SF短編「一千年後の再会」by藤子・F・不二雄
マイケルの新曲の"This Is It"を聴いているとこのような歌詞が出てきます。And I feel as though I've known you since 1,000 yearsAnd you tell me that you've seen my face before.君のことを、まるで1000年も前から知っているように感じるよ。そして君も、ぼくの顔を前に見たことがあると教えてくれたね。1000年とはどれくらいの月日なのでしょうか。どのような状況で1000年を体感できるのでしょうか。それでは今週は「一千年という時間」を取り上げたSukoshi-Fushigi(スコシ・フシギ)なSF短編『一千年後の再会』を紹介したいと思います。 < ストーリー >舞台はタイムマシンの開発に取り組んでいる、はるか先の未来。ジョウというパイロットは愛する恋人と別れ1000年先の未来を目指す宇宙船に乗り込むことを決意する。ジョウの恋人であったウバも同じくタイムマシン計画に自ら参加した。好き同士だった恋人たちが別れ離れた2人は、地球を出て宇宙へ旅立った・・・本日の1コマ愛する恋人と別れ、地球に帰らぬ決意をするジョウ。○タイムマシンがタイトルになっているSF短編「タイムマシンを作ろう」「あいつのタイムマシン」「T・Mは絶対に」(T・M=タイム・マシン)これらから見受けられるようにタイムマシンは常に物語の中心として描かれてきました。「一千後の再会」のように、国を挙げてタイムマシンに挑み開発中だがいつかは完成を目指す、という未来社会では「タイムマシンは脇役」という設定であり数ある短編の中でも珍しいといえるでしょう。右はタイムマシン開発局の人間(おそらく局長)左は、優秀な科学者のウバ。ジョウの恋人。パイロットのジョウと科学者のウバは恋人同士だった。しかし、心理操作により破局させられてしまう。そのことをウバが知ったのは、ジョウと別れて二度と会えなくなる瞬間だった。タイムマシンの開発のように、人間が全身全霊で何かに臨む場合は、心理操作もやむを得ないのかあるいは、何かを犠牲にしなければならないのか・・・こうした、物語の背景に潜む要素が結末を知るだけで終わらない、SF短編の深みであると思っています