く離れた西アフリカの国が、ミャンマー政府のロヒンギア迫害について、「国際刑事裁判所」に対する提訴国となっている理由の一端がうかがわれる記事、と思えたので
(訳注)イスラエルへの軍事援助額が、合衆国に次いで2番目であるドイツをはじめ、ほとんどのヨーロッパ諸国は締約国である、イスラエルも合衆国も、一度署名したことがあるものの、批准はしておらず、また、今後も批准するつもりがないと「ICC」に通告しているようである・・・一方、記事ののちの部分でも触れられるが、これまで「ICC」の訴追を受けた案件が、圧倒的に、アフリカ、「グローバル・サウス」に偏っていることから、この法廷では「二重の基準」が採用されており、帝国主義者の植民地主義的ツールにほかならない、との批判から、署名を控えたり、取り下げたりする「第三世界」諸国も多い、と言われる
「ローマ規約」署名国(124国)一覧
・・・
(訳注)ハシャロン監獄Hasharon prison:テルアビブ・ヤッホTel Aviv-Yafo北北東20キロ、ナタニヤNetanyaの南10キロ
「アダメア/アダメア収監者支援人権協会Addameer/Addameer Prisoner Support and Human Rights Association」:1992年、ラマラにおいて創立、収監者の支援、獄中での暴行、拷問の監視、などの活動を行っている、その事務所が、繰り返しイスラエル国防軍による強制捜査、襲撃の対象となり、その職員が、「行政的拘禁措置」下に置かれたりしたほか、2021年には、イスラエル政府により「テロリスト組織」規定を受けている
(訳注)ダモン監獄Damon prison:ハイファHaifaの南50キロ
(訳注)ビルゼイト大学Birzeit University、ラマラの北北西6キロ、1924年に女子幼稚園として建てられたものが、1975年に大学に改修された、パレスチナ自治政府の資金援助、監督下にある公立大学
(訳注)「キング・フセイン橋国境検問所King Hussein Bridge Border Crossing」、ヨルダンの首都アンマンと、西岸のイェリコJerochoを結ぶ街道上、ラマラからなら、東に30キロ
オフェル監獄Ofer Prison:ラマラ南西3キロ、カランディア検問所Qalandia Checkpointの北北西3キロ
ヨルダン川西岸地区、詳細図
・・・
(訳注)アル・アウダ病院al-Awda Hospital:ガザ市北方、ジャバリア難民キャンプJabalia refugee campの南側に、「el-Awda」、それより北、ガザ地区北端の、エレツ検問所Erez Check point、の南西3キロに、「al-Awda」が見つかったが、いずれを指すのかわからない、また、近傍にいくつか病院があるようだが、ここ記事で指しているのが、いずれなのかも不明
(訳注)「アル・アルヒ・バプティスト病院al-Alhi Baptist hospital」:ガザ周辺に、「バプティスト病院」に類するものがいくつか発見できたが、アラビア語の表示しかないため、詳しいことはわからなかった、なお、「アル・アフリ病院al-Ahli hospital」という名称の病院が、ラマラやヘブロンにあるようで、あるいは、ローマ字綴りは、こちらの方が正しいのかもしれない・・・(追伸)やはり、アル・アフリ(バプティスト)病院al-Ahli (Baptist) Hospital、であった、
المستشفى الأهلي العربي
3つの単語が並んでいるが、アラビア語辞書に問い合わせた結果、右から順に「病院」、「人民」、「アラブ」、であることがわかった・・・「アラブ人民の病院」の意、ガザ市南部、ゼイトウンZeitounにある、1882年創立、アングリカン/英国国教会系のエルサレム・エピスコパル教会Episcopal Church in Jerusalemが運営する、ガザ地区唯一のキリスト教系病院
(訳注)「ジュネーブ条約」については、以下の記事参照↓
彼らによって実行された攻撃の残虐さは、いかなる意味においても正当化され得ないが、それは、その行為に説明を与え、その行為を文脈の中に置きなおしてみる、という作業をすべきでない、ということを、決して意味しない・・・イスラエル「ポスト・シオニズム」の歴史家、イラン・パぺ氏の論説、など。

ハイファからガリラヤ湖

テルアビブ・ヤッフォ、ラマラ、アンマン
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(訳注)「シェンゲン圏Schengen Area

(訳注)マチルデ・パノMathilde Panot(1989-):左翼政党「ラ・フランス・アンスーミス/不服従のフランスLa France Insoumise/France Unbowed」の代表者
(訳注)「エコロジストLes Écologistes(LE)」:2010年、「緑の党The Greens/Les Verts」、「ヨーロッパ・エコロジーEurope Ecology/Europe Écologie」、の合同によって創立
・・・
(訳注)「ヌセイラト・キャンプNuseirat camp」:ガザ市南東10キロ
(訳注)「グラスゴーGlasgow」、スコットランド

英国、アイルランド

ガザ地区北部、ガザ市
・・・




ほら、「ペタコ/白頭鵠仔」も、「ね、バッチリやってね!」と、励ましてくれているではないか(笑)?
・・・

「四月になれば、・・・」っていう歌があったわね。

April Come She Will/Simon & Garfunkel
April, come she will, when streams are ripe and swelled with rain
May, she will stay, resting in my arms again
June, she'll change her tune, in restless walks, she'll prowl the night
July, she will fly, and give no warning to her flight
August, die she must, the autumn winds blow chilly and cold
September, I'll remember, a love once new has now grown old






チュウシャクシギ(シギ科)


そりゃ、二週間も経ったのだから、様変わりしていて、当然だった。




アオアシシギ(シギ科)


夏が終わりそうになると、「来年まで生きているだろうか?」と大騒ぎし(笑)、冬の終わりが近づいても、同じことを言う、とかく老人は騒々しい(笑)。


コサギ(サギ科)


予想外に、同じ場所に留まっていてくれたりもする。






イソシギ(シギ科)


それもまた、ある種の「恥」の感覚、または、「贖罪」の身振り、と言えるでしょう。

染物について想い起されるのは沖縄で用いる染めの材料であります。本土では既に正藍しょうあいが得難くなってきましたが、この島ではまだ活々と用いられています。種類が違って、広くは「山藍やまあい」の名で呼ばれます。色を出すのが容易で、どの家でもしこむことが出来ます。国頭くにがみ地方に行きますと藍畑あいばたけ藍溜あいだめがしばしば眼にとまります。このよい材料がある上に、黄は庭先にある「ふく木」から、茶は「てかち」と呼ぶ木から、たやすく得られるのは、沖縄の染物の強みであるといわねばなりません。
「手仕事の日本・第二章日本の品物、沖縄」柳宗悦
「正藍」:アイ(タデ科)
「山藍」:「ヤマアイ」という植物は、別に存在するようで、沖縄本島で藍染めに用いられるのは、リュウキュウアイ(キツネノマゴ科)、そして、どっちがどっちだったか、何度調べても忘れてしまうのだが、宮古と八重山では、これと異なって、どちらか一方が、「本土」と同じ、アイ(タデ科)を用い、もう一方は、ナンバンコマツナギ(マメ科)、を用いるのだったはずだ
「ふく木」:フクギ(オトギリソウ科)
「てかち」:または「てぃかち」、オキナワシャリンバイ(バラ科)
・・・









オキナワシャリンバイ(バラ科)



やはり、「『愛の対象』喪失に対する喪の作業の反復強迫」を主症状とする「うつ病患者/メランコリー者」としては、いましばらく「服喪期間」が必要なのだ。

旧暦三月の月は、これだけ、・・・、確か、五日の月が雲間に顔を出したから、撮ろうと思って屋上に上がったところで、この、四年ほど使っていたカメラが、壊れてしまった、電気仕掛けの機械の壊れ方は、そっけない(笑)、電源スイッチを押しても、うんともすんとも言ってくれないから、手の施しようがなく、「大事にしていたものが壊れてしまった」、などと、憂愁にふける暇もあたえてくれない、・・・、それからしばらく、雨降りが続き、むしろ、月が出てくれない方が、「ああ、カメラが壊れてしまったから、もう、月の写真も撮ることができないんだ」、ということを思い出させないから、有難かったりする(笑)、という倒錯的な気持ちにさえなってしまう、さあ、新しいカメラを買うぞ、という気持ちにならないのは、もちろん、貧乏だからではあるが、やはり、「『愛の対象』喪失に対する喪の作業の反復強迫」を主症状とする「うつ病患者/メランコリー者」としては、いましばらく「服喪期間」が必要なのだ、そんなわけで、もう、暦も見なくなってしまった頃、ふと東の空に昇りつつある「待宵」が目に入ってしまって、月が出ているのに、写真を撮らないとはも・っ・た・い・な・い・、なる貧乏性(笑)、コンパクト・デジカメを構えて、撮ってしまった(笑)。




旧暦三月二日の月、月の入一時間前



旧暦三月三日の月、月の入二時間前



それは、「他処(よそ)」の言葉なんだから、「それ、どういう意味ですか?」なんて訊いてはいけない(笑)。

旧暦二月から三月にかけて、当地は「うりずん」とよばれる季節になる、冬から春に移ろう頃、これに先立つ「冬」は、陰鬱な曇天が続き、そして、そうこうしているうちに、あっという間に、もう「梅雨」になってしまう、「常夏」の島は、いつも「抜けるように青い空」、だと思い込んでいたが、話が違うじゃないか!などと怒ってはいけない(笑)、勝手に「思い込む」方が悪い(笑)、作物の植え付けの時期なのだから、この雨は、「恵みの雨」なのだからね、ところで、「うりずん」って、どういう意味ですか?「潤う(うるおう)」と関係があるとも言われるが、よくわからないらしい、「日琉同祖論」を喧伝するわけではないが、日本語と琉球語は、祖語を同じくして、古いどこかの時代で分岐したらしく、それを証拠立てるような例は、いくつもある、柳田國男も、伊波普猷もそう言っている、でも、「それ、どういう意味ですか?」と尋ねて、答えが返ってくる、と思い込むのは、異なる言語観に、まるで「一対一対応」の関係が存在するみたいに扱ってしまう謬見であって、やはり、「外国語」に対する礼譲を欠いた、「自言語中心主義的」傲慢といえよう(笑)、・・・。


テッポウユリ(ユリ科)


「ショッピング・モール」の駐車場、歩行者用信号の警告音に、鳴き負・け・な・い・ように!


ヒヨドリ(ヒヨドリ科)


水面に夕日が映える。そう、これからの季節は、あなたのような「地元のみなさん」(笑)、とのおつきあいがもっぱらになるでしょう。


バン(クイナ科)


おや?、「下の句」がなくて、「ばっちり!、ばっちり!」ばかりが聞こえるぞ!




シロガシラ(ヒヨドリ科)


気が付いたら、とっくに「春分」も過ぎて、「二十四節気」はその次の「清明」だ。陽が落ちるのが遅くなっても当然。




ヒヨドリ(ヒヨドリ科)


二十四節気


モンシロチョウ(シロチョウ科)


イソヒヨドリ(ツグミ科)・メス


これは、いわゆる「千鳥足」、ではない(笑)。








シロチドリ(チドリ科)


「大、中、小」のうちの「大」、季節も終わりごろになってようやく。


ダイシャクシギ(シギ科)


シギ科分類表、・・・、ダイシャクシギ属の中に、ダイシャクシギ、チュウシャクシギ、コシャクシギ、つまり、どれも通常のシギたちに比べて、嘴が長いからそう名付けられたんだろう、「大尺」、「中尺」、「小尺」と、三種類、揃っているのだが、コシャクシギは、当地にも渡って来ると言われるけれど、20年にわたる「バードウォッチャー」歴の中で、まだ、一度も見たことがない、チュウシャクシギが一番よくお目にかかることができるが、そういえば、このダイシャクシギは、今季初めて、だったかもしれない


背筋をぴんっ、と伸ばして、いや、どこに「背」があるのだ?




コサギ(サギ科)


いつものように(笑)、「居ながらにして」バード・ウォッチング、「looking through a bathroom window」、ありていに言えば、トイレの窓から、隣家の庭を望む。








ヒヨドリ(ヒヨドリ科)



オキナワシャリンバイ(バラ科)

テッポウユリ(ユリ科)

コサギ(サギ科)

ヒヨドリ(ヒヨドリ科)

ユウゲショウ(アカバナ科)





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Last updated  2024.06.06 19:22:07



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