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テーマ:自動車・交通(1695)
カテゴリ:日本全国バスの旅
皆様、おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。
さて先日、名鉄バスのホームページを見ていたら、この様な記事が発見されました。 【期間限定】五箇山号!復活! この「五箇山号」とは、1966年(昭和41年)12月1日に国鉄バスとの共同で運転を開始した、名金急行線(名古屋~美濃白鳥~白川郷~金沢間)を走るバスで、走行距離は約250キロ、停留所数150余ヶ所という文字通り「日本最長の路線バス」でした。 今回の運行に当たり、名鉄バスではバスの塗装も当時のものに復刻し、ルートも同じ(一部区間は高速道路使用。またツアー扱いのため、休憩地以外の停留所には停車しない)で走らせる力の入れようです。 さて、この「名金急行線」というバス路線の歴史をひも解いてみますと、その歴史は戦前の1933年(昭和8年)、省営バス(後の国鉄バス)によって、美濃白鳥~牧戸間にて運行を開始した事に始まります。 戦後の1948年(昭和23年)に、牧戸から白川郷の鳩ヶ谷まで繋がり、1953年(昭和28年)には金沢まで繋がって「金白線(きんぱくせん)」となりました。 そして先述のように、1966年(昭和41年)12月1日に名古屋駅~美濃白鳥間が全通し、国鉄バスと名鉄バスとの共同運行で「名金急行線」が全通したのです。しかし、細尾峠の予想以上の豪雪に阻まれ、僅か数日で鳩ヶ谷~福光駅間は冬季運休となりました。 1979年(昭和54年)6月、国鉄バス便の鳩ヶ谷~福光駅間が運行休止となり、「名金線直通急行バス」は、名鉄バスによって季節運行で1往復のみになってしまいました。 そして2000年(平成12年)を最後に、「五箇山号」という愛称がついていた名鉄バスの「名金線直通急行バス」も運行休止となり、一般路線バスによる名古屋~金沢間の路線バスは廃止されたのです。 JR東海バス時代の名金線特急バス(名古屋駅にて) また、この「名金急行線」を語るうえで、欠かすことの出来ない男が一人います。 そうです、国鉄バスの車掌をしていた故・佐藤良二さんです。自分の乗務する名金線沿いに桜を植えて、太平洋と日本海を桜でつなぎたい、そんな思いから乗務の合間を見ては桜の木を植えていきました。 しかし所長からは「バスの車内に苗木を持ち込むなんて、公私混同もいい加減にして貰いたい」と言われ、給料も全部桜に注ぎこんだ事から生活も圧迫し、奥さんが自宅で民宿「てんご」をやって何とか暮らしていける状態でした。それでも彼は桜を植え続け、病に倒れ47歳の若さで亡くなるまで、桜に情熱をかけていきました。 その物語は1994年、「さくら」という映画になり、のちにはテレビドラマにもなりました。 ◆関連記事 【桜にまつわる話】二千本の桜を植えたバスの車掌さん(2011年4月10日付記事) 1994年(平成6年)に、私はJR東海バスで運行されていた「名金急行線」に実際に乗ってきました。次回からはそのルポをお送りしたいと思います。
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最終更新日
2012.05.02 08:31:25
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