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カテゴリ:日替わり日記
昨日の講演は、予想して用意した資料が一部も残らず無くなるというまずまずの盛会だった。 どんな人が聴きにくるのだろうと、興味津々だったが始めてお会いする人たちが多く、そんなことも嬉しかった。 終わった後、「おもわずウルルときました」と話しかけてくれる人もいたり、「ピッタリと1時間半に押さえてあるとはなかなかのもの」「今までの金子みすゞ像を見直すきっかけになった」。など、聴いてくださった皆さんはそれぞれに面白がってくれたようで、まずはほっとした。 途中で眠っている人がいないか、話の途中ときどき会場内を見渡したが、一人もいかったから、退屈もしなかったのだろう。もっともところどころにTMさんが詩の朗読をいれるから、ほどよい眠気覚ましになったのかも知れない。 スタッフたちも口々に良かった良かったといってくれたが、疑い深い僕としては、面白くなかった人はさっさと帰っただろうから、当然ながら僕の耳には不評の言葉は届かないのは当然だ、裸の王様かも知れない…などと。 金子みすゞの詩の書き方で特に優れていると思うのは、自然界を描きながら人間関係のあり様を鋭く見つめている、いわゆる比喩的手法だ。 たとえば「あさがは」では、理解不能な他者との関係をユーモラスに描き出す。 青いあさがほあつち向いて咲いた、 白いあさがほこつち向いて咲いた。 ひとつの蜂が、 ふたつの花に。 ひとつのお日が、 ふたつの花に。 青いあさがほあつち向いてしぼむ、 白いあさがほこつち向いてしぼむ。 それでおしまひ、 はい、さやうなら。 と楽しげに書いているが、この頃のみすゞは、金子テルと夫の啓喜との凄まじくも悲惨な生活を送っている頃だ。 そのことを思うと、夫婦が互いにあっちこっちを向いているのにお日さまは照らしてくれる。しかし、そっぽを向き合いながら(私たち)夫婦は別々にしぼみあっている。 それでお終い、はい、さようなら…。 と、自分の哀しみを作品中ではユーモア的に転換してしまっている作品だ。泣きながらつくっている笑顔である。 というように、文芸をどのようにもこじつけて解釈してしまうところが面白くもあり、僕のいいかげんなところであるといえる。 励ましのクリックを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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