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テーマ:鉄道雑談(1511)
カテゴリ:鉄道フリートーク
本日は懐かしい、食堂車のお話をしたいと思います。 かっつ東京・大阪と九州を結ぶ長距離列車には、特急・急行の種別を問わずに食堂車の連結がありました。昔は現在のように地上の「セントラル・キッチン」等というものはなかったため、下ごしらえから調理まで全て、揺れる狭いあの車内で行っていたのです。火力は勿論、石炭レンジでした。 1958年(昭和33年)10月1日、東京~博多間の特急「あさかぜ」号が「走るホテル」こと20系特急用固定客車に変更されると、食堂車も従来の石炭レンジ使用から電気レンジ使用にとって変わられるようになりました。これにより、今まで全て車内で行っていた仕込みを地上で行うようになりつつあったのです。 この頃のメニューを少し、見てみる事にしましょう。人気メニューと申しますか「目玉メニュー」としては、肉料理が「サーロインステーキ定食」と「ビーフシチュー定食」、魚介類料理が「プルニエ定食(簡単に言えば魚介類のグリルらしい)」でした。この「サーロインステーキ定食」と「ビーフシチュー定食」は、その後も長年、食堂車の人気メニューの座に君臨していましたが、「プルニエ定食」はいつしか姿を消していました。その理由としては魚介類の調理の場合、かなりの火力が必要で、当時の電気レンジではそれに見合うだけの充分な火力が出せなかったため、と推定されます。(その後の魚介類のメニューは、フライ類が多くなったような気がします。) その後の「九州ブルトレ食堂車」の定番人気メニューだったのが、「ビーフシチュー」に「ハンバーグステーキフォレスト風」、「カレーライス」だったと言われています。1978年頃のいわゆる「ブルトレブーム」の頃は、東京発車と同時に食堂車が満席になり、なかなか席が空かない、という現象も度々ありました。言わば食堂車で、夕食と晩酌のひとときを満喫していたのです。 おつまみものの人気としては「牛肉のたたき」、「おでん」、「チーズの盛り合わせ」、「ソーセージの盛り合わせ」等がありました。 また、この「ブルトレブーム」の頃には、列車別の名物メニューも登場するようになりました。その代表例が、日本食堂長崎営業所担当の特急「さくら」号(東京~長崎・佐世保間)で出た「皿うどん」や「チャンポン」です。これは「さくら」号を利用する乗客の楽しみのひとつともなっていました。また同営業所では、長崎駅で「中華弁当」と「卓袱弁当」という名物駅弁も販売していました。この「皿うどん」と「チャンポン」の販売は、「さくら」の食堂車が営業休止になるまで続けられました。 また東京~熊本~西鹿児島間の特急「はやぶさ」号では球磨焼酎の販売が行われ、各テーブルには、お湯割り用のお湯が入ったポットが置かれていました。 また幕の内風の和風膳として欠かせなかったのが、西村京太郎氏の小説にも度々登場している「関門定食」です。御飯と吸物、和食(煮付や焼魚など)の盛り合わせのセットは、「九州ブルトレ食堂車名物」の代名詞とまでなっていました。これが東京~浜田間の山陰特急「出雲1、4号」になると、「大山おこわ定食」になっていました。 この様に隆盛を誇っていた「九州ブルトレ食堂車」も、1985年(昭和60年)頃をピークに翳りを見せだしました。そこで東京~博多間の特急「あさかぜ1、4号」に、「星空バー風食堂車」や「オリエント急行ロマン食堂車」が登場しました。(「星空バー風食堂車」は、後に山陰特急「出雲1、4号」に異動) しかし利用者の減少は食い止められず、何度かメニューの見直しを行ったりしたが、現実は厳しいものでした。 平成の時代に入ると、朝食に一時期「バイキングスタイル」が導入された事もありました。しかし「単なる手抜きだ」とかえって反感を買い、すぐに定食スタイルに戻っています。ところが時代の流れは無情なもので、食堂車の利用客は減少の一歩をたどっていたのです。その頃になると「食堂車でグラスを傾け、食事をする」という考えは、旅行者の中から消え去っていました。いや、それ以前に「九州系統のブルトレ」の利用客そのものが減っていたのです。 そして1993年(平成5年)3月のダイヤ改正で、「九州系統ブルトレ」の食堂車は全廃されたのです…。 本日の写真は、1997年(平成9年)に撮影した、特急「はやぶさ」号の食堂車内です。既に営業を休止したあとで、椅子だけが寒々しく残っていました。 尚「楽天広場会員」以外の方で、御意見・御感想・コメントのございます方も、どしどし下さい。ご参加、お待ち致しております。 ◎伊豆長岡温泉 南山荘 古き浪漫漂う、数奇屋造りの宿・伊豆長岡温泉 南山荘。露天風呂をはじめとする3つの温泉が自慢です! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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寝台特急さくらの食堂車が日本食堂長崎営業所末期(1991年か1982年くらいには日本食堂・門司営業所でした)にちゃんぽん 皿うどん以外にミニ卓袱定食というメニューもありましたよ。
1983年、さくらに乗った時は既にご当地メニューは消えてJR化した東京発着ブルトレの食堂車が日本食堂(後のJダイナー)・上野営業所と新博多営業所に集約されるとメニューの種類も大幅に減って、ちゃんぽんは廃止、皿うどんは残りましたが細い揚げ麺の上にレトルトあんを載せたお粗末なご当地メニューになった(出雲1・4号除く)。 (2020.07.19 03:18:40)
はじめまして、ようこそお越しくださいました。
色々と追加情報、ありがとうございます。 確かに日本食堂の合理化で、メニューも味気なくなりましたよね。特急「さくら」の「卓袱定食」、食べてみたかったです!(そう言えば長崎駅では、「卓袱弁当」という駅弁もありました。) もう一度、夜行列車で食事をしながら旅をするなんて、今では夢の様な世界になってしまいましたよね。でも北陸新幹線のグランクラスで、機内食ならぬ車内食を味わった時には、ちょっとした「食堂車のシートサービス」の気分になりました。 (2020.07.19 21:58:11) |