ユダヤ教のお祭り後の安息日を狙ったイスラム武装勢力ハマスの無差別攻撃。ハマスはイスラエルを襲撃した際に、外国人を含む100人以上を人質として連れ去り、1400人以上を殺害しました。その非道さには言葉を失いますが、イスラエル軍は報復としてガザ地区に激しい空爆を行い、2600人以上が犠牲になっています。その後、イスラエル軍はガザ地区への大規模な地上侵攻作戦への移行も進めており、さらに多くの市民が犠牲になる恐れがあります(以上、10月16日現在)。この負の連鎖はどうして起きているのか。歴史から紐解いていきましょう。
襲撃はイスラエルの隙を突いた
襲撃が起きたのは10月7日の早朝でした。この日は、ユダヤ教の1週間に渡るお祭り「仮庵の祭り」が終わった直後の安息日でした。この祭りは、エジプトで奴隷にされていたユダヤ人の祖先が預言者モーゼに率いられてエジプトを脱出し、神から与えられた約束の地「カナン」に向かう際に荒野で天幕を張って住んだとされている故事にちなんだもので、木の枝で仮設の家(庵)を建てて住む行事です。
ユダヤ教では、仮庵の祭りの最終日は一切働いてはいけないことになっていますし、その翌日の安息日も働けません。このためイスラエル軍兵士の多くが自宅に帰っていました。その隙を突かれたのです。これはいまから50年前の10月6日に起きた第四次中東戦争を想起させます。このときもユダヤ教にとって大事な祭日「ヨム・キプル」(贖罪の日)で、働いてはいけないことになっていたため、その隙を突かれて緒戦は大きな被害を出しました。まさにその二の舞だったのです。
イスラエルといえば、スパイ好きには有名なスパイ組織「モサド」(諜報特務庁)を擁しています。実はモサド以外にも「アマン」(イスラエル参謀本部諜報局)や「シンベト」(イスラエル総保安庁)があり、アラブ諸国、イスラエルに敵対する勢力に対する情報収集活動を展開しています。ガザ地区の中にも情報源を確保していますが、今回は事前の情報を掴むことができませんでした。イスラエル軍によるハマス根絶作戦が終了した後は、この失態の責任が追及されることになるでしょう。
ハマスとは
ハマスとはアラビア語の「イスラム抵抗運動」の頭文字をつなげた名称で、「情熱」という意味にもなります。1987年、イスラエルの占領に対抗してパレスチナ人が投石をするという「インティファーダ」(蜂起)をきっかけに設立されました。武装闘争によってイスラム国家の設立を目指しています。
パレスチナには、さまざまな組織があります。ヨルダン川西岸地区を統治しているのは穏健派の「ファタハ」ですが、ガザ地区はハマスが支配しています。
穏健派のファタハはイスラエルとの共存を打ち出していますが、幹部の汚職体質が住民から嫌われ、支持は広がりません。一方、ハマスはイスラエルの存在を認めようとせず、アメリカや日本からは「国際テロ組織」に認定されていますが、学校や医療施設を整備してきたことで住民の支持を得ています。
ただし、最近はハマスがイスラエルを攻撃するたびにイスラエル軍の報復攻撃を受けることからガザ地区の住民の不満が高まり、今年7月には反ハマスのデモに数千人が集まるという動きも出ていました。今回のハマスの攻撃は、この動きに焦った執行部が、敢えてイスラエルを挑発して報復させ、ガザ地区の住民のイスラエルに対する怒りをかき立てようとしたのではないかという見方もあります。
「天井のない牢獄」ガザ
このガザ地区とは、どんな場所なのでしょうか。私は2013年末に現地を取材しました。
ここは「天井のない牢獄」と称されます。イスラエルからガザ地区に入るには、検問所でイスラエル軍による厳重な審査があります。私は外国のメディアとして入ることができましたが、一般のパレスチナ人は自由な通行が認められません。
ガザ地区はイスラエル西部に位置し、地中海東岸に沿った長さ約50キロ、幅が5キロから8キロという細長い地域です。面積は東京23区の6割くらいで、約220万人が住んでいます。周囲は高さ8メートルもの高いコンクリート壁に囲まれ、ガザの住民がイスラエルに入れないようにしています。ガザ地区の西側には地中海が広がっていますが、こちらはイスラエルの警備艇が出入りを監視しています。
厳しい検問を経て中に入ると、まさに牢獄(刑務所)に入ったような気持ちになります。壁の内側は最大約600メートルに渡る緩衝地帯です。住民が壁に近づくのを早期に発見できるようにしているのです。ここを約5分かけて徒歩で通過することで、ようやくパレスチナ側に着くことができました。
このときは急な雨が降り、ガザの街路はあっという間に洪水状態となりました。下水の整備ができていないからです。し尿処理場も壊れたままで、周辺には悪臭が漂っていました。インフラ整備が行われていないことがわかります。
修理しようにもガザ地区の外部から部品や建築資材の搬入がなかなか認められません。こうした部材がテロの武器に転用されることをイスラエルが恐れているからです。
閉鎖的な場所ですから、産業らしい産業もなく、失業率は5割に迫っています。UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が支援し、住民の8割が食料の援助を受けていると言われます。狭い場所に閉じ込められて国連の支援に頼る生活。未来が見えない人々の閉塞感・絶望感はいかほどのものか。
もちろん今回のハマスの蛮行は、到底認められるものではありませんが、背景にはガザの絶望的な現状があるのです。
イギリスの三枚舌外交
中東問題を語るとき、必ず取り上げられるのが、第一次世界大戦中にイギリスが行った三枚舌外交です。
当時のイギリスは、中東地域を支配していたオスマン帝国を切り崩すために、三枚舌を使います。まずアラブ人には「オスマン帝国が崩壊したら、ここをアラブ人の土地にしてあげる」と約束します(「フセイン゠マクマホン書簡」)。約束をエサに、オスマン帝国の中でアラブ人の反乱を引き起こそうと考えたのです。このときイギリスから送り込まれたのが、アラブ情勢に詳しい陸軍将校トーマス・エドワード・ロレンス。ロレンスの活躍は映画「アラビアのロレンス」になりました。
一方、ユダヤ人たちには「戦争が終わったら、ここにユダヤ人のナショナルホームを作ることを認める」と約束します(「バルフォア宣言」)。戦争をするためにユダヤ人富豪の資金が欲しかったのです。ユダヤ人たちは「ユダヤ人国家の建設が保証された」と解釈しますが、ナショナルホームとは何か。イギリスにしてみれば、「国家とは言っていない」と、後で何とでも言い逃れができる言い方でした。
さらに、フランスとの間でも秘密協定を結びます。オスマン帝国崩壊後、領土を山分けしようという約束です。協定を結んだ当事者の名前から「サイクス・ピコ協定」といいます。これによって第一次大戦後、イラクやクウェートはイギリスの勢力圏に、現在のシリアやレバノンのあたりはフランスの支配下におかれました。
こうしたイギリスの勝手な外交によって、中東にはアラブ人国家の「トランスヨルダン」(現在のヨルダン)が成立する一方、ヨーロッパで差別に苦しんでいたユダヤ人たちが、かつてユダヤの王国があったパレスチナへの帰還を始めます。
ホロコーストに世界が同情
ユダヤ人をめぐる国際情勢が大きく動いたのが、第二次世界大戦中にナチスドイツによって起きた「ユダヤ人虐殺」(ホロコースト)でした。第一次世界大戦で敗れたドイツは、フランスなど連合国から莫大な賠償金を要求されます。これに応えるためにドイツは紙幣を増発。これがとてつもないハイパーインフレを引き起こし、ドイツ経済は疲弊します。
そこに現れたアドルフ・ヒットラーが、ユダヤ人に対する差別意識を利用して、全ての責任をユダヤ人になすりつけて政権を掌握。世界で最も優秀な人種であるアーリア人の帝国を築かなければならないとユダヤ人を強制収容所に入れて大量虐殺を始めます。ドイツが占領したポーランドに建設した「アウシュビッツ収容所」が、その例です。
では、なぜユダヤ人は差別されたのでしょうか。まずは「ユダヤ人」の定義です。ユダヤ人とユダヤ教徒は同義として使われます。ユダヤ人という民族は、ユダヤ教を信じる人たちのことを指します。
ユダヤ人が差別されることになった根拠は『新約聖書』にあります。イエスを十字架にかけて殺したのはユダヤ人だという記述があるからです。たとえば「マタイによる福音書」の中には、死刑執行をためらうローマ帝国の総督に対し、集まったユダヤ人の群衆が「十字架にかけろ」と言い、「その血の責任は、我々と子孫にある」と言ったと記述されています。イエス殺しの責任は、自分たちの子孫に及ぶことを認めているというのです。
イエスが処刑された後、3日目に復活したという話が広がると、イエスこそが救世主(キリスト)ではないかと信じる人が増え、彼らはキリスト教徒と呼ばれるようになります。イエスの死後、キリスト教徒はローマ帝国内で布教活動を続け、一時は皇帝に弾圧されることもありましたが、やがてローマ帝国がキリスト教を国教にします。
そして、ローマ帝国はユダヤ人への迫害を強めます。ユダヤ人たちが反乱(ユダヤ戦争)を起こすと、ユダヤ教の神殿を破壊し、ユダヤ人がエルサレムに住むことを禁止し、ユダヤ人たちは各地に離散(ディアスポラ)することになりました。
ヨーロッパに移り住んだユダヤ人たちは、キリスト教社会で差別されて職業選択の自由がなく、キリスト教社会で禁じられていた金融業に就くことは認められ、そこで成功します。これが妬みの的となるのです。
国連のパレスチナ分割決議
第二次世界大戦が終わると、ナチスドイツによりユダヤ人600万人もが虐殺されていたことが明らかになります。実はヨーロッパでは、ユダヤ人たちが強制収容所に連行されていたことを、多くの人が知りながら見て見ぬふりをしていました。しかし、これほどの惨状が明らかになると、贖罪意識も高まり、ユダヤ人の祖先の地への帰還を認めようという動きが高まります。
一方、パレスチナでユダヤ人とパレスチナ人との衝突が起きるようになり、この地域を統治していたイギリスは手を焼き、解決策を国連に丸投げします。その結果、1947年11月、国連総会で、パレスチナを「ユダヤ人の国」と「アラブ人の国」に分割し、聖地エルサレムは国際管理とする決議が採択されます。
これにもとづき翌年5月、「ユダヤ人の国」に指定された場所にイスラエルが建国されました。
しかし、この決議に反対していたアラブ諸国は反発。建国宣言の翌日、エジプト、イラク、シリア、レバノン、ヨルダンはイスラエルを攻撃。これが第一次中東戦争です。
イスラエルは事前にこの攻撃を予測し、軍備を整えていたため、アラブ諸国の攻撃を撃退し、国連が定めた「ユダヤ人の国」より広い面積を占領します。
一方、ヨルダン川西岸地区はヨルダンが、ガザ地区はエジプトが占領します。この戦争で住む場所を失ったパレスチナ難民たちは、同じアラブ人が占領した2つの地区に逃げ込み、多くの難民キャンプが作られました。キャンプとはいってもテント張りではなく、時間が経つにつれ、恒久的なコンクリート製の建物が建ち並ぶ街が形成されました。
このとき大勢の難民が逃げ込んだヨルダン川西岸地区とガザ地区が、その後、パレスチナ自治区に指定されることになります。
「パレスチナ解放闘争」と日本赤軍
こうして生まれたパレスチナ難民の窮状を救おうと、1964年5月、アラブ諸国の支援を受けてPLO(パレスチナ解放機構)が組織されます。当初は穏健な組織だったのですが、1969年にヤセル・アラファトが議長になると、イスラエルに対する武装闘争を展開することになります。ここに加わったのが、日本赤軍でした。
日本では1968年から大学紛争が活発になり、武力革命を志向する過激派が相次いで誕生します。中でも共産主義者同盟から分裂した「赤軍派」(後の日本赤軍)は、世界同時革命を提唱。革命の拠点としてパレスチナを選びます。PLOの中でも最も過激なテロを展開していたPFLP(パレスチナ解放人民戦線)と協力し、世界各地で無差別銃撃や大使館襲撃事件を起こしたのです。
中でも衝撃だったのは、1972年5月、日本赤軍のメンバー3人がイスラエルのテルアビブ空港で自動小銃を乱射し、26人を殺害し、80人に重軽傷を負わせるテロを起こしたことです。3人のうち2人はその場でイスラエル治安組織に射殺され、岡本公三が逮捕されます。岡本は、パレスチナ人の間で英雄となります。パレスチナには親日家が多いのですが、岡本の祖国だからという理由の人もいるのです。岡本はイスラエルの刑務所で服役していましたが、パレスチナ側は岡本を奪還するためにイスラエル軍兵士を誘拐。人質交換で岡本は釈放されます。現在はレバノンで生活しています。
「オスロ合意」が結ばれたが
パレスチナ過激派による国際テロが続くことで、世界の目はパレスチナに注がれます。そこで手を差し伸べたのがノルウェーでした。首都オスロにイスラエルとパレスチナ双方の代表を招いて秘密裏の交渉を続けた結果、和平合意がまとまります。それが「オスロ合意」です。その時点でアメリカが乗り出し、クリントン大統領がホワイトハウスにイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長を招いて合意文書に調印します。それが、いまから30年前の1993年9月だったのです。
合意の内容は、ヨルダン川西岸地区とガザ地区を「パレスチナ自治区」に指定し、パレスチナ人による暫定自治を認めるというものです。
パレスチナ自治区は国家ではないものの、パレスチナ側には将来のパレスチナ国家樹立に道を開くものとして歓迎されました。
暫定自治のための暫定自治政府が設立され、大統領に該当する議長にはアラファトが就任。議会に当たる立法評議会の評議員を選挙で選出することになりました。
ところが「全ての土地は神が我々に与えたものであり、パレスチナ人に自治を認めるのは裏切り者だ」とするユダヤ人過激派によってラビン首相は暗殺されてしまいます。
またパレスチナ自治区の中にもイスラエルの存在を認めない過激派が勢力を伸ばし、その後の和平協議は進みません。カリスマ指導者だったアラファトが2004年に亡くなると、2005年の議長選挙で後任にマフムード・アッバスが選出されますが、パレスチナをまとめる力はなく、ヨルダン川西岸地区は穏健派のファタハ、ガザ地区はハマスが支配するようになります。
パレスチナ内部での混乱から、2005年に議長選挙、2006年に立法評議会選挙が実施された後は、選挙が実施されていません。2018年には立法評議会自体が解散してしまいました。自治政府は機能していないのです。
イスラエル、分離壁を建設
暫定自治が始まった後でも、パレスチナ自治区に拠点を置くイスラム武装勢力はイスラエル国内で爆弾テロを起こします。このためイスラエル政府は「自国民をテロから守るため」として、ヨルダン川西岸地区とガザ地区を囲む形で分離壁を建設します。その結果、ガザ地区は「天井のない牢獄」と呼ばれるようになったのです。
さらに最近はイスラエル国内のユダヤ教原理主義者たちが、ヨルダン川西岸地区の中に入植地を建設しています。「自分たちが神から与えられた土地だから」というわけです。入植地ができるとイスラエル政府は「自国民を守るため」に周囲に壁を新たに建設。結果としてパレスチナ自治区の土地が少しずつイスラエル側に削り取られる形になっています。
さらにパレスチナ側を焦らせる動きが続いています。それが「アブラハム合意」です。
「アブラハム合意」の“裏切り”
2020年8月、アラブ首長国連邦(UAE)とイスラエルが国交を結びます。翌月、バーレーンも国交を結び、その後、スーダンとモロッコも続きました。アメリカのトランプ大統領の働きかけで実現した合意には、『旧約聖書』に登場するアブラハムの名称がつきました。アブラハムは、ユダヤ民族とアラブ民族の共通の祖先とされているからです。同じ子孫同士、仲良くしようというわけです。
しかし、これらの動きは、パレスチナ人と敵対するイスラエルへの接近であり、パレスチナ人にとっては“裏切り”です。さらに最近になってサウジアラビアもイスラエルと国交を結ぶ動きが表面化しました。
トランプ大統領(当時)と「アブラハム合意」
イスラエルはIT国家として目覚ましく発展しています。アラブ諸国にすると、イスラエルと国交を結んで貿易を活発にすることが自国の利益になるという冷徹な判断です。でも、これはパレスチナにとっては衝撃です。今回のハマスの攻撃は、アラブの国々のイスラエル接近の動きにブレーキをかけ、国際社会の目をパレスチナに向けさせようという動機があるように思えます。
これだけの蛮行には国際社会が猛反発していますが、イスラエルの攻撃が続けば、パレスチナの窮状がよりアピールできる。ハマスには、こうした戦略があるのでしょうが、被害を受けるのは、結局は一般の住民なのです。
(いけがみあきら 1950年生まれ。ジャーナリスト。2005年にNHKを退局してフリーに。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特命教授などを務める。著書に『池上彰の「世界そこからですか!?」』『池上彰の日本現代史集中講義』ほか。)