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カテゴリ:ゲーム
前回、立花道雪率いる大友軍にコテンパンにされ、むなしく退却を余儀なくされました。
兵力が激減した島津家は、まず大隈にいる兵を全部日向佐土原城に移しました。しかし、このままでは豊後攻めに時間がかかるため、戦略を変えて、かつての盟友相良氏を攻めることにしました(当に仁義無き戦い!) 日向に島津義久を配置し、戦力が整ったら、貴久、日新斎、義弘、歳久を南肥後方面の攻略に廻しました。 相良氏は結構弱く、あっという間に居城を攻め落とせました。人質になった彼らは島津と相性が良かったため、すんなり配下になりました。これで、大分有利になったと思ったら、激戦区である関東甲信越では、長尾景虎が羽後の最上家、会津の蘆名家を滅ぼし、武田信玄が武蔵の太田家、上野の長野家を滅ぼしていました。とんでもなく早いペースです!急がなくては! 勢いを殺すことなく、領内整備もせず、すぐさま北肥後の阿蘇家を滅ぼしました。 この段階で、鉄砲学舎の数が40になったので、次に内政学舎を建設していきました。食料収入や金銭収入UPのため、内政学舎はかなり重要です。 そして、悲願であった豊後府内館を攻略することにしました。運良く、大友家は、四国に出陣していたため、府内館は手薄でした。絶好の好機到来で、肥後から2万、日向から1万5千を向かわせました。すると、危機を感じたのか、豊前から豊後へ兵が移動されていきました。しかし、私は”もう遅い!”と思い、疾きなること風の如く進軍しました。 結果、前戦(第一次府内館の戦い)の恨みを晴らすことが出来ました。敵武将を5人捕縛し、府内館を制圧しました。ちなみに立花道雪はこの戦では現れませんでした。 島津貴久はこの時”日ごろの恨みを晴らすことが出来た、これより先は九州統一が目標じゃ!”と号令しました(笑)。 ではでは、次回 ~島津家の九州統一~ をご期待下さいますようお願い致します。 ところで、プレイレポートを書き込んでもらいたい大名家がいる方は、ご連絡をお願いします。一応、どんな大名家でも受け付けます。次の4点を明示してください。 1.プレイ大名(必須!!) 2.難易度(無くても可) 3.シナリオ(無くても可) 4.その他いろいろの設定(無くても可) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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