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カテゴリ:日替わり日記
いくぶん古い話題になるが、片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』という本がベストセラーになったとき、あまりなタイトルに読む気がしなかった。 ときどきセイシュンエッセィを書いたりする僕としては、それでも作者の本を一冊ぐらい読んでおかねばなるまいと、著者のデビュー作である『きみの知らないところで世界は動く』に目を通してみた。 物語は1974年の秋から始まる。 同級生のジーコ。本名コウジをひっくり返した愛称だ。 映画『エマニエル夫人』を観ていて教師に見つかる。全校生徒の前に呼び出され、「歯をくいしばれ」と命じられる。体罰である。 ところがジーコは、何を思ったか、ズボンのベルトをゆるめて、お尻をむき出す。「男子生徒の爆笑と女子生徒の悲鳴」「良識ある教師たちの苦笑」。 小説は、この、世の中をさめた目で見ている、大人っぽいコージの、しかし17歳らしい茶目っ気たっぷりの登場で募が開く。鮮やかなファースト・シーンである。 コージと、語り手「ぼく」と、ぼくの恋人の同級生カヲル。この三者の高校から大学へ、三年間の、甘ずっぱい、また、ほろ苦い、何ともやるせなく、そして残酷な恋愛物語なのである。 過食症になったカヲルは入院する。ぼくとコージは彼女をひそかに連れ出し、車で旅に出る。ホテルに泊まる。夜更けて、ぼくはカヲルの異様な姿を目撃する。調理場の冷蔵庫を勝手に開けて、むさぼり食っている姿。 そしてぼくは、もはやカヲルを抱くことができない。彼女の瞳をのぞき込めば、いつでも見ることのできたものが、壊れてしまっている。抑制された文章が美しい。 最後には、二人の再会と、病気から立ち直ったカヲルとジーコの愛の確認へと結びついていって、セイシュンの予定調和ながらほっとさせられる。 青春小説の条件は、性をあからさまに描写しないこと、理屈ばらぬこと、そして何よりも登場人物の一人ひとりが、読者の昔の顔であり、姿であること、であろう。 そういえばテレビドラマにもなったことを思い出した。 内容はほぼ忘れたが、最後のこんなシーンだけは記憶にのこっている。 主人公が、自分の未来に悩んでいる息子にケータイでメールをするシーンだ。 大人になるのもそう悪いことばかりじゃないよ。 父さんは、君がああなりたいと思うような、そんな大人になるよう頑張ってみようと思います。 だから君も一緒に、頑張ってみませんか? くさいナー、と思いながらもちょっとだけホロっとできた。 ああ、大人にはなりたくないものだ…。 こんな日記でも応援しているよという方は、 [Ctrl]を押しながら、左右クリックしてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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