カテゴリ:メディア掲載情報
もうお一人、近畿大学の高橋愛典先生は、バスターミナルと街づくりの関係性を述べておられた。私はバスターミナルマニア(?)であるし、私の地元・神戸のケースが紹介されていて興味深く読ませていただいた。
その中でも高速ツアーバスについて触れていただいている。近年は高速ツアーバスのサービス形態が容認され増加しつつあることを示した上で、高速ツアーバスの集合場所整備が不十分なため安全性や周辺住民との関係など問題が発生しており、また既存の路線バス事業者との不平等が発生している。だから高速ツアーバスもバスターミナルに呼び込み、相応の負担を求めるべきである。とのことだ。 高速ツアーバスへの非難を続ける高速路線バス事業者は、この主張を聞いていったいどのように感じるのだろうか。一方、高速ツアーバス企画実施会社については、間違いなくもろ手をあげて喜びそうな主張である。 自らが規制を守ることに汲々としている路線バス事業者は、規制の範囲の外にある高速ツアーバスの「自由」な要素に多少の羨望も籠めて「不平等」と非難する。しかし、高速ツアーバス各社にとって集合場所問題は、ここまで育て上げてきた自らの事業のアキレス腱である。 インターネット予約なら必ず地図をメール送付できるとはいえ、停留所のポールさえないところで待つお客様の不安感はかなりなものだと想像できる。また、道路法規の運用に変化があれば、現在のビジネスモデルでの事業そのものが成り立たなくなるリスクもある。利用者の満足度を向上させたり、事業をより社会的存在感の大きいものに育てたりする上で、路上での扱いを避けられるのなら、1台数千円程度の費用はみな払う腹積もりである。現実に、東京や大阪の高速ツアーバス集合場所として使える有料駐車場は先発組みで飽和状態で、後発組みが路上扱いを余儀なくされている。高速ツアーバス連絡協議会等で顔を合わせると、必ず集合場所の議論になる。 むしろ、安全性や周辺への迷惑を旗印に高速ツアーバスを非難する高速路線バス事業者は、返す刀で自らが社会から非難を受けるリスクは感じないのだろうか。駅前一等地の停留所の再配分機能はない。一度停留所の権利を得てしまえば、路線を廃止しない限りその事業者が事実上自由に使える。公益性が高い市内の公共交通のために与えられた停留所から、収益事業である高速バスを発着させているばかりか、新規参入事業者を締め出している、とマスコミに報道されたら、彼らは「公益性を隠れ蓑に公道を我が物顔で使用する既得権益者」として非難を受けるリスクは十分にあるのである。 ※かつて富士交通/桜交通の高速路線バス新規参入時には、停留所の使用を新規組みに認めなかったとして既存組みが公正取引委員会の注意を受けている。 私は何も、これまで「停留所こそ我が社の資産」として大切にしてきた路線バス事業者のプロ意識を非難しているのではない。ただ、高速ツアーバスの路上扱いについて路線バス事業者が「不平等」と非難することに違和感を覚えて仕方ないのだ。高速ツアーバスの側は、逆になんとか停留所的なものが欲しいと願っているのだから、やはりどこかに誤解がある。 問題の本質は、この件に限らずそういった誤解が多いことだろう。とにかく、関係者(路線バス事業者、高速ツアーバス関係者、行政等)が一度ラウンドテーブルに着いて顔を突き合わせて話することが一番望まれることなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.15 21:54:06
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