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カテゴリ:流言飛語
期日前投票をしてきた。 NHKの調査員が出口調査をしていて、協力を求められたので素直に応じた(まるで職務質問)。 それで回答と引きかえに「どうなんです情勢は?」と聞いてみた。すると、「質問には答えられません」ときた。 「いや、NHKの人としてではなく、一個人のあなたに聞いたのです」とたたみ掛けるとようやく、「大きく変わりそうですね」と言うから、僕は、 「そうか、大きく変わるということは、自民党も自民党のOBが集まって出来たような民主党も負けて、思いもよらなかった政権ができるということですね」 と、ありそうもない期待を言ったら、目を見開いてパチクリさせた。 昨日の記事で二大政党制に向かうことの危険性を書いたが、重ねていいたい。 日本が健全な政治風土であるためには似たような2つの政党だけでなく、多様な政党がいてさまざまな角度から、日本の向かうべき道の提言をしたり、政権党の政策や不正ををチェックできる体制が必要である。 それは、好き嫌いはベツにして共産党でも公明党でもその他の政党でも、もちろん新党日本ならなおいい。-_-;) 自民党や民主党に期待をもっている支持者にしても、どんなに立派な政党であったとしても、長期政権はやがて制度疲労をおこし、もたれあい、なれあい政治が始まることは理解できるはずだ。 ところで、さまざまな人が触れているからご存知だと思うが、最高裁判所判事の国民審査も同時に行われる。それに、最低2名は×をつけるべきだ。天木直人氏のブログに詳しいので、それを転載させて戴く。 しかし今度の総選挙では、政権交代よりももっと革命的な事が我々の投じる一票で起きるかもしれないのだ。 それが衆院選挙の時に同時に行われる最高裁判所判事の国民審査である。 今回の国民審査では憲法成立以来はじめて最高裁判事が信任拒否されるかもしれない。 最高裁判事の任命人事は国民の手の届かないところで、政府と司法官僚によって決められてきた。 そうして決められたこの国の最高裁判事は、この国の司法をほしいままにし、国民生活に多大な影響を与えてきた。 その最高裁判事の任免権限は、憲法によって最終的には国民の手にゆだねられてきたというのに、これまで国民はただの一度もそれを活用してこなかった。 それは無理もない。 一つには自分の一票でどうなるものでもないというあきらめがあった。 もう一つは最高裁判事についての情報不足があった。 どういう人物かろくに知らないで、どうして最高裁判事を審査できるのかという自信のなさが、我々を消極的な信任投票に向かわせていた。 ところが今回の国民審査に限ってはこの二つが見事にクリアされた。 たとえば外務省から天下りした元外務事務次官の竹内行夫判事である。 彼は外務事務次官の当時、米国のイラク攻撃を支持し、自衛隊をイラク派遣に派遣した責任者だ。 その自衛隊のイラク派遣を名古屋高裁は昨年4月違憲であると断じた。 憲法を破った人物が「法の番人」となるなどということが認められていいはずがない。 もう一人、最高裁長官である竹崎博允判事である。 かれは昨年11月、あの裁判員制度を成功させるために最高裁長官に抜擢されたと報じられた司法官僚だ。 すでに裁判員制度の開始で明らかになったように、裁判員制度は国民の意思を無視した平時の徴兵制ともいうべき悪しき制度である。 早晩廃止されなければならない制度である。 その制度をつくった張本人の一人であり、その制度を強引に定着させようとする人物を、最高裁長官にとどめておいていいのか。 イラク戦争に反対した国民や、裁判員制度に反対する国民にとって、これほどわかりやすい判断基準はない。 しかもそれらに反対する国民はどんどんと増えつつある。この二人に不信任の一票を投じようと呼び掛ける運動が全国で広がりつつある。 ひょっとしてあなたの一票が彼らの否認を決定づけることになるかも知れないのだ。 これほど意味のある一票はない。これほど直接的に自らの一票が結果に結びつくことはない。 今度の総選挙で、どの政党、どの候補者へ一票を投じるよりも、はるかに重要な事がある、と私が強調する理由がそこにある。 励ましのクリックを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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