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カテゴリ:仕事のこと
清里で毎年行われる環境教育関係者のためのフォーラムが行われて参加。
初日の今日は、他の団体のプログラムに参加してみようと言うことで、3コースから好きなコースを選んで参加できる。 僕は、ホールアース自然学校の提供するどう自然学校でも目玉プログラムである「命を食べる~鶏の可能性」というプログラムに参加。 これは、生きている鶏を殺して、捌いて食べるプログラム。 ホールアースでこのプログラムを実施していたことは知っていたが、プログラムとして実際どうなのだろうか?という疑問が正直あった。 なぜかというと、以前どこかでやはり鶏をさばく体験をやったときに、その参加者の中の数名がトラウマになってしまい、鶏肉を食べられなくなったという話を聞いたことがあるからだ。 ホールアースの掲示板にもよく中傷をする意見が書かれるそうだ。それだけ、インパクトの強いプログラムとも言える。 それだけに興味があった。 さて、実際に体験してみて。 確かに強烈な体験ではある。 足下で生きて草をついばんでいる鶏を殺すのだから。 しかし、始まってみて思ったのは、絶妙な手さばきとトークで進めるプログラムは、それほどの悲惨さはないということ。 絶命させる方法としては、鶏の足をひもで縛りつるした状態で首の頸動脈をナイフで切る。 血が飛び散るかと思いきや、つーーーとしたたり落ちる程度だ。 鶏の方は、最初は多少暴れようとするが、縛られてぶら下がってるのでそれほど激しくはない。 血が抜けて行くにつれ、だんだんと体から力が抜けて、10分ぐらいで眠るように絶命する。 絶命後は、インストラクターにコツを教わりながら解体して、売られているような鶏肉の状態に捌いていく。 捌いたあとは、ガラはスープに。肉は鶏炒めにして食べた。 味は美味い!・・しかし、硬い!ゴムのようだ。 味は濃いのでかめばかむほど・・・・するめ状態。 これは、通常売られている鶏よりも年をとっていると言うことと、死んですぐなので死後硬直のため硬いのだそうだ。 2~3日してからだと、もう少し柔らかくて味もさらに良くなるそうだ。 さて、プログラムを受けた感想ですが・・・美味かった(ハート)。 じゃなくて(^^;、とても教育性のあるプログラムだと思った。 なぜなら、今の日本では、スーパーで売ってるモノがかつては生きていたと言うことを実感しにくい。 やもすれば、肉や魚も工業製品と同じように思っている子供、いや親も多いと聞く。 スーパーで売ってる魚の姿を知ってる人の方が少ないのではないだろうか。 魚は切り身で泳いでいるといったお母さんがいたというエピソードがあるほどだ。 また、自然体験キャンプの中で釣りをして、晩ご飯の時に釣れた魚を食べようと言ったら「この魚を食べなくたって、魚なんて、スーパーで買ってくれば良いじゃん!」と言った子供がいたそうだ。 今一度「いただきます」の意味を考えてみたい。 人というのは、他の生き物の命をいただくことでしか、生きることはできない。 野菜であれ、魚であれ、鶏であれ、牛であれ・・・生きていたものを食べているんだという事実。 「命をいただきます。」 こういうプログラムも命のつながり、命の大切さが見えなくなっている現代においては、必要なのかもしれない。 強烈なプログラムだけにホールアースでは、子供たちにこのプログラムを実施する場合、その前後での心のケアにかなり時間をかけるそうだ。 残酷だ!という人もいるかもしれない。 しかし、かつては日本でも庭先で鶏を捌いていたのである。 その光景を子供たちは当たり前として見ていた。 東南アジア諸国では、今でも家で捌くのが当たり前の国が多い。 日本では、「命」について感じる機会が少なすぎることが、悲惨な事件につながっているような気がしてならない。 レイチェル・カーソンの一説ではないが、命のついても「知る」事より「感じる」ことが大事なのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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