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カテゴリ:流言飛語
先日は皆既日食とやらで、当地方は薄曇りながらなんとか見えた。 要するに、太陽と地球の間に月が入ったというだけのことだから、長生きさえすればこれからも見ることができるそうだが、前回は46年前だったそうな。そういえばうっすらと記憶にのこっている。ガラスをろうそくのススで黒くしてのぞいた。 この次は26年後、はたして生きているか…。 近くで数人の若者が、ボンヤリした雲を眺めながら歓声をあげている。この若者達はちゃんと見ることができるだろう、たぶん。 僕は日食のことより、この若者たちの言葉が面白くて聞き耳をたてていた。 どことなく子どもっぽい「丸文字」的な言葉。「○○でエ、××のオ」という言い方、「……みたいな」「……だなんて」「……というか」という語尾のない言い方など、オジサンたちからすれば、顔面にケリを入れたくなるような(この足が届けばだが…)言葉遣い。 いやいや「最近の若い者」はなにも最近始まったことではなく、プラトンが「最近の若い者は口のきき方や、礼儀を知らない」と文句をつけているし、もっと前には、前四十五世紀のクロマニヨン人の長老が「最近の若い者は動物の声の真似や咬みつき方がなってない」と嘆いていた(……ようだ)。 もっとも、「最近の若い者」と言いはじめたらもう老境だとする説があって、みなこの説を知っているせいか何も文句を言わず、社会全体が若者に媚びおもねる体制に変わってきた。 若者たちも甘やかされることやチヤホヤされることにスッカリ慣れてきている。これはこの社会が腰くだけになっているからであって、つねにおとなは「最近の若い者は」と文句を言い続けねばならないのだ。これが文化の継承である。 また若者はこれに反発しなければならない。これが文化の活性化である。これは人類史上の大切な伝統であり、これこそがすぐれた文化を形成してきた原動力なのだ。 おとなと若者のなれ合いのぬるま湯社会などロクなもんじやない。 と、十分に話がそれた。 といいながら実は、最近は若者言葉にある感覚語には、なかなかツボを心得たものが多いとも感じている。 「うるうるしちゃった」、「じとーっ」なども、目が「うるむ」「うるおい」とか、「じとじと」「じっとり」などを上手に表現していると思う。 書き言葉でもパワーアップしている。「元気している(^_^)v? この間は逢えてうれしかった(~o~)ルンルン。帰ってきてから(T_T)です。また逢えるね(^_^)/ バイバイ(^_^)/~」 絵文字など入れてより親しみを感じる。こんな調子ならラブレターも簡単に書けてしまいそうだ。 もっとも、最近はいい大人が、ケイタイメールでこんな調子にあそんでいる人もいる。いい歳をしてメールばっかり気にしているなんて、なんかそぐわないなー。 え~と、なんの話しだったっけ。そうそう、日食。 日食って、ようするに太陽と月と地球が重なったときにおきる現象。重なるなら、人間同士がいいなー、なんて…。 ということで、あいにくのすっきりしない空。ぼんやりしか見えなかったけれど、こうなったら26年後にもういちど挑戦するしかないか。おつきあいしてくれますか? 今日から、大勢のお客さんがお泊まり。 ということで、忙しくて更新がとどこおるかも…。 励ましのクリックで、書けるかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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