2293. 皆既日食追っかけの巻 7- 帰り道
4月10日水。昨夜はあんなにいい天気だったの、朝から雨。弾む話は終わらず、と言った感じの若者たち。でも、これから5~6時間のドライブ。家には少なくとも8時半前には着きたいので・・・さあ、そろそろお暇を・・・。寅年のR君、トラの縫いぐるみとトラのパンツに囲まれてご機嫌。ママも加わって。最後にカズ姫も一緒に。カズ姫は、R君とは初めから日本語で話していた。赤ちゃんはこうして言葉を幾つでも覚えるんだよと、娘が生まれた時、娘の小児科の先生が教えてくれた。何語とかではなく、昔の移民の家族など、パパの方のお祖母ちゃん、お祖父ちゃん、ママの方のお祖母ちゃん、お祖父ちゃんと言う感じで、赤ちゃんは使っている人で言語の区別をするので、一家の中でも沢山の言葉を自然に覚えたものだと。R君も始め、?と言う感じだったが、ああ、これはこの人の言葉かといとも容易く納得したようだった。ワンちゃんともお別れ。働き者のG君は、広い庭で何時も何かの仕事をしている。NY, NJ の我らが住んでいる辺りでも部分日食は見えたっようだが・・・。実は、久し振りに気心知れた親しい友人たちの会うのが目的だったりして・・。今までも部分日食は見たことあるが、皆既日食は始めて。曇っていたから見られないと単純に考えていたが、真昼に夜になる感覚は凄かった。積る話を振り切って、2:30pm出発。牧場の馬さんにもお別れをして・・・風力発電機ともバイバイ・・・牧場の景色に心残しながら・・・幹線道路に近付く。そうそう、この角、来るときは真っ暗だった。この道路に入って少しすると、Pさんから、見つからなかったケータイのチャージャー、ソファーのクッションの間にあったよ、と電話。有難う後と言うと、覚えようとしていた”どういたしまして”をスラリと言えた。今どこ?持って行こうかと言ってくれたが、家に帰ればまだいくつもあるからそこに置いておくことにした。それどころか、Pも私も、あなた達は今までで我が家のベスト・ゲストだったととても喜んでいるのよ。何て、嬉しいことまでいてくれた。雨の、長い帰路も何となく楽しい気分になってきた。有難う。Rt.390に入ると雨もまた激しくなって・・・激しい雨の中、大型トラックの後ろに入ったら、視界は飢えのようにゼロ。越そうにも、カーブで視界ゼロでなかなか越せない。見えない中での運転本当に怖かった。 ちょっと直線になったところで追い越した。やっと前も見えるようになって、一安心。雲の層は厚いようた。途中で雨も上がって山間を流れる霧がまた風情が有る。来るときは、NY側のRt.17出来たが、GPSはRt.81を問うるように指示していたので、ペンシルバニア側の道路を行くことにした。結婚式の帰りもそうしたような気がした。その頃から、カズ姫は居眠りをはじめ、その内にシートも倒して熟睡体制。目が覚めたところはもうだいぶ南に下ったところで、Rt.81からRt.80へ接続のためRt.380へ入った。Rt.80を進むともう、デラウエア・ウオーターギャップだった。この川がNJとペンシルバニヤの境になっている。川を超えると、もうNJだ。後ろはペンシルバニア。まだ曇っている。前はNY。夕暮れになると、空も晴れてきて、夕焼けが綺麗だった。一眠りしたカズ姫は気分もすっきり。久し振りのRt.80 のドライブを楽しんで、8:10pm 5時間40分、我が家のパーキングに着いた。娘ちゃん、運転有難う。Pさんのご家族、素敵なお宿と最高のホスピタリティー有難う御座いました。皆様、皆既日食プチ旅行最後までお付き合い有難うございました。完