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森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声@ Re[1]:「魂のはなし」(もう一人の自分)(06/10) めげぞうさんへ >6年生の子どもたちが、…

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森の声

森の声

2023.06.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類
以前からやってみたいと思っているワークがあります。(以前から言っていますが、なかなか実現できていません。)

それは、「森や自然の中に入って、直径1mの円を描いて、一人だけで一時間、そこでジーッとしている」というワークです。
(本当は丸一日かけてやりたいですけど・・・)

何もしません。
ただジーッとしているだけです。他の人は、その人から見えないところで同じようにします。

そして、後でみんなで集まって、「何が見えたか」、「何が聞こえたか」、「何を感じたか」、「何を考えたか」、「何を発見したのか」、「何に気付いたか」などということを話し合います。

どうしてそういうワークをやりたいと思ったるのかというと、頑張っている人や、忙しい人や、苦しみの中にある人や、どうしていいのか分からなくなってしまっている人は、この「見る」「聞く」「感じる」「考える」「発見する」という働きが止まってしまっているからです。
現代人の多くがこのような状態です。

まただから、工夫も出来ないし、生きることが楽しくならないし、自由に遊ぶことも出来ないのです。

どんな人でも、人は常に無意識のレベルでは見ているし、聞いているし、感じているし、考えているし、発見もしています。

でも、意識が目先のことを処理することばかりに占有されてしまっている人の場合は、その無意志の世界で起きていることが意識に働きかけることが出来ずに、そのまま消えて行ってしまうのです。

そのため、何を見ても、何を聞いても、何を感じても、それが感じ方や、考え方や、行動の変化につながっていかないのです。
それがいわゆる「見えているのに見ていない」「聞こえているのに聞いていない」という状態です。

だから、一度その状態になってしまうと、自分の世界に閉じ込められてしまい、なかなか抜け出すことが出来なくなってしまいます。

子どもが泥団子を持って「ママ見てー」と持ってきた時に、その時の笑顔ではなく、「泥んこで汚れた洋服」だけを見ようとする人がいます。
家事に追われているとそういう状態になってしまうのです。

無意識では見えているのです。
ですから、「その時お子さんはどんな表情でしたか」と聞かれれば、「笑っていた」と想い出すことも出来ます。

でも、家事に追われていると、その笑顔にも腹が立つのです。
それは「笑顔は見えていても笑顔として感じていない」ということでもあります。

そんなお母さんでも、何か不幸があって子どもが亡くなったりすると、その笑顔を笑顔として想い出すのです。
そして、自分を責めます。

「自分が知っている自分の心」にはその笑顔は残らなくても、「自分が知らない自分の心」にはしっかりと残っているからです。

意識の働きが目先の出来事から解放されると、その「自分が知らない自分の心」の声が聞こえ始めるのです。
「見えていたのに見ようとしていなかったもの」が見え始めるのです。

このワークにはそのような働きがあるのではないかと思っています。

人間の心は重層的に出来ています。
自分が知っている「自分の心」は、その「層になっている心」の「上から見える部分」だけです。
自分の心なのに、人は表面的な部分しか「自分の心」のことを知らないのです。
そして、その「表面の心」に束縛されています。

思春期の子どもが、本当はお母さんやお父さんが大好きなのに、その「本当の心」に気付かず「クソじじー」、「クソばばー」と言って反抗してしまうのもそのためです。

私のワークの対象は、今までズーッと「子育て中のお母さん」がメインでした。
気質のワークそれ自体は「子育て」とは直接つながってはいませんが、それでも「子育て」と関係づけて説明することが多いです。

そのため、「森の中で一人で・・・」というワークは、想いとしてはありましたが、実際には企画したことがありません。子育て中のお母さんが、子どもから長時間離れて一人でそういうワークに参加することはほぼ不可能だからです。

私がそういうワークを考えるようになったきっかけは、30才の時にバックパッカーで一年近くヨーロッパやインド周辺を歩き回っていた時の体験からです。

バックパッカーには「やらなければならないこと」は何もありません。
時間も行動も自由です。
どこに行くのか、何日そこにいるのかということも自由です。

何もしなくてもいいし、何かしてもいいのです。
そういうことは全部自分で決めるのです。

スペインが一番長くて半年いました。マドリッドでアパートを借りて三ヶ月、後の三ヶ月は、地中海に面したアリカンテというところの近くにある「olla de altea」というところでは冬場は使っていない地中海に面した別荘を友人と一緒に借りて住んでいました。

何をしていたのかというと、毎日絵を描いていました。油絵です。
屋外にイーゼルを立てて、一日中同じ場所で同じ風景を描いていました。
幸せな時間でした。

その別荘があったのは小さなスーパーマーケットが一軒だけある小さな村でした。
周囲にはアーモンド畑がいっぱいあって、春には桃や杏と似た花を咲かせていました。

そんな田舎町にいる時のことですが、ある時嵐が来て停電になりました。
でも私は日本人の感覚で、1,2時間程度で復旧すると思っていました。
でも、1,2時間経っても復旧しません。
一日経っても、二日経っても復旧しません。
やっと復旧したのは三日後です。

最初のうちは今か今かと待ち続けたのですが、そのうち諦めました。すろと電気がないのが日常になりました。そのころ電気が復旧しました。

その後、スペインを出て、フランス、イタリアと通って船でギリシャに行き、そこから飛行機でインドのボンベイ(今のムンバイ)に行きました。

インドでは絵を描かずに、ただ、「インド」を体験しようと思っていました。
それで、何にも考えずに自由に飲み食いしていたら、手痛いインドの洗礼を受けることになりました。
「下痢」です。

その結果、トイレから10m以上離れることが出来なくなりました。
それが一週間続きました。

その一週間、日中は誰もいなくなったホテル(サルベーションアーミー)のロビーで、椅子に座ったきりの状態で、一人っきりで過ごしました。
意識はボーッとして半分トリップ状態です。

そこはインドですから、エアコンなどありません。一日中窓は全開状態です。
窓のすぐ外にネムノキの巨木があって、満開でした。
色々な鳥がロビーの中に入ってきて床を歩いていました。(インドらしいでしょ)
外からは物貰いが演奏する寂しい音楽と賑やかなクラクションの音が聞こえました。

その時、食べることが出来たのは果物だけでした。
一週間、少量の果物だけを食べ、椅子と一体化して過ごしていました。
(多分この時、10キロ近く痩せました。)

すると、意識や感覚が変わって来ました。

「次は何をしようか」と考えなくなりました。
そして、ただ「今」「ここ」だけを感じるようになりました。

すると色々なものが見え、色々なものが聞こえ始めました。

それまでも見えていたし、聞こえていたのですが、「見え方」、「聞こえ方」が変わって来たのです。
「目」で見て「耳」で聞くのではなく、直接魂に響いて来るような感じで見えたり聞こえたりするようになったのです。

露天で売っていたり、道ばたに落ちていたマリーゴールドの花が、内側から光って見えるのです。
町中を歩いている時に突然ジャスミンの匂いがツーンと脳天に響くのです。
物乞いの音楽が心に響くのです。
ちなみに「ガンジャ(大麻)」はやっていませんからね。
もしかしたら、下痢と「インド」という雰囲気が麻薬的な働きをしたのかもしれません。

その後、電車に乗って旅をしていましたがインドの電車(汽車にもいっぱい乗りました)はよく止まるのです。
でも、何のアナウンスもないので理由が分かりません。どの程度で走り出すのかも分かりません。車内は満員状態です。(いつも一番安い電車しか乗っていなかったので・・・)

その日も突然止まりました。
でも、私は日本人感覚ですぐに動くだろうと思っていましたが、10分経っても、20分経っても動きません。
イライラして何回も何回も時計を見ました。
全く不思議なことに、急ぐ旅ではないのに時間が気になってしょうがなかったのです。

一時間経っても動きません。
それなのに何のアナウンスもありません。
幸いにも私はギュウギュウの中でも座ることが出来ていたのですが、車内は満員状態です。

「周囲のインド人達もイライラしているのかな」と見ていたのですが、何事もないかのようにお話をしているだけです。

そんな状態だったので「これがインドなんだ」と、一時間が過ぎる頃には諦めました。

すると、窓の外で木陰で寝そべっている牛が見えるようになりました。頭に荷物を載せて運んでいる女性達が見えるようになりました。
犬や豚も、丘や空も見えるようになりました。
それまでも見えていたのかも知れませんが、急にその情景が心に響いて来たのです。
そして「ああ、インドだ」と思いました。

「からだ」はインドに来ていたのに、まだ「心」がインドにはたどり着いていなかったのです。
その時、「心」もインドにたどり着きました。

そんな体験があったので、「何もしないワーク」をやってみたかったのです。
でもこれは、ワークに参加しなくても自分一人でも出来ないことはありません。
5分や10分といった短い時間でも、「スマホも見ず、家事や役に立つことを何もしない時間」を確保することは出来ないことはないと思います。
雲を見ているだけ、お花を見ているだけ、雨の音に耳を澄ませているだけでもいいと思います。

それだけでもきっと、心に変化が生まれると思いますよ。

(やってみたいという人が10人集まれば企画します。場所は山梨にある知り合いがやっているプライベートキャンプ場です。自炊しながらの泊まりがけになります。子どもの参加は不可です。)





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Last updated  2023.06.02 06:31:11
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