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カテゴリ:日替わり日記
あらためて、BBCドキュメンタリー「J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル」を観た。 ジャニー喜多川によるアイドル志望のローティーン少年たちへの常習的性加害(淫行)問題。 当事者が死んでからであるが、イギリスのテレビ局がとりあげ放映したことによりようやく火が付き、外圧に弱い日本社会で大騒動に発展した。 そしてジャニーズ帝国の崩壊とドタバタに至る道筋を辿っているわけだが、このBBCの番組から感じたのは、日本社会の外から指摘されるまでは見て見ぬ振りをしてフタさえしかねない閉塞観のともなうダメさ加減である。 何十年にわたり、メディア世界では知る人ぞ知る社会的周知のもとで行われてきた性犯罪に対しての寛容さは、番組のインタビューをみる限り、ほとんどの割合の日本人が寛容としか思えぬ反応を示している。 これは、昨今の自民党・安倍派の裏金キックバック問題に対する反応とも似ている。 問題の鍵を握る人物が亡くなり、箝口令という縛りがゆるくなり、なおかつ支持率が低迷している岸田政権だったから表面化したのであろう。安倍一強体制がつづいていたら、モリカケ同様にもみ消しがされていたのではないだろうか。 それにしても、“政治に金やスキャンダルはつきもの”、“旨味があるからこその政治家業”といった、本来は非常識であるべきことに対して、多くの国民が黙認したり無関心できたことが、ここまで増長させてしまったのである。 かつて自民党にも骨のある政治家がいた。ダーティーなハト派と呼ばれた田中角栄や野中広務、伊東正義、古賀誠、加藤紘一など、ときにはあっぱれとも言える信念もみられた。 いつ頃か、長期政権のなかでどっぷりと甘い汁の味を覚え、蜜に群がる小物議員の集団と化してしまった。 “おまかせ政治”による、根強い国民の“無視・無関心、”あるいは“ささやかな利益”あるいは“寄らば大樹”という心地よさが、うるさい野党や国民への無言の重しともなって、歴代政権を支えられてきたのである。 旧統一教会(に限らないが)宗教まがいの組織による政治介入やマインドコントロールを利用しての巨額なお布施や家庭崩壊問題も前首相への暗殺という事件がなかったら、まだ安穏とつづいていたのではないだろうか。 さらに福島第一原発の(汚染)処理水放出も、名護市辺野古への基地移設計画を巡る問題も、本来なら国の存亡や自立をめぐる重大事であろう。 最近でいえば大阪万博をめぐる不可解な計画や発注も、宝塚歌劇団の前近代的ないじめ・パワハラ問題も、国民の無関心や沈黙が解かれて初めて大きな問題として顕在化する。 それまで社会にとっての関心外であったり、社会からはじかれているうちには、無視無関心の蔓延する日本社会の汚泥のなかに沈殿していたのであろう。 ビッグモーター等による保険金詐欺やルール無視の営業などの犯罪行為が、それらの前では、些細な出来事のようにさえ思えてしまう。 ことに、日本全体の命運がかかっている、福島第一原発は危機一髪ともいえる課題を抱えている。解決を早めるためのさまざまな提案が専門家から出されたり、指摘されながら遅々として進んでいないのは、どういうことなのか。 それどころか、こともあろうに原発再稼働・新設計画などが浮上していることなど、正気の沙汰と思えないが、また大事が起きるまで見て見ぬフリをつづけるのであろうか。 世界ではまださまざまな戦争がつづき、女性や子供など弱者から殺されているというのに、国として、国内事と同様に無視をつづけ眼を向けようとしないのであろうか。憲法前文を読んだことがあるのだろうか。読んで、都合が悪そうだから捨てたいと思っているのであろうか。 この国は、政治は、いったい何のために誰のためにあるのであろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.13 18:47:13
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