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2009.09.25
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テーマ:鉄道雑談(1537)
カテゴリ:東武電車の話
日付けが変わりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
「東武特急歴史の旅」。それでは、時計の針を1951年(昭和26年)に戻すことにしましょう。

デハ10形特急電車は5310系に改番され、特急電車として使用するには設備面などで陳腐化が目立ってきました。また準急電車、普通電車との兼用もあったので、新しい「特急専用電車」の登場が要求されるようになってきました。


そこで前年の1950年(昭和25年)から新しい特急電車の設計が始まり、1951年(昭和26年)9月に5700系特急電車6両が登場しました。




独特の、当時流行した流線型で、「A編成」と呼ばれたモハ5700系+クハ700系の2両1ユニットが2本の4両と、「B編成」と呼ばれた半流線型のモハ5710系+クハ710系の2両1ユニットが1本の2両でした。


「A編成」には、その形から「ねこひげ」の愛称が付けられました。





車内には深々とした東武の伝統ともいって良い転換式クロスシートがずらりと並び、各シートの間には折り畳みテーブルが並べられました。

室内灯も初の蛍光灯が採用され、クハにはトイレが、モハには放送室(後に売店に改造)が設けられました。客用の扉も前後に寄せられ、2両で片側3ヶ所という独特の扉配置で、居住性にも配慮したものでした。

モハ5701の車端部に設置された売店部分


転換クロスシートは、当時の国鉄では2等車(今のグリーン車)にしか採用されていませんでしたから、いかに東武が「豪華さ」で日光・鬼怒川への誘客を図ったかお分かり頂けるのでは、と思います。

また蛍光灯を採用したという事で、こんなエピソードがあります。あまりの車内の明るさに、東武浅草駅に到着した乗務員が、駅に降り立った瞬間、ホームの暗さに目がくらっとした、という話が残っています。

運転時間は少しずつアップされ、2時間23分30秒にまでなりましたが、まだまだ5310
系との共通運用だったのと、日光線が単線のままだったのでそれ以上の短縮はままならない状態でした。運用は「A編成」「B編成」のみ、或いは「A編成」+「B編成」を組み合わせた4両編成でした。

特急の愛称もこの時から、ひらがな書きの「けごん」号、「きぬ」号となりました。


1953年(昭和28年)3月には、さらに3編成6両が増備されました。「B編成」と呼ばれた半流線型のモハ5710系+クハ710系の2両1ユニットが1本と、「C編成」と呼ばれた貫通型のモハ5720系+クハ720系の2両1ユニットが2本でした。特に「C編成」は、日本で初の東芝製直角カルダン式駆動でした。

「B編成」モハ5711号車の運転台部分カット

そしてダイヤ改正を迎えたのですが、この直角カルダン式駆動、まだ試作の粋を抜けていなかったので故障が多く、ダイヤ改正には間に合いませんでした。そこでその間は格下げ予定の「大先輩」モハ5310系+クハ350系が急場をしのぎました。

8月1日、待望のスピードアップが実施されました。浅草~東武日光間は2時間16分40秒に戻り、ようやく戦前の運転時間に戻りました。それを見届けるかのように「大先輩」モハ5310系+クハ350系(旧・デハ10型)特急車は、伊勢崎線の急行用や日光線の快速用に格下げとなりました。

その中でもモハ5313.5314号車、クハ353.354号車の4両は、東上線へと移籍し、青い車体に黄色の帯を締めて行楽特急「フライング東上」号や団体特急「ブルーバード」号などに使われました。

投入された5700系特急は好評で、一時は特急券がなかなか取れないほどでした。そこで各座席には、バスのような補助椅子が設けられましたが、これがあるとトイレへ行くお客さんはかなり苦労したとか。そしてドアのところにまで補助椅子が設けられたそうです。

当時用意されていた補助椅子

こうして就役した5700系特急車は、時には「特別車」トク500形を後に連結して、日光に、鬼怒川にと走りまわりました。


5700系が表紙の観光案内パンフレット

とこのように、日光・鬼怒川へのアクセス輸送は「東武優位」に立ってしまい、国鉄は完膚なきにまで打ちのめされてしまった感じでした。まだ当時の日光線は蒸気機関車が牽引する快速列車で、スピード、サービス共に東武に負けていた感じでした。

しかし、そこに気動車の時代がやってきたのです。
1953年(昭和28年)3月、キハ44500型(キハ15型)の誕生により、国鉄のディーゼルカーは液体式の時代を迎えました。それまでは、連結運転でも車両ごとに乗務員がいちいち複雑なクラッチ操作をする「機械式」や、ディーゼル発電機を回してエンジンを動かす「電気式」が主体でした。

更にキハ44500形(キハ15形)に設計を加え、片運転台トイレ付2扉のキハ45000形(キハ17形)が量産され、その後の新製車は「歯車式(機械式)」から「液体式」になりました。つまり連結運転でも、運転乗務員は先頭車の一人で充分になったのです。

しかし、これ以降のお話は次回をお楽しみに。


東武デラックスロマンスカー



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最終更新日  2009.09.25 00:38:13
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