392.陸軍駐在武官(12)「偉大なる人道主義者 GENERAL HIGUTI」
(カモメ)それから三週間後、約束通りビザがおりたのです。旅行期間は一ヶ月となっていました。どういう方法で許可をとったのか。プシンフェスキー中佐はスターリンに頼み、実現したのです。(ウツボ)樋口少佐は、公使館の大谷書記官と、モスクワ駐在武官補の秦彦三郎大尉の三人で、ロシア旅行をすることができた。(カモメ)この旅行により、樋口少佐は、ソ連の内幕をつぶさに見聞することができました。これらの見聞記を報告書にまとめて、参謀本部に送ったのです。(ウツボ)この旅行中に知り合った一人のユダヤ人の老人が、樋口少佐に向かって次のように予言した。(カモメ)読んでみます。「私たちユダヤ人は世界中で一番不幸な民族だ。どこへ行っても冷たい仕打ちにあわされてきた。だが、誰も恨んだり、憎んだりはしない。ただ一生懸命に神に祈る。そうすれば、必ず地上の君、メッシアが助けてくれる」(ウツボ)「日本は東方の国である。太陽の昇る国であり、その陽いずる国に天皇という方がいる。その天皇こそがメッシアなのだと思う。あなたたち、日本人は、われわれユダヤ人が悲しい目にあったときや、困っているときに、いつかどこかで、きっと助けてくれるにちがいない。あなたたちが、そのメッシアなのだ」。(カモメ)深いしわの刻まれた老人の目尻から涙が滴り落ちました。そして、その老人は、両手を組んで胸に当て、樋口少佐ら三人に向かって敬虔な祈りをささげたのです。(ウツボ)秦大尉は「弱ったな、俺たちは神でもなければ、メッシアでもないんだよ」と、困惑気な笑いを浮かべて、照れていた。(カモメ)だが、樋口少佐は、そうした老人の祈祷の姿を見つめながら、流亡三千年の悲劇の歴史を持つ民族の嘆きと悲哀に深く胸を打たれたのです。(ウツボ)樋口季一郎少佐は、ポーランド駐在武官の任を終え昭和三年七月帰国後、八月中佐に昇進、歩兵第四五連隊附、昭和四年八月技術本部附(陸軍省新聞班員)を歴任している。(カモメ)それから十年後、昭和十三年三月、樋口季一郎少将はハルピン特務機関長の職にあったのです。そのとき、ナチスの迫害から逃れるため、ユダヤ人の難民が、ソ連と満州の国境にあるシベリア鉄道のオトポール駅まで非難して来ていました。(ウツボ)だが、満州国の外交部は同盟国ドイツを考慮して、ユダヤ人に入国許可を出さなかった。それで病気や傷ついた者も多数いるユダヤ難民たちは、その駅で、足止めされた状態だった。(カモメ)樋口少将は、この惨状を見かねて、独断で部下に指示を出し、このユダヤ難民に衣食の配給を行い、満州国に入国させ、満州国内での居住、上海への移住などの世話をしたのですね。(ウツボ)そうだね。その結果、ドイツのリッペントロップ外相が、オットー駐日大使を通じて、日本に強い抗議を行った。それで、関東軍から樋口少将に出頭命令が来た。(カモメ)当時の関東軍総参謀長・東條英機中将が、樋口少将に対応しました。東條中将は「貴官の言い分を聞かしてもらおう」と言ったのです。(ウツボ)樋口少将は、「自分の取った行動は絶対に間違っていない。ドイツの国策を批判するつもりはないが、日満両国が非人道的なドイツの国策に協力することは人倫の道に背くものである。私は日独の国交親善と友好は希望するが、日本はドイツの属国ではない」などと所信を述べた。(カモメ)東條中将は、樋口少将の言い分をじっと聞いていたが、天井を仰ぐしぐさをしてから、「樋口君、よくわかった。あなたの話はもっともである。私から中央に、この問題を不問にするよう伝えておく。ごくろうさんでした」と言って席を立ったのです。このオトポール事件で樋口少将は何の咎めもなかったのです。(ウツボ)イスラエルの首都、エルサレム市外のシオンの丘の一角に「THE GOLDEN BOOK」と記された高さ二メートルの黄金の碑が立っている。(カモメ)本のページを左右に広げた形で、すべて黄金をもって鋳造された建造物です。金塊で作った碑は世界でこの碑だけですね。(ウツボ)そうだね。この碑が建造されたのは、一九四九年(昭和二十四年)五月十五日。この碑の裏側に人類文化の進歩と創造に偉大な足跡を残した十人の偉人の名がヘブライ語と英語で彫り刻まれている。(カモメ)その十人のうち七人までがユダヤ人だった。あとの三人の中に、「偉大なる人道主義者 GENERAL HIGUTI」と刻まれている。元陸軍中将・樋口季一郎氏のことですね。(ウツボ)そうだね。さらに、当時、樋口少将の部下であった、安江仙弘(やすえ・のりひろ)大佐(秋田・中央幼年学校・陸士二一・ユダヤ人研究家・大佐・大連特務機関長・予備役・中国国民党への和平工作・終戦後ソ連軍に逮捕され収容所で病死)の名も刻まれている。(カモメ)このゴールデンブックにその名を連ねた十人は、いまもユダヤ人から神のごとく尊敬され、慈父のように慕われているのですね。(ウツボ)樋口季一郎中将は軍人として信望のある立派な人だったが、自分を捨ててまでも、人道的で情のある采配を振るった人でもあった。