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テーマ:運命の出会いって!?(266)
カテゴリ:東欧☆じぶん研究
義母が夫にもたらした影響にショックを受け、そこから私にももたらされた影響にもショックを受け、 続いてボーリャのお母さんがボーリャにもたらした影響にもずい分考えさせられ、 そうしているうちに「じゃあうちのお母さんは...?」ってひとしきり考えてみたのが、母の大きな影響についての発見になりました。 これで思いました。 親って、自分の要求を満たすために子供を平気で犠牲にしてしまう残酷な生き物なんだな、って。 本来なら守ってあげなくてはならない自分の子供を簡単に痛めつけるものなのね。 親って、なんて自己チュウなんだろう...。 なので自然とこういう目標を立ててみたくなりました。 私はできるだけそういうことにならないよう努力しよう!、です。当然ながら。 そして私の娘達へのこれまでの接し方も振り返ってみました。 そうしたら、けっこういろんな場面で、私も母と似たようなことをしていた気がします。 母ほど強烈ではなく軽くですが。 「よくないなあ」って思いつつなぜか叱ったりした記憶があります。 自分でも「こんなに叱る必要ある?」と思いつつ叱るんです。 そんな場面をはっきり覚えています。 今考えれば、あれって母が私にしたことを無意識に繰り返しているのに過ぎなかったようです。 これって、 親に虐待されて育った人は、自分の子供にも同じことをしてしまう、っていうよくあるパターンそのものです。 暴力とかではないけれど、私自身の叱り方が母のそれと似ているのに気付きました。 これも私に与えられた大きな課題なんだって思います。 母のやった過ちは私だけで終わらせて、娘達はもっと改善された生き方ができるように私が努力しなくちゃいけないんだ、って。 なのでそれ以来、自分自身を見直すことにしています。 今叱っていることは、本当に叱る必要があることなのかそうでないのか、 一歩はなれたところから客観的に見て判断するようにしました。 必要以上に怒ったり叱ったりしているのもよく見えて、 「そんなことで叱ることないわ」、ってその場で自分に言い聞かせれば、叱らない分だけおだやかに過ごすことができてかえって楽です。 叱ること自体が結構なストレスなので、自分から好んでストレスを作る必要もないんですね。 母の出来なかった課題を私はやり遂げてみようと思いました。 心を柔軟に持ってみようと思いました。 私一人だけどんどん内面的な変化を遂げていることに、多少不安がないでもないです。 だって夫なんか未だに甘い環境に浸っていて、ほとんど変化してなさそうですし。 夫の家族ももちろん前とまったく変わらないままです。というか彼らは一生変わることはないのが分ってます。 あ、一生に一度はすこしは変わるかもしれないかな? 死ぬ直前、ほんの瞬間的に。 死ぬ直前って、過去に自分のやってきた過ちとかがハッキリ見えるはずだものね。 それはともかく...、 私が内面的に変化していることで周りの人達とは差がどんどん大きくなっているのを感じます。 夫の家族と一緒にいるとたまらなく居心地悪いです。 なので理由をつくってなるべく側にいなくていいよう心がけています。 私はもうこの家には属していないのがはっきり分ります。 今日の夕方、洗面台で手を洗っていてふとあることを思いつきました。 その場で実行してみました。 濡れた手にハンドソープを取ります。 右手の薬指にブクブク泡立てて、 スッと結婚指輪をはずしてみました。 洗った指輪はタオルで拭いて、キャビネットの私用の棚に置きました。 以来私の薬指は、9年間ずっとはめていた指輪がなくなってちょっと軽い感じです。 指輪がなくても平気なことに私自身驚いています...。 ブログランキングに参加しています! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.08 08:25:24
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