ノスタルジックに穴埋め的日記を書く。
昔々。
子供だった頃。
いろんな造語をしゃべっていた(らしい)
例)
あんぎーくーくー → 炭酸飲料
あ~ぎーこっこ → 歩く時の擬態語
既存の言葉を幼いながらに覚えて使おうなどとは全然していなかったことが分かる。ただ単に自分の感覚で言葉を作っていただけ。
10歳まで祖父母と一緒(建物は別)に住んでいた。
祖父母のことは「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいた。
(皆がそう呼ぶので)(両親はあだ名で呼んでいた)
祖母とよく買い物に行った。
線路の向こうにあるスーパーだとか。豆腐屋だとか。
スーパーはまだ紙袋だった。
歩いている時、誰かとすれ違うと祖母は軽く会釈をしていた。
知っている人?と聞くと、知らないけれども目が合ったら会釈をするのよ。と教えてくれた。
今でもポストに手紙を投函したあと、手を合わせてしまうのは祖母から継いだ癖だ。ちゃんと届きますように。とお祈りしたものだ。
こんなヘンな癖が20ン年経った今でも消えない。
本人はすっかり忘れているだろうが。
祖母本人は今でも元気にしている。カラオケにはまっている。
彼女の新曲リサーチ力は家族の誰の追随も許さない。
時々日本に帰ると、彼女から日本の最新芸能情報を提供してもらうことになる。
最近ちょっと元気がないと聞いた。
そんなこと言わないで、また元気で一人で飛行機に乗ってシンガまで来てもらいたい。いつまでもハッスルばあさんでいておくれ。
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