365033 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

野遊び共育~自然と親子がテーマです。

野遊び共育~自然と親子がテーマです。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Profile

よもさん586

よもさん586

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Recent Posts

Comments

Jixiang@ Re:オートキャンプ協会認定★印は信用できる?(03/26) ここもカネですか⁉︎ さっきまで、来週末に…
犬太郎@ Re:野口健チョモランマ登頂、でもその直後。。。 昔の記事につっこむのも野暮だとわってる…
犬太郎@ Re:野口健チョモランマ登頂、でもその直後。。。 まあ、その野口健もチョオユーと一回目のエベレスト…

Category

Archives

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07

Favorite Blog

あほよし徒然日記 aho-yoshi-usさん
Birdman's Blog OEECさん
犬に咬まれたと思っ… atson1130さん
たまのはこのなかみ たまて箱さん
たぬかめ部屋 たぬかめさん
あんどうりす の … りす(*^ ^*)さん
Motor & Outdoor Jou… 安藤 眞さん
保育ソーシャルワー… (げんき)さん
気軽にアウトドア yoshi836さん

Freepage List

2004.11.12
XML
カテゴリ:仕事のこと
清里で毎年行われる環境教育関係者のためのフォーラムが行われて参加。

初日の今日は、他の団体のプログラムに参加してみようと言うことで、3コースから好きなコースを選んで参加できる。
僕は、ホールアース自然学校の提供するどう自然学校でも目玉プログラムである「命を食べる~鶏の可能性」というプログラムに参加。
これは、生きている鶏を殺して、捌いて食べるプログラム。

ホールアースでこのプログラムを実施していたことは知っていたが、プログラムとして実際どうなのだろうか?という疑問が正直あった。
なぜかというと、以前どこかでやはり鶏をさばく体験をやったときに、その参加者の中の数名がトラウマになってしまい、鶏肉を食べられなくなったという話を聞いたことがあるからだ。
ホールアースの掲示板にもよく中傷をする意見が書かれるそうだ。それだけ、インパクトの強いプログラムとも言える。
それだけに興味があった。

さて、実際に体験してみて。
確かに強烈な体験ではある。
足下で生きて草をついばんでいる鶏を殺すのだから。
しかし、始まってみて思ったのは、絶妙な手さばきとトークで進めるプログラムは、それほどの悲惨さはないということ。
絶命させる方法としては、鶏の足をひもで縛りつるした状態で首の頸動脈をナイフで切る。
血が飛び散るかと思いきや、つーーーとしたたり落ちる程度だ。
鶏の方は、最初は多少暴れようとするが、縛られてぶら下がってるのでそれほど激しくはない。
血が抜けて行くにつれ、だんだんと体から力が抜けて、10分ぐらいで眠るように絶命する。

絶命後は、インストラクターにコツを教わりながら解体して、売られているような鶏肉の状態に捌いていく。

捌いたあとは、ガラはスープに。肉は鶏炒めにして食べた。
味は美味い!・・しかし、硬い!ゴムのようだ。
味は濃いのでかめばかむほど・・・・するめ状態。
これは、通常売られている鶏よりも年をとっていると言うことと、死んですぐなので死後硬直のため硬いのだそうだ。
2~3日してからだと、もう少し柔らかくて味もさらに良くなるそうだ。

さて、プログラムを受けた感想ですが・・・美味かった(ハート)。
じゃなくて(^^;、とても教育性のあるプログラムだと思った。
なぜなら、今の日本では、スーパーで売ってるモノがかつては生きていたと言うことを実感しにくい。
やもすれば、肉や魚も工業製品と同じように思っている子供、いや親も多いと聞く。
スーパーで売ってる魚の姿を知ってる人の方が少ないのではないだろうか。
魚は切り身で泳いでいるといったお母さんがいたというエピソードがあるほどだ。

また、自然体験キャンプの中で釣りをして、晩ご飯の時に釣れた魚を食べようと言ったら「この魚を食べなくたって、魚なんて、スーパーで買ってくれば良いじゃん!」と言った子供がいたそうだ。

今一度「いただきます」の意味を考えてみたい。
人というのは、他の生き物の命をいただくことでしか、生きることはできない。
野菜であれ、魚であれ、鶏であれ、牛であれ・・・生きていたものを食べているんだという事実。
「命をいただきます。」

こういうプログラムも命のつながり、命の大切さが見えなくなっている現代においては、必要なのかもしれない。

強烈なプログラムだけにホールアースでは、子供たちにこのプログラムを実施する場合、その前後での心のケアにかなり時間をかけるそうだ。

残酷だ!という人もいるかもしれない。
しかし、かつては日本でも庭先で鶏を捌いていたのである。
その光景を子供たちは当たり前として見ていた。
東南アジア諸国では、今でも家で捌くのが当たり前の国が多い。

日本では、「命」について感じる機会が少なすぎることが、悲惨な事件につながっているような気がしてならない。
レイチェル・カーソンの一説ではないが、命のついても「知る」事より「感じる」ことが大事なのではないだろうか。












お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2004.11.16 16:13:03
コメント(6) | コメントを書く
[仕事のこと] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X