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カテゴリ:日替わり日記
「ひまじんさろん」などといって、毎日のように駄文をアップしているものだから、「アホなヤツ、あんなヒマがあったらもっと働けば少しはマトモな生活ができるのに…」と、お節介を焼いてくれる人がいる。 余計なお世話だといいたいが、実のところヒマなど殆どない。(といいながら、ブログなど開いたりしているのだが…)このように書いていないと、すぐに怠け癖がムクムクと湧き起こってくるからだ。 そういえば、世間さまでも、 「お忙しいところわざわざ」 「本日はご多忙にも関わりませず」 などと、ヒマなときでもいわれる。頭からこのようにいわれると、「いえ、まア」などとモゴモゴすることがある。初対面の人、すなわちこちらの事情を全く知らない人からもいわれる。してみるとこれは一種の「あいさつ」だ。また、いわれるとそれを軽く否定しなければいけないから、一種のお世辞かも知れない。 ところで、「ひまじん」などと名乗っている身で世の中を見わたすと「忙し族」がほとんどで、相手を「ご多忙、ご多用」と持ち上げ、自分でも「忙しい、実に忙しい、どうだこんなに忙しいぞ」といばっているよう感じる。 忙しくない奴は昔でいえば非国民、今でいえば「うすら馬鹿」、うっかり「ヒマだ」「ひまじん」だ、などといえば周りから珍種の生物を見る目で見られることに気がついた。以来「いえ、まア」だ。 考えてみればみんなの「ご多忙」こそが戦後の日本を復興させ、さらに世界に冠たる経済大国をつくり上げてきたのだろう。 その中で自然に栄光ある「ご多忙」があいさつになり、連帯のしるしともなっていったのだろう。それに加えて「忙しさ」が即「マジメ」「仕事熱心」に直結するため、皆安心して忙しがっているのだろう。 しかし忙しくないマジメさや仕事熱心だってあるはずだ。単に能力がないから時間ばかりかかってしまう忙しさだってあるはずだ(自分で言っているから確かだ)。日本人は今まで通りいつまでも忙しがっていてよいものだろうか……? 「忙」は「心を亡くす」という字だ。実際忙しいと「気」は働くが「心」は鈍くなる。そういえば気は効いているが、心のこもらぬ商品やサービスが増えてきたような気がする。マニュアル接待としいチェーン店などのアレだ。 人間でも気は働かないが心があったかい人がいて、こういう人は上等だ。 ひま人が何いうかと怒るな諸兄、ひまだからこそできるものもある。 みなさんにはご多忙のところ、こんな文を最後までお読み頂き誠に恐縮です。ついでに、クリックなどして頂けたら幸いでございます。なんて…。 励ましのクリックを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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