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カテゴリ:日替わり日記
「福島の子どもたちに信州の夏休み」の報告会が行われ、ホームスティーを引き受けてくださった方々からの、その後の様子なども伺うことができた。 ほとんどの家族が、引き受けた子どもやその家族から手紙を受け取っていて、中にはメルトモのように毎日交信しているという家族もあるとのことだった。 単なる自己満足による一過性のプレゼントとではなく、これをきっかけに継続したおつきあいが始まってくれれば、結果として継続した支援につながるのではないかという思いがあった。 家族ぐるみでの、互いの地を交流し合うような約束を交わしている人もあって、そういう意味ではもくろみは成功したといっていいだろう。 わずかな滞在期間であったが、予想通り子どもたちとホームスティー家庭の間にさまざまなドラマがあった。 福島の子どもたちと一緒に楽しもうと買ってあった花火を忘れるほど会話に夢中になり、夜が更けるの惜しんでつかの間の夏休みを楽しんでいた様子などがこもごもに語られた。 二人の女の子を受け入れて貰ったある家族。 子どもたちが帰路につく朝、どのように別れの言葉を交わそうかと思案しているのに、受け入れた子どもたちが自分たちに近づいてこない。ようやく、一言二言話しただけでそっけなくバスに乗り込んでしまった。 何だか自分たちだけ思い入れが強かったのかと、ちょっとがっかりして帰宅したら、翌々日に手紙が届いて、そのときの心境がつづられていたという。そのお母さんに手紙の内容を拝見するとともにもう少し様子を聞いてみた。 「別れの日、一緒にいると悲しくて泣いてしまいそうなのでわざと離れていました。でも、バスに乗って動き始めたとたんに涙があふれ出て、友だちと一緒に大泣きしてしまいました。先生やまわりにいた大人たちが驚いて、肩をたたいて慰めてくれました。短い間でしたが、私たちの家族として、ときにそれ以上として接してくれて本当に嬉しかったです。家に帰れるようになったら、福島で私の家族とも会ってもらいたいです。」 そして、この手紙はわが家の宝物として大事にしたいと思います。子どもたちも、この経験をわすれずに優しい大人に育って欲しいと思います。と語るお母さんの眼も心なし潤んでいた。 どの親も、良い経験ができたと語っていたことが、何よりの収穫に思えた。しかし、報道などから伝わってくる様子だと、大熊町にこの子たちが帰ることは絶望的なようだ。 * しばらく東日本大震災関連の記事を書いてきましたが、この記事をひとくぎりにして話題を転じようと思います。 震災支援については、何よりも現地のことをいつも忘れずに、いまどうなっているか、どのような活動が必要かなどを発信しつづけることが必要ではないかと思っていました。 ただ、こうしてブログに書いたり、新聞などに記事を提供すると僕自身が接した内容、僕自身が感じた感想がひとり歩きしてしまったようです。 最近も、僕の書いた記事が新聞に大きくとりあげられたことを巡って、メンバーの許可を得ていないと一悶着がありました。 大震災の実情について自分の語れる範囲で一人でも多くの人に知ってもらう、ということも間接的な支援につながると思っていましたが、それらのことがスタンドプレーだったようです。 しかしこれからも、ブログなどで一個人として伝えられることは必要に応じて発信してゆこうと思います。 蝶クリック お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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