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お早う御座います 名古屋は曇っており 昼から小雨予報です 昨日は講座の後 ミュージックベルの演奏を 聴いてきました 27個のベルを机に並べ 4人で パーツを組んでの演奏 素晴しかったです 昨日に続きまして 中村久子展をアップ致します 縫物をする 中村久子氏は2歳の時に左足の甲に起こした凍傷が左手 、右手、右足と移り、凍傷の影響による高熱と手足が 真黒に焼ける痛みと苦しみに遭遇しました 3歳の時に凍傷が元で特発性脱疽となり 両手 両足を 切断 7歳で父親と死別 母と再婚した継父に身売りされ 「だるま娘」の名で見世物小屋での芸人として働くようになりました 両手の無い体での裁縫や編み物を見せる芸を披露していました 人形 1937年(昭和12年)4月17日 東京日比谷公会堂でヘレン・ケラー と出会う久子はその時口を使って作った日本人形をケラーに贈ったのです 氏の作品です レース 細かいレース編みが大好きで 好んで作ったようです 健常者でも これだけの物を作るのは大変ですね 料理 両手 両足が無くても この画像のようにして 家族の料理を 作っていました 心の強さ 家庭愛を感じますね 50歳頃より、執筆活動・講演活動・各施設慰問活動 を始めました 1950年(昭和25年)54歳の時 高山身障者福祉会 が発足し初代会長に就任しました 65歳の時厚生大臣賞を受賞しました キルト 何を考えての作品かは 説明がありませんでした 1968年(昭和43年)3月19日、脳溢血により 高山市天満町の自宅において波乱に満ちた生涯に幕を閉じました 遺言で献体されました 最後まで素晴しい 強い心の持ち主 でしたね かな文字 流れるような筆の運び 口に咥えての作品 顔の動くにより 変化する微妙な書道 このような繊細な作品を 最後にしました 享年72歳でした お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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