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カテゴリ:日替わり日記
msk222 (「君が代」の是非は)議論してすぐに答えがみつかるものでもないし、平行線になることが多いでしょうね。でも、どうあるべきかの話し合いはゆっくりつづいてゆくべきではないかと…。 ksさん 意見が合わなくても、問題ないと思います。 bonbonusさん 私の父は戦前戦争反対を訴え、長い間監獄(今で言う刑務所)に隔離されていました。いわゆる非国民としてです。 ksさん 私の中では、非国民っていい言葉になってきました。 父は、バリバリの軍人でした。海兵70期繰り上げ卒業で≪真珠湾攻撃⇒大和特攻≫までの経験者で同期の約2/3が戦死しています。 bonbonusさんの、私と対称的な貴重な過去を聞かせていただき感謝しています。 お父様の(いい意味でのわがまま)で、お母様・ご家族は大変なご苦労をされた様子が目に見える感じがします。あの時代の空気の中で、ご両親ともよくぞ生き抜かれた。 msk222 僕も、保守的な父とよく論争をしたものです。しかし、父親としては尊敬していました。 ksさん 論争させてくれる父親は、いろんな事があっても後で尊敬できますね。こちらは、バリバリの帝国軍人の石頭で「怒鳴る」のが得意芸でしたので・・・もう心を通わせる努力もほぼ諦めてます。(頑固が感染しちゃっているのかな?) bonbonusさん ksさん丁寧なお返事有難うございます。 父親の人生は何だったかな、と思う時がときたま頭をよぎることがあります。 ほとんど自分の人生を語るような人ではなかった無口な人でしたけれど,3人の20代の息子を戦死させられた従兄弟がおり、従兄弟が亡くなり夫人も亡くなったあとでもセピア色した3人の子供の写真は我が家の仏壇に飾ってありました.子供心に自分に似ているな~と想ったものです。父は家族を崩壊させた『君』を許さなかったのでしょうね。壊滅した従兄弟ファミリーの遺骨を私どもの母が亡くなった機会に兄弟で合葬して一つにしました。 これで一つの時代が終わったかもしれません。 ただ母はクリスチャンなので教会に分骨しましたけれど、頑固というか自己主張の強い両親に育てられた私はどうなることやら(笑) 追伸:私は積極的には『君が代』を歌うことはありません。ただメロディはイ短調でなぜか心にしみる感じがするのです。 特に外国に異邦人として居住するということは幻としての国家が必要ですからね。 ひとつの記事から、いいコミュニケーションが交わせたと思います。 とかく政治や思想のことになると一方的に主張の投げ合いだけに陥りやすいものですが、このように締めくくることができたのは、このブログにコメントくださる方が(いい意味で)大人であったということでしょう。 話題が変わりますが、読書仲間で、今月意見をのべ合うことにしている本に、水村美苗著『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』(筑摩書房)があります。 著者は言語を「普遍語」「現地語」「国語」の3つに分けています。 「普遍語」は、国際交流の言葉で、今や英語が覇権を強めています。 「現地語」は日本なら日本の話し言葉。 「国語」は、近代化の過程で翻訳を通して書き言葉として整備された言葉です。 このうちの「国語」について、著者は強い危機感をもって語っています。 日本人は明治以来、努力して「国語」による言葉を作り出し、それによって学問も自国語でできるようになったし、日本近代文学も可能になった。世界的にみてそれができた国は少ない。 それが、日本人でも優秀とされている人ほど、(和製英語などを多用して)日本語の読み書きに関心を持たなくなっている。その一方、国民誰もが英語ができればできるほど良い、というような思い込みがゆきわたっている、と嘆きます。 「国語」がどれだけの高みに達しているか、またその高みを守るためにどうすべきかを著者は熱く説いています。 著者が、「亡びる」ことを恐れる「国語」について、皆さんも考えてみませんか。 といっても、ブログ向きの話題ではないので折々にポロッとこぼれる程度にとりあげることになるでしょう。 こんな日記ではつまらないという方は、 [Ctrl]を押しながら、左右クリックしてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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