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カテゴリ:日替わり日記
友人と22歳になる友人の娘とで居酒屋に入った。 娘が「Mさん(僕のこと)いいもの見せてあげようか、大切なお守り」とサイフからシワクチャの紙幣を取り出した。それは、かなり古い聖徳太子のもので、昔みた記憶のあるものだった。 それを見て友人がテレ臭そうに、紙幣のいわれを話してくれた。 この娘は、友人の2度目の妻との末っ子である。最初の結婚に失敗し、数年後に一回りも歳下の現在の妻と出逢って恋に落ちた。 彼女は成人を迎えたばかりの娘だった。娘が離婚歴のある三十男と結婚するということに娘の両親や親戚は大反対であった。 娘を拐かしたのかという非難のなか、駆け落ちにもにた形で、婚姻届けを役所に出しただけ結婚であった。そして2年後、長女が誕生した。 形式や世間体を重んじる妻の親族へ、彼は子連れで挨拶まわりをした。どの親戚も冷たい視線で、それでも彼はジッと耐えながら回った。 そんな中での最後の一軒、妻のおばあちゃんの家となった。その家は南アルプスがすぐ目の前に見える山村。夫に先立たれ80歳ほどになったおばあちゃんはニコニコと満面の笑顔で出迎えてくれた。 家族の反対の中でただ一人、孫娘が選んだ男だから間違いはないと、朝早くからよもぎを摘んで作ったという草餅やら精一杯の手料理を出してもてなしてくれた。 ひと口食べるたびにじっとのぞきこみ、友人夫婦の反応に嬉しそうにうなずく、シワクチャな笑顔が菩薩さまのようなやさしい光に包まれているかのような気持ちになり、それまでの地獄のようだった挨拶まわりの辛さが一瞬のうちに消え去ったという。 思えば20歳の娘が、両親にとってどれほど大切な存在だったかと…、三十過ぎの離婚歴のある男は拒絶されてあたり前であり、その己の行為を棚に上げて、冷ややかな視線に悪意を覚えた自分こそ、犬畜生に劣る自己中心の人間であり、おばあちゃんのためにも絶対に妻や子を幸せにすると心の中で誓ったという。 それから十数年。女の子ばかり三人の子持ちになった友人は、子供たちを連れて90歳を過ぎても野良着に身を包むおばあちゃんを訪ねた。 谷川のせせらぎがきこえる軒下で、おばあちゃん自慢の草餅に舌鼓をうち、子供達も一緒に居心地のよい時間を過ごし、帰路についたという。 家に着き、おばあちゃんが土産に持たせてくれた手作り野菜などどっさり入れた袋を開けてみると、なかに3通の封筒が入っていた。 中におばあちゃん同様にシワクチャな紙幣を伸ばしたものが出てきたという。それはかなり古い聖徳太子の千円札だった。 その頃、千円札は夏目漱石になっていたという。きっとおばあちゃんがずっと大切に持っていたものに違いなかった。 今の価値ではそれ程の金額ではないが、おばあちゃんがこの紙幣を手に入れた当時は相当の価値があったはずである。そして、それを神棚にでもあげてずっと大切に守ってきたのであろう。 それから数年後におばあちゃんは93歳で帰らぬ人となった。 しかし、おばあちゃんに貰った千円札はそれぞれ三人の娘のサイフの中で使われず、一生の宝の守り神として眠っているという。 僕に見せてくれたのは、そのうちの一枚だったのだ。 友人一家は上2人の娘は嫁ぎ、末っ子も彼が略奪したときの妻の歳を超えた。今年から銀行に勤めたばかりの娘に「もういつ嫁ってもいいぞ」と強がりを言って目を細めた。 その娘と飲むときに、お前がいたほうが娘もよろこぶからと僕を誘ってくれる。僕も、彼だけよりかわいく成長した彼の娘と一杯やるのを楽しみにしている。 励ましのクリックを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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