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テーマ:ささやかな幸せ(6739)
カテゴリ:家族の肖像
さて、かけがえのない「ふたり」の関係の続編。
私の場合のそんな「ふたり」は、まずはわが娘のこと。 「お父さん、大好き」と言え! 「大好き!」 これが父親と娘が会うたびに交わす合言葉だった。 銅版画 「遠い日」 嫁いだ娘が父親の言うことを、まだ何でも聞いていた頃のこと。 倉敷市玉島の港に月が隠れて満潮の夜だった。 港の石垣にへばりついたような小屋に灯りがともる。 「あっ!今夜は居る!」 灯りを見つけたら一目散、家に帰って娘たちとかけつけた。 娘も息子も6年間、1年360日、毎日、剣道を励んでいた。 寒風吹き抜ける体育館で母親たちはじっと見守らねばならない。 見ているよりした方がいいと始めたかみさんもいつしか剣道2段。 先生と母親の厳しく優しい薫陶を受けて、娘はすくすくと育った。 港の小屋には会社を退職したおじさんとおばさんが待っていた。 「こんばんわ」 「やあ、きたか。ほらたくさん来てるよ。」 ひたひたと押し寄せる満潮の海に、四つ手網が下ろされる。 裸電球が光っている網の上を、夜光虫のように輝く生き物が数匹。 「ほら、いまだ!」 子供たちが歓声をあげて網を引き上げる。 やしの殻を割ったひしゃくで網を叩くと、それがひしゃくに入る。 6,7cmほどの小さなベイカと言う烏賊。 ベイカは捕らえられるとすぐに死ぬので、踊り食いは、 岡山の料亭でもでない珍味とおじいさんは言っていた。 持参した一升瓶の黄桜を片手に、子供に目を細めるおじさん。 酒の美味しさは銘柄ではなく、人と場所で決まるとか。 生きたまま、醤油をかけて喉に入れると、とろけるようだった。 絵は、その玉島港を見下ろす良寛が住んでいた丘の上。 息子は剣道少年団の主将、いつも母と水戸や群馬の大会へ、 娘と父親はお留守番という日には、よくこの丘に登った。 絵を描いている間、お転婆娘はいつも草スキー。 ダンボールの紙を尻に敷き、笑い転げながら、 、 何回も、何回も、転げ落ちていった。 「幸せを 絵に描きしか 春の野辺」 続く。 デザイン・アート部門のプログランキング参加中。 クリックして応援してくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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