生活とロマンスを共存させるのって難しい
最近、P.S.アイラヴユー プレミアム・エディションを見た。当然のごとく、ちくりんが亡くなることを想像し、(勝手に殺してすまん)涙がでた。そして、とてつもない、キューンとしたせつなさに包まれて。同時に、あー私にもまだこんな感情残ってたのね、と少しほっとした。なんだかさ、普段、”生活”をしていると、この映画を見たあとのような、あのズキーっとくるせつなさ・・みたいなものに出会うことがそうそうない。100万回の言い訳という本の中のフレーズにもあった気がするけど、生活ってのは、基本的に男女のロマンスを遠ざけるもんだと思う。カーペットの上の髪の毛、飲み終わったコップ、雑然と置かれた使用済みの靴下・・それらは、圧倒的な存在感を持ち、愛を語ろうなどという気が、即刻失せる。そして、”明日もある”という事実。(子どもに起こされ、ご飯をつくり、保育園に送って・・という明日)これによって、頭のなかは、その明日のために体力を温存しようとし、カットできるところはしたいというスイッチが入る。ロマンス的なことと食っていくことを両立させるのって、結構難しいなーと。それは、男女のロマンスに限らず、子どもとのコミュニケーションに置いてもいえるかもしれない。でも、そう考えると、(子どものことになると)子どもとの毎日の時間をめいっぱい楽しもうという、頭を切り替える必要性に気づいた。いやぁー、なんだか、とりとめなく書いてしまって、自分でもわけがわからなくなってきたけど、つまるところ、飯をくっていくためには、愛を語ってばっかでもだめで、だからといって、飯のために、愛を語らなくなったら、なんのために生きてるの?って感じですよね。はあ。。難しい。ロマンス??そんなことより、紫外線の方が気になるんだよね、僕。