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カテゴリ:ほろ酔い日記
わが家の軒下で産まれた5匹の子猫、3日ほど前から引っ越しをはじめました。 どうやら親猫が咥えて、自分の飼い主の家に運んでいるようなのです。2日前までに4匹がいなくなり、ちょっとホッとしていたのですが、最後の1匹を忘れたのか遺棄したのか引き取りにきません。 気温の落ちる夜中に、目が開ききれない子猫をおいたら体温が低下して死んでしまうのではないかと、家の中に入れミルクを与えコタツで温めています。 動物の世界も、無条件にすべての子どもに愛情をもつということではなく、幾つかは育たないという前提で数多く産んでいるのでしょうか。 猫の世界では父猫の役割はまったく無責任です。子育てにまったく参加していません。その点、人間の父親は子育てこそほどほどでしょうが、家族を守るために戦ってきました。 古代から現代までの人類の男の歴史は、自と他の対立、戦争、支配と被支配、掠奪と侵略の連続でした。男たちもガンバッテきました。男なりの新しい理想を打ち建てようとしてきましたが、結果はどうでしょうか? 理想→幻滅→新しい理想→幻滅→また新しい理想、良い面もありますが、僕の実感では空回り、戦争や経済によって科学技術などは進歩したのでしょうが、人間が今後も生息しつづける環境としては悪くなるばかり…、とまでは言わないまでも、袋小路に人っています。 その結果、人類は地球上最悪な病原菌のようなものとなったのかも知れません? 地球から人類がいなくなれば、他の生命はもっと、のびのび、ゆったりと共存できるのでは? こんなペシミスティックな考えをもつのは、やはり、子宮を持だない男たちの人間観、世界観、頭脳だけでものごとを空想し、組み立てるという根本に問題があるからでしょう。 女性には子宮という自と他を受け容れる器がある。この潜在的能力は、人類の歴史上でいえばほとんど公的に発揮されていません。 男たちの理想とか頭で考えた愛でなく、肉体としての愛。コンピュータで整理できるキレイ事ではない。子を孕み、産み、育てる愛、これがベースとなった精神が、人間対人間、民族対民族、宗紋対宗教の和解の道を造りだすべきではないかと考えるのですが…。 ただ、最近は政治や経済分野でも女性が活躍し、男顔負けの力を発揮している人も増えてきました。そして、なかには政治や軍事についても、男顔負けな強硬な意見を吐く女性も少なくありません。 これらの人は子宮的思考が退化し、やはり頭で考えることが進化した人たちなのでしょう。いうならば理で自分の思想をつくった人。 本来なら、その両方がほどよくかみ合っていれば、人間と動物たち、地球と人類、それぞれの共存関係がつづく世界が拓けてゆくような気がしますが、これも永遠のテーマとなるのでしょうか。 わが家の軒下で産まれた猫の子の世話をするうちに、支離滅裂な哲学などぼんやりと考えている猫のパパです。 励ましのクリックを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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