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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2023.05.21
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「文明」は、古今東西一様に「物質的豊かさ」を求めます。というか「物質的豊かさ」を実現した社会を「文明化された社会」と呼んでいるわけです。

どんなに高い精神性を持ち、素敵な歌や踊りを楽しみ、素晴らしい絵画や工芸品を創り出し、そういうものが伝承されている社会でも、自然の中で、自然と共に暮らし、物質的豊かさが実現されていない社会を「文明化された社会」と呼ぶことはありません。

でも、古今東西、物質的豊かさを求めて巨大化した文明は100%滅亡しています。例外はありません。100%です。

これは想像でしかありませんが、縄文時代の人たちは、高い精神性を持ち、素敵な歌や踊りを楽しみ、絵画や工芸品を創り出し、そういうものが伝承されている社会だったのではないでしょうか。
ただ、「文明」が創り出した物質的な豊かさは遺跡として残りますが、精神性や歌や踊りなどは遺跡という形では残りません。

人から人へと伝承し、人々の生活や心の中にしか存在できないようなものは、それを受け継ぐ人や群れが消えれば、ほぼ100%消えてしまうのです。
自然から頂いたものを利用して作った工芸品や道具も、自然のサイクルに従って消えて行きます。

そのため、それを科学的に検証することも、その素晴らしさを知ることも出来ません。
でも、今現在生きている私たちの精神性や文化はその「消えてしまったもの」の流れの中にあります。物質としての形はなくても、目には見えない流れが連綿とつながってきたからこそ私たちの「今」があるのです。

ネイティブアメリカンやチベットの人たちの高い精神性や文化も何百年、何千年と受け継がれてきた流れの中にあるのでしょう。

でも今、その人々の生活の中や心の中に「何百年、何千年と受け継がれてきたもの」が、消えつつあります。文明の力を見せつけられた人々が、「心の豊かさ」よりも「物質的豊かさ」を求め始めたからです。

昔は、無償で人から人へと受け継がれてきた歌や、踊りや、精神性や、生活につながる文化は、そういうものを求める人が「お金を出して買うもの」になりました。
「社会全体で共有出来るもの」ではなくなってしまったのです。

今の日本には、祖父母、親子の三代で「一緒に歌う歌」や、「一緒に踊る踊り」は特別な例外を除き存在していません。
歌や踊りだけではありません「言葉」すら世代間で通じなくなってしまっています。

でも、歌や、踊りや、精神性や、生活につながる文化の伝承が途絶えてしまった社会は、過去の文明と同じように遺跡だけを残して消えて行くしかないのです。

なぜなら、どんなに高度な文明でも、その文明を支えているのは「心の働きによって支えられている人間」だからです。人々の「心」が育たなくなれば文明も消えて行くのは当然の結果なんです。

私たちは「高度な文明を支えているのは機械ではなく人間だ」ということを忘れてしまっているのです。でも忘れてしまっていても、どんなに高度な機械がいっぱいあっても、人間が育たなくなってしまったら文明は消えてしまうのです。
その「人間を育てるために必要なもの」は「機械」ではなく「人と人のつながり」なんです。

便利な機械が登場する以前の社会では、「人と人のつながり」がなければ生きていくことが出来ませんでした。でも、生活を支えてくれる便利な機械が登場することで、人々は「人と人のつながり」がなくても生きていくことが出来るようになりました。

お母さんから「お料理の作り方」を受け継がなくても、お母さんよりも美味しいお料理を簡単に手に入れることが出来るようになったのです。
現代社会で生きていくために必要なのは「その便利な機械を買うためのお金」だけです。

じゃあそれだけ人々が幸せになったのかというと、どうもそうではなさそうです。物質的に豊かになればなるほど精神的には貧しくなってしまったようです。
自己肯定感が低い人も増えました。というか、いまではそういう人の方が多いくらいです。
自傷する若者、自殺する若者も多いです。


こういう状態だからこそ、私たちは今「アート」と呼ばれるものの価値を再発見すべきなんです。

機械やお金は共有出来ません。だから競争が生まれます。競争は破壊と、戦いと、崩壊を生みます。
でも、歌や、踊りや、絵画や、詩や、文学はみんなで共有出来るのです。一緒に笑い、一緒に喜び、一緒に泣くことが出来るのです。
そういうものには現代社会で失われてしまった「人と人をつなぐ力」と「人を育てる力」があるのです。

​そして「遊び」もまたアートです。​

以下は宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」の一部です。

農民芸術の興隆
曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

農民芸術の本質
もとより農民芸術も美を本質とするであらう
われらは新たな美を創る 美学は絶えず移動する
「美」の語さへ滅するまでに それは果なく拡がるであらう
岐路と邪路とをわれらは警めねばならぬ
農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具体的なる表現である
そは直観と情緒との内経験を素材としたる無意識或は有意の創造である
そは常に実生活を肯定しこれを一層深化し高くせんとする
そは人生と自然とを不断の芸術写真とし尽くることなき詩歌とし
巨大な演劇舞踊として観照享受することを教へる
そは人々の精神を交通せしめ その感情を社会化し遂に一切を究竟地にまで導かんとする
かくてわれらの芸術は新興文化の基礎である​​





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Last updated  2023.05.21 06:41:51
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