鎌倉の桜を求めて、石窯ガーデンテラスから明王院、鎌倉宮へ (その5)
愛車のリンちゃんで出かけたが今回は通算八回目になる鎌倉散策です。市の観光案内で、浄妙寺、明王院の桜が見頃とのことで鶴岡八幡宮の東方面へ。3月31日(水) 13:54浄妙寺の裏山にある「石窯ガーデンテラス」所在地:神奈川県鎌倉市浄明寺3丁目8-50ホップ種を使ったこだわりの自家製パンとイタリア料理が頂ける心の和らぐレストランである。また、印象的なガーデンや風通しの良いテラス席もあり人気のレストラン金沢街道(県道204号線)の浄明寺バス停から坂を上ってくる必要があるが建物の南側にテラス席があり、見晴らしが良いロケーションである我が嫁さんも以前来て食事をしたとか食事メニュー ● 本日のお魚料理 2,800yen(税抜き) ● ビーフシチュー 3,200yen(税抜き) ● キッシュプレート 2,200yen(税抜き) ● 信玄どりのフリカッセ~森のあしらい 2,800yen(税抜き) Dessert Menu ~ Cream Tea ~ 手作りスコーンとお飲み物のセット 1,200yen ~ Dessert ~ 季節のデザートとお飲み物のセット 1,200yen ● 石窯ガーデン特製プリン ● 季節のケーキ ● アイスクリーム盛合せ (三種類からお一つお選びください) プラリネ シューア・ラ・クレーム(石窯ガーデンテラス オリジナル) 1,300yenこちらは税抜きとなっていないがすれ違ったご夫婦が「美味しかったねー」と男一人で食事をするのも・・・・・・匂いだけをいただき坂を下る坂を下ると「茶室 喜泉庵」別途 100円の拝観料を支払い、抹茶と干菓子 600円、抹茶と生菓子 1,000円が頂けるモミジの新芽茶室 喜泉庵石楠花が既に咲いているズームアップボタン庭園ボタンもつぼみが膨らみ、後一週間もすると咲くのでは浄妙寺の本堂前には着物姿の女性拝観料受付前から振り返る14:04浄妙寺山門から金沢街道(県道204号線)の浄明寺バス停を見下ろす14:09浄明寺バス停から金沢街道(県道204号線)を東へ進み、明王院へ向かう。明王院 100m、浄妙寺 300m14:11明王院入口前回は3月3日に車で訪れたが、駐車場がなくチョイの間の参拝であったので今回2度目の参拝。今回は自転車のため桜が満開の門前に駐輪することに明王院(みょうおういん)所在地:神奈川県鎌倉市十二所32山門までの桜並木満開のソメイヨシノが迎えてくれたここから境内に明王院(みょうおういん)鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経が、将軍の祈願寺として建立しました。幕府の鬼門の方角にあたるため、鬼門除け祈願寺として本尊の五大明王が大きなお堂にそれぞれ祀られていたことから、古くから五大堂と呼ばれていました。五大明王とは不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王で、鎌倉市内で祀られているのは明王院だけです。毎月二十八日には護摩法要が行われ、この時だけは誰でも本堂に入ることができます。 ● 宗 派:真言宗温室派 ● 山号寺号:飯盛山寛喜寺明王院 (はんせいざんかんきじ) ● 創 建:嘉禎元年 (1235) ● 開 基:藤原頼経 ● 開 山:定豪 (元鶴岡八幡宮別当)写真は、本堂山門を入りここへ駐輪。バッテリー残量は 60%、走行可能距離は 50km、ここまでの走行距離は30km足元に何故か「これより先は撮影禁止」と仕方がなく桜を見上げる明王院の境内はこじんまりとしており、早々に引き上げる14:18金沢街道(県道204号線)の明石橋交差点。滑川に架かる明石橋、ここを右方向へ進み鶴岡八幡宮に向けて引き返すことに金沢街道(県道204号線)沿いに古民家表札に「宗徧流不審庵茶道場」通り過ぎて引き返す14:25一条恵観山荘所 在 地 :神奈川県鎌倉市浄明寺5丁目1-10営業時間:10:00~16:00 休園日:月、火国指定重要文化財 一条恵観山荘【一条恵観山荘(いちじょうえかんさんそう)】江戸時代初期の寛永年間から正保年間にかけて、皇族の一条恵観の別邸として京都西加茂に創建された茶屋である。戦後、鎌倉へと移築され、国指定の重要文化財となった。江戸初期の朝廷文化を今に伝える建物として、京都の「桂離宮」に並ぶ貴重な遺構である。その外観は田舎家風であるが、茅葺き屋根の内側には葺の屋根が葺かれ、自然の形を活かした建材の数々と細工のなされた建具、モダンに描かれた杉戸絵など、皇族の雅で自然を愛する趣向が随所に盛り込まれており、風雅な好みを感じさせる。庭の枯山水・飛び石も合わせて移築されており、一部は茶人の金森宗和の好みと伝わる。【一条恵観(いちじょうえかん)】慶長10年(1605) — 寛文12年(1672)江戸時代初期の皇卿。御陽成天皇の第九皇子。五摂家のひとつ一条家の養子となる。名は兼遐(かねとお)と称し、のちに昭良(あきよし)と改める。摂政・関白を2度ずつ務め、兄である後水尾上皇を支えた。後年、落飾して知徳院恵観(ちとくいんえかん)となる。和歌を始め、書や茶の湯に長け、能楽や絵画、立花、香など数々の文化芸能に精通し、建築の知識にも優れており、自ら山荘の造作について全て指示をしたという。茶の湯については金森宗和に学び、山荘と庭園造営に際しては助言を得ていた。14:26金沢街道(県道204号線)を西に向かい、浄妙寺前のバス停、駐車場。多くの観光客がバスを下車していた14:32鶴岡八幡宮への途中、時間が早いのでまだ訪れていないところへ行くことに。金沢街道(県道204号線)から右側に入り「ここは鎌倉宮」。まだ「覚園寺 700m」 にも行っていない鎌倉宮所在地:神奈川県鎌倉市二階堂154明治天皇が創建した護良親王を祀る神社。境内には、親王が幽閉された土牢や宝物殿もある鎌倉宮一、御祭神 大塔宮護良親王一、御創建 明治二年 明治天皇の勅命に由る一、御祭礼 八月二十日幕末関連の書が陳列される鎌倉宮宝物殿鎌倉宮は明治天皇の勅命により、護良親王を祭神として明治二年に創建されました。宝物殿には、親王の歴史絵のほか、長州出身の伊藤博文、尊皇攘夷を唱えた水戸藩主徳川斉昭、「幕末の三舟」と呼ばれた勝海舟、高橋泥船、山岡鉄舟らの書が陳列されています。写真は、明治末期から大正初期に撮影されたと思われる鎌倉宮鎌倉宮(かまくらぐう)後醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とする神社です。護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕の動きに呼応して幕府軍と戦うなど貢献しました。幕府が滅亡し天皇親政が復活(建武の新政)すると征夷大将軍に任じられましたが、その後足利尊氏と対立して捕らえられ、28歳で非業の最期を遂げました。社殿の後ろ手に残る土牢が親王最期の地と伝えられています。十月には境内で薪能が催されます。 ● 祭 神:護良親王(もりながしんのう)(大塔宮) ● 創 建:明治2年 (1869)写真は、薪能(たきぎのう)境内の隅に駐輪して拝殿へ舞姫(まいひめ)ズームアップ舞姫は公益財団法人日本花の会創立50周年を記念して命名された桜で、日本花の会桜見本園にある八重紅枝垂に実った種子から生まれたものです。染井吉野の後に葉に先立って淡紅色八重咲きの花を咲かせる美しい桜です。 (農林水産省品種登録第20923号) 平成28年2月 公益財団法人 日本花の会 ー 続く ー