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カテゴリ:日替わり日記
「ありがとう」という言葉、昔と現代では意味や使われ方が少し違ってきているように思いませんか? では「ありがとう」はどう変わったのでしょうか。 「ありがとうございます」や「ありがとうございました」は従来通り大して変わったとは思えません。 ただの「ありがとう」。これが変わったと感じます。 これは目上の者が目下の者へ、また同輩や親しい者同士で使う言葉であるだけに、略されることも多く、案外使われませんでした。気軽な相槌的なものはともかく、心からの感謝の言葉を口にするのは何か面はゆいものでした。 少なくともかつての僕がそうで、家族に(思っても)なかなか「ありがとう」とはっきり口にすることが少なかったと思います。 目上に対しての、あるいは儀礼的な感謝の言葉は出やすい。しかし、同輩や目下にはなかなかいいにくいというのがその理由です。 その「ありがとう」の中身が少しく変わってきたように感じます。儀礼から、より心に近くなり、深まり拡がってきました。 最初にそれを意識きっかけは、あの日航機事故だったような気がします。死へとつき進むダッチロールの中で、何人かが震える字で遺書をのこしていました。その中に妻や家族への「ありがとう」がありました。 死んでゆく自分が、家族へ遺す最高の言葉が「ありがとう」でした。この言葉は一生続く悲しい辛い思い出の中でも、遺族の心を照らし温めつづけることでしょう。あの状況下でこの言葉を遺し得た人たちの強さ、やさしさを思いました。 この時僕でさえ受けた強烈なショックは、おそらく社会にも一般にも浸透していったのでしょう。TVドラマなどで、いまわの時に夫が妻が、配偶者に「ありがとう」をいうことが多くなったような気がします。いちまつの救いを余韻として残すシーンですね。 歌手がステージのラストで「アリガトーウ!」と叫ぶのも、この頃から増えたように感じます。尾崎豊が死んだ時、本田美奈子が死んだとき、ファン達は涙にくれて立ち尽くし口々に叫んでいた。「ありがとう!」。 ここでこの言葉により、彼らはもう一歩広いステージに出たことになりました。 以来、この「ありがとう」という言葉が、ごく身近な言葉として使われるようになったように思います。少なくとも、僕はそのようになりました。 「ありがとう」がいっぱい言える世の中こそ、ひかりが…。 今日「焚き火の会」小雨が降っています、アリガトウ。(涙) 励ましのクリックを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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