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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2023.05.13
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カテゴリ:カテゴリ未分類
自然界にあるものは全て「固有のリズム」と「固有の時間」を持っています。
多くの人がこの宇宙にあるもの全てが同じ時間の流れを共有していると思い込んでいますが、それは事実ではないのです。

犬が生きているリズムや時間と、ネコが生きているリズムや時間は異なります。
動物が生きているリズムや時間と、植物が生きているリズムや時間も異なります。
生物が持っているリズムや時間と、岩などの無機物が持っているリズムや時間も異なります。
私が生きているリズムや時間と、あなたが生きているリズムや時間も異なります。
地球上の生き物と、地球自身が持っているリズムや時間も異なります。
地球のリズムや時間と、月や太陽のリズムや時間も異なります。
そして、大人が生きているリズムや時間と、子どもが生きているリズムや時間も異なります。

でも人は機械で計ることが出来る時間や、自分の時間感覚を基準にして相手の時間を計ろうとします。
だから植物や大地が生きている時間や、世界や、命が見えないのです。

ネズミの寿命は平均で2年ぐらいだそうです。
ペットなどで飼われているミドリガメの寿命は40年ぐらい。およそ、ネズミの20倍です。
人間の寿命は今では80才ぐらいですが、動物しての人間の本来の寿命は55才ぐらいだそうです。

象は、人間のように薬や医学に支えられなくても70年ぐらいの寿命はあるようです。なんと、ネズミの35倍です。

では、ネズミ自身はたった二年で終わる自分の人生(?)を「あっという間」と感じているのかというとそんなことはないと思います。この2年は、ネズミ自身にとっては一生を生きるのに十分な時間だからです。そういう命のサイクルになっているのです。
人間や象に比べて短くても、誕生から老化、そして死までの一連の流れはちゃんと完結しているのですから。

ネズミが感じる「自分の一生」と「象が感じる自分の一生」に、違いはないのです。第三者の目にはネズミは「たった二年」で死んでしまうように見えますが、本人達の感覚では同じ一生、同じ時間なんです。

「ゾウの時間ネズミの時間」(本川達雄著)という本がありますが、そこには
一生の間に心臓が打つ総数や体重あたりの総エネルギー使用量は、サイズによらず同じなのである。
と書いてあります。

つまり、機械を基準にした客観的な時間ではみんな異なった寿命を生きているのですが、本人の生命時間を基準にしたらみんな同じ時間を生きているのです。

昔の人は「人生50年」と言いましたが、現代人はその倍の「人生100年」と言ってます。
でも、だからといって人生の充実度や中身の量が倍になったわけではありません。「人生50年」時代を生きていた人も、「人生100年」時代を生きている現代人も、「自分感覚としての一生の長さ」は同じです。

科学が進歩すれば寿命はもっと伸びるかも知れません。そのうち「人生200年」という時代も来るかも知れません。でも、その200年は50年が引き延ばされただけのことです。今よりも人生を二倍謳歌できるようになるわけではないのです。

だから、どんなに寿命が長くなっても「もっと長生きしたい」という願望は絶対に消えないのです。

だから大切なのは「寿命を延ばすこと」ではなく、自分に与えられた時間、与えられた命を無駄にしないように大切に生きることなんです。

今生きている時間を充実させれば、客観的な寿命は伸びなくても、長く生きたのと同じ感覚や充実感を得ることが出来るのです。

でも逆に、ボーッと無為に生きていたら、100年生きても、200年生きても、あっという間に自分の人生が終わってしまうのです。

実際、一分一秒を一生懸命に生きている子ども達の、「一日の体感時間」は長いですよね。ご自身の子どもの頃を思い出してみて下さい。

でも、毎日同じ事を繰り返すだけの大人の一日の体感時間はあっという間ですよね。年を取れば取るほど一日の時間、一年の時間が短くなるのはそのためです。

大人の「一年」という時間を圧縮したら、子どもの一週間や一ヶ月程度の量になってしまうのではないでしょうか。

簡単で便利な機械は時間を短縮してくれます。でもそれと同時に自分の生活を単調化させることで、一日の実感時間も短くなってしまうのです。
子どもの一日が長くて充実しているのは、機械に頼らないで遊んでいるからなんです。

現代人は簡単で便利な機械を使うことが時間の節約につながっていると思い込んでいますが、それは自分の「人生時間」の浪費なんです。簡単で便利な機械は「モモ」(M.エンデ著)が言うところの「時間泥棒」の手先なんです。

時間を節約できると思ってやっていることが、実際には、「自分にとって大切な時間」を失うことにつながってしまっているのです。
実際、現代人は何でも手仕事でやっていた昔の人よりも心とからだのゆとりを失ってしまっています。肉体的には楽になっても精神的には忙しくなってしまっています。

簡単で便利な機械を使うことは、社会や文明の効率や生産性をあげてくれます。でも、その一方で私たちの「(感覚的な)命の時間」は短くなってしまうのです。だから、何の充実感も得ることが出来ないまま一日があっという間に終わってしまうのです。

その「あっという間に終わってしまった一日」は記憶に残らないでしょう。
100年、200年と、いくら長く生きても「記憶に残らない一日」を積み重ねるだけの生き方をしている人の人生はあっという間に終わってしまうのです。

子育ての場でも、便利な機械や道具を使ってパッパッと家事や炊事を済ませて子どもと遊ぼうとしても楽しく遊べません。

また、簡単で便利な機械を使ってパッパッと仕事を終わらせることに慣れてしまっている大人は、始めも終わりもなく、ダラダラ続く子どもの遊びに付き合うことに苦痛を感じてしまいます。

でも、料理や炊事や洗濯も、子どもと一緒に、昔の人のように手間と暇と時間をかけて楽しみながら行えば、時間が充実して体感時間が長くなるのです。「想い出の量」が増えると、実感として感じる時間も長くなるのです。

私がそういうことを強く感じるのは旅に出たときです。
特に外国に行ったときはたった一週間が一ヶ月ほどにも感じることがあります。日本に帰ってから日本の時間に戻るのに結構時間がかかります。
バックパッカーで一年ぐらい外国を回って帰ってきた後、日本の時間に慣れるまでに数年かかりました。

年を取ったから一日の時間が短くなるように感じるのではないのです。感覚や思考や生活のあり方を効率化させ、簡単便利に生きることに慣れてしまうから一日の時間が短くなってしまうのです。





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Last updated  2023.05.13 07:51:35
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