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あと、「安心」とか「自由」ということを考えるときには「気質」という視点も必要になります。
気質が違うと「求めている安心のあり方」や「求めている自由のあり方」が異なってくるからです。 同じ状況でも、「ある人は安心を感じても別の人は安心を感じていない」とか、「ある人は自由を感じていても、別の人は自由を感じていない」などと言うことはよくあることです。 その背景にあるのが気質の違いです。 胆汁質の人は「行動の自由」を求める傾向があります。 多血質の人は「表現の自由」を求める傾向があります。 粘液質の人は「感覚の自由」を求める傾向があります。 憂鬱質の人は「心の自由」を求める傾向があります。 ですから、有形無形の檻の中に入れられたら、胆汁質の人は不自由を感じて自由を得るために戦います。 厳しい規則で縛ろうとすると、規則破りを始めます。 多血質の人は、一人ぼっちになると不自由を感じます。誰からも束縛されていなくても、「自分を表現する相手」や「感情を共有する相手」がいないと不自由を感じるのです。 粘液質の人は追い立てられたりして、自分のリズムを狂わされると不自由を感じます。リズムが崩れると、感覚の働きも崩れてしまい、ちゃんと見て、ちゃんと聞くことが出来なくなってしまうからです。 憂鬱質の人は檻に入れられても、一人ぼっちでも自由を感じることが出来ます。憂鬱質の人が求めているのは「心の自由」だからです。 ただし、強い刺激は嫌います。外部からの強い刺激は自分の心との対話を妨げるからです。静かな自然の中で自分の心と対話しているときに自由を感じます。 だから、他の人が外部から憂鬱質の人に不自由を感じさせることは難しいです。でも、憂鬱質の人は自分で自分を束縛して不自由になることが多いです。憂鬱質の人に不安を感じるような情報を与えると、ズーッとそのことばかり考えて不自由になります。 <続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.07 07:03:36
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