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私には不思議なことがいっぱいあります。
ちなみに、“どのようにして”は科学で説明できるかも知れませんが、不思議感覚から生まれた“なぜ?”には科学では答えられません。 「自分が生まれてきて、今ここでこうして生きている」という不思議。 「人にはなぜ心というものがあるのか」という不思議。 感情はイヌにも猿にもあります。そして、確かに感情も心の一部です。 でも、感情は心に力を与えてくれたり、心を萎えさせたりはしますが、心そのものではありません。 心の世界の中にはなんでもあります。時には宇宙すら心の中にあります。時間にも束縛されません。過去も未来も心の中にはあります。また、距離にも束縛されません。地球の裏側のことだって宇宙の果てのことだって意識を向けることが出来ます。 その「心」は「生きがい」を求めます。でも、どうして人間は生きがいを求めるのでしょうか。 またどうして、正解を求めるのでしょうか。 不思議です。 どうして人間は「真・善・美」を求めるのでしょうか。なんで美しいものを見たがるのでしょうか。美しいものを見たって何の役にも立たないのに。 「美」だけでなく「真」も「善」も何の役にも立ちません。 でも、人の心はその真・善・美がないと苦しくなります。 どうしてなんでしょうか。 不思議です。 どうして、人間は人間の赤ちゃんだけでなく、他の動物の赤ちゃんも可愛いと感じるのでしょうか。 人間が、人間の赤ちゃんを可愛いと感じるだけなら理解できます。同じ種だからです。 でも、イヌや猫はもちろんのこと、さらにはヘビやワニの赤ちゃんまで“可愛い”と感じる人がいるのはなぜなんでしょうか。 さらには、わが子のようにそれらの動物を可愛がる人もいます。 不思議です。 もっと不思議なのは、そのように可愛がられると自分とは異なる種なのに、動物たちが人間になつくのはなぜnなのでしょうか。 不思議です。 どうして宇宙は生まれたのでしょうか。 宇宙は無から生まれたと言われています。 宇宙は一つだけではなく無数にあるという学説もあります。 宇宙には大きさはあるのに、果てはないと言います。 ビッグバーンなどなかったという説もあります。 そもそも、この世界の全ては更に高度な知性体によって作られたシミュレーションに過ぎないという説すらあります。 本当はどうなのでしょうか。不思議です。 どうして人間は見えない世界のことを考えたり、観ようとしたり、聞くことが出来ない音に耳を澄ますことが出来るのでしょうか。不思議です。 人間は心の中に現実世界のコピーを持つことができます。そして、そのコピーを神のごとくに自由にいじくり回すことができます。 神ですら心の中に創り出すことが出来ます。 それはまるでCGの世界のようです。 どうしてそんなことができるのでしょう、不思議です。 もう少しすると、毎年出会う不思議があります。 枯れ野原に一面の草が萌え、葉のない木々に突然花が咲きます。あっという間に世界の色が変わります。 これは何回体験しても不思議が消えません。 私にはもっともっといっぱいの不思議があります。 そして、私はその一つ一つが気になってしょうがないのです。 それで、その“なぜ?”を解き明かしたいと考えます。 毎日毎日考えています。 どうして、私はそんなにもいっぱい不思議を感じるのでしょうか。 それも不思議です。 皆さんにも不思議はいっぱいあるのでしょうね。 よかったら教えてくれませんか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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