945668 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

nipponites

nipponites

お気に入りブログ

Indian Restaurant "… Marketplaceさん

【5月運用成績】+11… かぶ1000さん

vin de bon bonbonさん
としのすけのワイン… @としのすけさん
kaoritalyたる所以 kaoritalyさん
ワインの部屋&ダイエ… マサ3574さん
kazuの子育て・ワイ… kazu 1968さん
私が間違っておりま… エンゾ〜さん
我がまま気まま。姐… ハンサム姐さん
External Memory FPANさん

コメント新着

 nipponites@ Re[1]:2022年旅あれこれ(11/23) 背番号のないエースGさんへ ご無沙汰して…
 背番号のないエースG@ Re:2022年旅あれこれ(11/23) ご無沙汰しております。私のこと覚えてら…
 nipponites@ Re[1]:【西表島(12/26) 背番号のないエース0829さんへ 2009年のb…
 背番号のないエース0829@ Re:【西表島 「竹富町役場 仮庁舎」に、上記の内容に…
 名無し@ Re:えー加賀・・・うすっぺらい金箔の町、そのまんまの見栄文化(06/09) 古い記事ですが内容に同意しすぎてしすぎ…
 nipponites@ Re[1]:さよならアウディA4、こんにちわプジョー207CC(09/23) ユウリィさん うわー、ご無沙汰です~ 最…
 ユウリィ@ Re:さよならアウディA4、こんにちわプジョー207CC(09/23) こんばんは。 あまりにもお久しぶり過ぎて…

フリーページ

2015年11月16日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
その夢の最後はこうだった

旅行カウンターのようなところで愛想のいい女性が応対してくれている
私のちょっとした応答を見て、彼女は突然にアンケート用紙をだした
(ちなみに海外という設定で会話は全部英語)
彼女はそのアンケートをもってくるときに、同僚に、
「あら左胸に変えたのね」といわれ、「だって、お客様がそっちが好みですから」
という。よくみると彼女は左胸を露にしているが、そもそも右胸を露にしていた記憶がない
また興味がなかったので、服を着てくれてもいいよ、といい
get dressed とか言ったが、これだと高圧的なので、please をあとから付けようか迷った

アンケートはひと目でうつ病尺度をはかる典型的な用紙だとわかった
私は笑いながら、私はpsychiatrist なのでそんな必要はないと思うといったが
彼女は取り合わない、しかたなくそのアンケートに答える事にした

仕事柄、私は夢分析にも心理テストにもかなり精通している
私にそんなものをやらせるのは、レクター博士に心理テストをするようなものだ

質問の1は、英文でところどころの単語の一部が伏字になっているので、私の語学力では
意味がわからない。なんどか読もうとしたが無理なので彼女にこの文章は読めないというと

「あなたは自分の思っているのとちがう横道の生活をしていませんか?」

という内容だという。夢はそこで目が醒めて終わってしまったが
それで私は自分の人生を振り返る事になったのだ

気になるので夢の続きをみようと寝ながら、次々に想定される会話を考えていたら
すらすらでてきた。全部英文のままにした。英文の方がこたえは割り切って曖昧な
日本表現ができない、つまりダイレクトになるのだ

「あなたの幼い時のもっともつらかった思いでは?」

幼稚園でいじめにあったこと。いじめは英語でなんといっていいのかわからなかった。
弱者をみんなが攻撃する事、と表現した。

私は幼稚園厳密には保育園でいじめにあっていた。なにかの理由で私を
「おちょくりんぼ」と全員で囃し立てあざ笑い取り囲み、私が怒っておっても
魚のようにみんな逃げまくって誰も捕まらない。そんな毎日が続いたのだ

それはいじめというよりは遊びの延長くらいもの感覚で行われたものだったかもしれないが
当事者の私にとっては行くの嫌になるほど憂鬱なものだった
誰にも相談しなかった、どう対処していいのかわからなかったのだ

何週間かして私はとうとう泣き崩れた、すると一番私をいじめていた(彼にしたら遊んでいたつもり)
リーダーが真っ先に私によってきて、大丈夫かと心配した
いまでも覚えている、ゆわさ君、だ。彼のうちには当時はとっても珍しいカラーテレビが合った。

そうしたことが何度か続いて、いじめ、は終わった。ルールが変わったのだ。「おちょくりんぼ」と囃し立てられる人間が
誰かにタッチすると、いじめられる相手が変わるのだ。新ルールは私を安心させたが時には私がいつまでも鬼役の事も
あった。それでも前よりはよほどましだった

そのあとの想定の夢の質問の詳細は覚えていないが、それから何が明らかになったかだけは覚えている

私が入った国立の小学校はお金持ちや育ちのいい子供ばかりがいた。私ははきだめの鶴のま逆の存在だった
幼稚園時代はもめることがあったら、力で解決する(いわゆるケンカ)のが普通だったのに、
それが通用しないのだ。私は一気に暴力的な子供として、クラスからも学校からもマークされる事になった。
実際私の悪さも過ぎたし、当時としては保護者や子供の感覚は現代並みに敏感(進歩的)だった

私はそれで怒りを暴力に変える事をやめた、そのかわりに口で攻撃する事になった
口喧嘩では誰にも負けない、そんな嫌な子供になって言った
相手が嫌がることを普通に言う、そういう陰湿な子供。
それでも学校ではいじめはなかった。育ちのいい子ばかりで、そんな私を特別に誰かが敬遠したりなどという
事はなかった。私は数人の親しい友人だけ作り、学校が終わると一目散に家に帰った
多くの子供が放課後にグラウンドでみなと走り回って遊んでいるのとは対照的に

そういう性格は、中学や高校にあがってもそんなには変わらなかったが、やはり陰湿陰険なものいいは
ときどき出ていたと思う。権威的なものに対しては特にそうだった

なぜpsychiatristになったのか、ひとつはそのころ心理学に没頭していたから、もうひとつは
第一志望の宇宙物理学ではメシがくえないと浪人中に悟ったから、リアリティがうまれたからだった
姉が離婚して実家に帰ってきて家の中は騒然としていた、世の中というのは大変な事も起こりうるんだなと
体感したのだ

なぜ心理学が好きだったのか、それはずっと不適応を続け、不安心性が高かった自分を癒すために
私は何度も図書館から大学生向けの心理カウンセリングの本を読んで自己治癒のために読んでいたから。
もうひとつは当時好きだった女の子が謎めいていて、その心理を知りたかったから
(後に彼女は猛烈にリッチな家庭に育ったが家庭環境は壮絶で、それが彼女自身の人との応対に特殊性を
もたらしていたとわかったのだが、それは専門職について再開して、かなりしてからわかったこと)

(続く





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年11月16日 11時12分07秒
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.