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自己肯定感が低い人は、
・自分には価値がない ・自分には優れたところがない ・自分は他の人より劣っている ・自分はちゃんと評価されていない ・自分は無能だ ・やる気が起きない ・頑張れない ・何をしたらいいのか分からない ・自分は一人ぼっちだと思い込んでいる ・自分で決められない ・相手の評価ばかりが気になって自分の気持ちを否定してしまう ・一人でいるときには自分で自分を責め、他の人といるときには他の人から責められているように感じてしまう ・物事を具体的に考えることが出来ない ・論理的に考えることが苦手(学校の成績とは無関係です) ・いつも頭にもやがかかっているような気がする ・部分ばかりが気になって全体を見ることが出来ない などの特徴があるような気がします。 当然のことながらこういう状態の人は、自分の頭で考えて、自分の心と感覚で感じて、自分の意志と行動で主体的に遊ぶことが出来ません。 また、「無駄なことを大切にする」とか、「意味のないことにも意味がある」とか、「役に立たないものにも役割と価値がある」というような考え方も出来ません。 そもそも、こういう考え方をすることが出来るのなら「自己肯定感」という考え方に捕らわれることも、それが低いことに悩んだりするはずがないからです。 「自己肯定感」という考え方自体が、「価値のあるもの」と「価値のないもの」を、「役に立つもの」と「役に立たないもの」分ける現代社会の価値観が生み出したものなんです。 自己肯定感が低いと感じている人は、自己肯定感を高めたいと思っているのでしょう。でも、そのような「自己肯定感」という考え方に束縛されている発想自体が、自己肯定感が低い人を大量に生み出しているのです。 「自己肯定感」なんかどうでもいいのです。 「自己肯定感が低い」の反対は「自己肯定感が高い」ではなく、「自己肯定感のことなんか気にしない」なんです。 「どうも私は自己肯定感が低いようです。でも、それが〝私〟なんですからしょうがありません。私はそんな自分を楽しんで生きています」と言ってしまえば、自己肯定感が低くても高くても、自分の人生を自分らしく生きることが出来るようになるのです。 「自己肯定感」という考え方に捕らわれていること自体が、社会的価値観よって自分を評価しているのです。そして、自分で自分を評価してしまうから、自分の人生を自分らしく主体的に生きることが出来ないのです。 現代社会を支配している ・時間をかける、時間がかかるのは無駄なことだ ・ゆっくりやるのは怠けです ・結果を求めない、結果が出ない行為は無意味です ・能率的、合理的でないことは悪です ・手間暇かけるのは無駄なことです ・「ちゃんと、きちんと、素早く、効率的、合理的に結果を出すべきだ」という考え方はよいことです 実際、コロナ騒動が起きたとき真っ先に否定されたのが、「無駄なもの」として認定されている「遊び」と「アート」(芸術」でしたよね。というような考え方が、自分自身を評価する癖を創り出し、自己肯定感に捕らわれる人を大量生産しているのです。 このような価値観の対極にあるのが、現代社会が否定している「遊び」と「アート」(芸術)の世界なんです。 でも、そのような「無駄なもの」を否定し排除する社会は、活力を失い次第に衰退していきます。 自然破壊が起きたのも、自然から「人間にとって価値のある資源」だけを取り出して、自然の循環を支えている多様性を「無駄なもの」として破壊し続けてきたからですよね。 世界中のみんなが「遊び」と「アート(芸術)」の価値を見直し、そういうものを大切にする社会と生活を創り出せば、自然と「自然」も再生するのです。 「壊れた自然を直そう」という発想自体が、さらに自然を壊しているのです。 それは「問題児をよい子に矯正しよう」という発想と同じものです。そういう発想自体が子どもの尊厳を否定していることに気づいて下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.31 07:04:07
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