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カテゴリ:日替わり日記
このところ、この身が2つか3つ欲しいほど忙しくて、ブログの存在をすっかり忘れていた、というのはウソ。とにかく今の時期はとくに大変だからだ。でもムリしても書かなければ、毎日開いてくれている方々に申し訳ないというより、あいつは死んだと思われる。 世間の常識では「忙しい=稼いでいる」となるようだが、僕に限っては「忙しい=ますますビンボー」なんである。ようするに、稼ぎにならずないコトばかり忙しかったのである。 友人たちは僕のカミサンを見て、「Mの奥さんは大変だねー」と、無責任にのたまう。 確かに、カミサンは大変である。しかし僕のカミサンだけでなく、どこのお母さんだって大変なのである。 先日も、同じ幼稚園に通う母子グループが山荘で親子合宿をしていったが、その賑やかで慌ただしいことといったらなかった。部屋の中は終日ドタバタと駆け回る足音と叫び声。犬の尻尾はひっぱるし、障子には覗き穴がブツブツあく。 若いお母さんたちは、八面六腎の活躍をしいられて、傍で見ていても気の毒になる。 美しい目が少し吊り上がってしまうのも無理はないし、父親にそのストレスを八つ当たりするのもしかたがないか、とも思う。 それでも、「ひさしぶりにみんなゆっくり楽しめました」とニコニコと皆さん余裕の表情で帰られた。真面目に子育てをしているお母さんたちはエライしほんとうに大変だとおもう。 「そこへいくと父親なんて、てんで気楽なものよねえ」 と、世のお母さん方は思っているに違いない。確かにお父さんは、お母さんに比べれば気楽な存在かもしれない。 しかし全然大変じゃないかというと、そうでもない……と小声で言いたい。正面切ってでかい態度で言うと、本当に大変な毎日を送っているお母さん方に「大変さが違うよ!」と叱られそうなので、ちっちゃい態度で反論するが、お父さんだって時々大変である。 それが大袈裟ならば、小変とでも言おうか。お母さんは大変、お父さんは小変。何だか少しヘンな人みたいなニュアンスだが、実際この間の親子合宿を見ていて、そんなものだと思った。 しかし、お母さんが大変だと、同情を禁じえなかったりするのだが、お父さんが大変、いや小変だとどういうわけか喜劇的な印象が強くなり、笑いを禁じえなかったりする。 例えば、このあいだこんな場面に遭遇した。 またビロウな話で恐縮だが、僕は山荘のトイレにしゃがんでいた。 そういうのイヤッ! 私は生まれてこのかた一度もトイレなんか入ったことない、という上品な方は、ここから先は読まないで欲しい。 山荘のトイレには、和式と洋式と二種類ある。 「うーむ、やはりひとりでいられるトイレの中は落ち着ける。こんな静かなひとときがいいんだなぁ」 と年寄りじみた感慨に耽っていた。 と、そこへ闖入者があった。もちろん僕の入っている個室ではなく、すぐ隣の個室にバタバタと入ってきた者がある。どうやら釣りに訪れた父子連れであるらしい。男の子をトイレに連れてきたのであろう。 二人の会話は声高で、隣の個室にいる僕の耳に筒抜けであった。 「ほらッ、早くしろ。出たか…」 「まだ。んん~ン…!……出たあ。でっかいの出たよ!」 「いいからッ、 ほらパンツ穿いて」 ここで水洗の音が響いた。子供はおそらく4、5歳。お父さんがやけに焦っているのは、自分も便意を堪えていたからであるらしい。声に切羽つまったものが感じられる。 「早くどいてどいてどいて。脇によけていなさい」 「ねー、見ていーい?」 「何が?」 「出たら見せてね。でっかい?」 「んむむむ……」 「ねー、出たあ? 出たあ?」 「うるさいなッ!」 「出たら見せてよ! ボクのだって見せてあげたんだから、見せてよ」 「うるさいなあもう。く~、ンッムムムム」 「ねー、出たあ? 見せてよー」 「ったくもう。ほら見ろ、見ろ!」 「……ウひゃあ! でっかーい! おとうさんのすっごーい、くさい!」 再び水洗の音が響いて、二人はバタバタと出ていった。 その間、僕は笑いをこらえるのに一苦労した。子育ての頃を思い出して、父親としてそのお父さんのフクザツな心境が手に取るようにわかり、よけい可笑しかった。 この例にも明らかなように、お父さんの大変、いや小変さは、何故かお笑い系な色あいが強い。 しかし、隣の個室で笑いと足のしびれをこらえている僕もほんとうに小変であった。いやはや…。 こんな日記でも応援しているよという方は、 [Ctrl]を押しながら、左右クリックしてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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