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カテゴリ:日替わり日記
若い女性と談笑していて、あるジョウダンを言ったときに「カワイ~イ」と叫ばれてしまった。 自慢ではないが、いや少しは自慢か…(笑)、これでも少年時代は「かわいい」といわれた経験はある。しかし、いまは当時のおもかげもないオヤジ貌である。それにむかって「カワイ~イ」といわれても、テレてしまうではないか。 思えば「かわいい」というのは不思議である。 赤ン坊の顔はかわいい、犬猫の子はもちろん、象の子でも、ハイエナの子でも、トラの子でもかわいいのである。 なぜかわいいと思うのか「動物にはそれはそう感じるようにプログラムされてるからだ」といってしまえばそれまでだけれども、やっぱり不思議だ。 まれに「赤ン坊なんか、ちっともかわいくない」という人もいる。いや、僕も自分の子どもはかわいくても他人の赤ン坊はあまり…、と思ったこともある。それでは、「かわいいものが嫌い」なのかと思うとそうでない。いわゆるその赤ん坊が嫌いなだけで、その人にとってのかわいいものは別にあるのだ。 あるいはかわいいというのは「好き」というのと同じかも知れない。 「かわいい」というコトバが、頻繁に使われるようになったのはいつ頃からだろう? 親からいわれた記憶はない。 最近では、ジイサンや怪獣や、バケモノもかわいがられている。それで「かわいい」というコトバの意味が変わったかといえば、そうは思わない。かわいいと好きは同じである、からだ。 もう少し回りくどく言うと、かわいいと思うことと、かわいいと思われたいことが「好き」というのには含まれているのではないか。 そして「かわいい」と思い思われることの「かわいい」は冒頭に述べたように、本当のところはよくわからないものなのだ。 物事を、“自分の外側の価値観”“正しいか正しくないか”“価値があるかないか”ではなく、自分の中の「スキ、キライ」で判断する、そういう風潮の中で「かわいい」というコトバは連発されているのだと思う。 「かわいい」というのは、だから趣味の表明であるといってもいい。しかし、そこからまた価値観が形づくられもする。オバケのQ太郎だって、みんながかわいいというからかわいいのだ。 だから最初に趣味を表明すれば、それを批評されもするのである。 たしかに僕が「カワイ~イ」といわれたら、すかさず側にいるヤツが、 「ええーッ? どーこーがぁ!!、趣味悪い~」と異議を申し立てるのだ。 そんなワケだから、「カワイ~イ」といわれたからといって、僕のことを「好き」なんだと、思いこんでしまったら、いけないんだな…きっと。 励ましのクリックを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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