カテゴリ:西洋史関連(外国語書籍)
Jussi Hanska, “And the Rich Man also died; and He was buried in Hell” The Social Ethos in Mendicant Sermons, Helsinki, 1997
著者のジュシ・ハンスカはフィンランドのタンペレ大学所属の研究者で、中世説教や、中世の自然災害に関する研究を進めています。私の手元には、本書のほか、次の論文があります。 “Reconstructing the Mental Calendar of Medieval Preaching: A Mehod and Its Limits―An Analysis of Sunday Sermons”, in Caroyn Muessig (ed.), Preacher, Sermon and Audience in the Middle Ages, Leiden, Brill, 2002, pp. 293-315. “Mendicant Preachers as Disseminators of Anti-Jewish Literary Topoi: The Case of Luca da Bitonto”, in Maria Giuseppina Muzzarelli (ed.), From Words to Deeds. The Effectiveness of Preaching in the Late Middle Ages, Turnhout, Brepols, 2014, pp. 117-138. 本書は、ルカによる福音書16章19-31節の、金持ちとラザロの寓話をテーマにした説教(本書ではラザロ説教と呼ばれます)を主な史料として、托鉢修道士には「金持ち=本質的に罪人、貧者=良きキリスト教徒」というエートス(共有される倫理観)があったことを示す試みです。 本書の構成は次のとおりです。 ――― 謝辞 翻訳、トランスクリプション、人名に関する注記 第一章 托鉢修道士の社会的倫理を求めて 第二章 金持ちとラザロ 第三章 ラザロ説教において金持ちと貧者は誰だったのか 第四章 「そうではないと思われるEt videtur quod non」―仮説への諸反論 第五章 「そのように思われるEt videtur quod sic」 第六章 来世への焦点 第七章 「そうであると答えるRespondeo quod sic」―結論 略号 参考文献 付録 人名索引 ――― 第一章では、本書の目的や方法論が示され、また研究史の整理がなされます。特に興味深いのは、ラザロ説教を主な史料としつつ、それを身分別説教集(多くの社会的身分―本書の関連では、金持ち、貴族、貧者、病人など―を対象とした説教)と対比させながら、分析を進めるという方法論です。 第二章は、ラザロ寓話がラザロ説教の中でどう解釈されているかを示します。まず、説教では、寓話の「金持ち」を論じるのではなく、現実の罪深い金持ちが対象とされていると著者は指摘し、金持ちの罪として、富、豪華な衣服、大食、憐れみの欠如、そして舌の罪の5つがあると言います。興味深いのは、舌の罪には、無益なおしゃべりなどいろいろありますが、陰口が最悪の罪だとされていたという指摘です。また、「貧困=罪の結果」とする古い考え方を否定する精神が見られるといいます。 第三章は、ラザロ説教の中でいう「金持ち」や「貧者」は、具体的な人々を想定していたのかどうかを論じます。金持ちについては、権力者、高位聖職者、裁判官、商人などが想定されており、それぞれにどのような罪が結びつけられたかが示されます。一方貧者については、農民や都市労働者(職人)も想定されていたこと、手労働は改悛であり、罪を人から遠ざけるものとして、労働を重視する姿勢が見られることなどが指摘されます。 第四章は、記事の冒頭で掲げたエートスはあったとする以上の仮説に対して考えられうる反論(先行研究の成果)が紹介されます。 その上で第五章で、著者の立場から第四章で紹介される反論への再反論がなされます。この構成は非常に面白いと思います。また興味深いのは、反論として、金持ちにも救済の可能性はあった、貧者でも非難される存在はいたというものがありますが、これへの再反論として、「金持ちは良いことをすれば救済され、貧者は悪いことをしなければ救済される」という(もちろん史料の裏付けをもとにした)簡明な図式が提示されていることです。 第六章は、説教師は現実社会の状況を改善しなかったという反論への再反論です。現実社会の改善は、既存の体制の変革ともいえますが、それは「傲慢」の罪にあたり、托鉢修道士が強調したのは「忍耐」の美徳だといいます。一方、金持ちが死後にどのような罰を受け、貧者は死後にどのような報酬を受けるかを説教で強調することで、少しでも金持ちの貧者に対する態度が良くなれば良いというのが托鉢修道士の立場であった、というのが著者の主張です(第七章の内容も含みます)。 そして第七章は、記事冒頭に掲げたエートスはあったと結論づけ、本書の要点を再度整理しています。 全体で200頁弱、論の構成も丁寧で、読みやすい一冊でした。そして、内容的にも、非常に興味深く、今後も研究の中で参照していきたい著作です。良い読書体験でした。 ・西洋史関連(洋書)一覧へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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