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カテゴリ:復刻日記
東山魁夷という画家のことを調べていて、つぎのようなエピソードと出会いました。 少年の頃、須磨の海で泳いでいて、大きな土用波に巻きこまれたことがある。 私は一瞬、どうなるかと恐怖を感じたが、その強力な波の力に対し、あばれないで身をまかせていた。思いがけず、ぽかっと頭が波間に浮びあがった。私が沈着だったからではない。どうしてよいかわからないから、なんにも出来なかったのである。あの時、私が力のかぎりあばれていたら、かえって溺れていたのかもしれない。 東山魁夷 東山魁夷は終戦近くに召集を受け、いよいよ本土決戦となったら爆弾を抱えて敵陣へ飛び込むという自爆攻撃の特訓を受けていました。 その合間に、訓練の一環としての命令により熊本城へと走らされます。いつ出撃命令が出てもふしぎではない情況のなかで、自らの命を投げ出すことを覚悟していましたが、目の前に現れた静かな熊本城とそれに調和する風景に、魁夷の心に今までになかった感動が忽然と湧きあがったといいます。 「……どうしてこれを描かなかったのだろうか。今はもう絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無く、死をまっているだけというのに……」汗と埃にまみれて、泣きながら走り続けました。 広島長崎に新型爆弾が落とされ、いよいよ自爆攻撃という命令が出る寸前に終戦となり、再び絵筆を手にすることができるかと思いました。しかしそのときには全ての肉親を失い、絶望のどん底に遭遇しています。 どん底と絶望の果てにであった諦観、そしてすべてあるがままをうつす静かな心境になったときに、ようやく描くことができたのが「残照」という作品でした。 戦争のさなかに開眼した魁夷の目は、自然の息吹を確かに捉えることができるようになったのです。 東山魁夷は1999年に亡くなっていますが、長野県は生前に画伯より、700余点の作品と関係図書数百冊の寄贈を受け、信濃美術館に併設して東山魁夷館を開館しています。 蝶クリックを! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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